第51話

 徐々に、左右の壁が狭まってきた。進む先が、赤紫色の光で照らし出されている。

 まるで水でできた膜のような壁を通り抜けると、突如目の前が開けた。

 巨大な、球形の空間だった。そのほとんど底面に近い場所に、オレたちは立っている。

 目の前に、虫食い穴だらけのピラミッドのような祭壇がそびえ立っている。その祭壇に半ば埋もれるようにして、巨大な肉塊が鎮座し赤紫色の光を放つ。

 天井から、血管が木の根の如く垂れ下がり、さながら繭のように肉塊を包みこんでいた。

 血管の繭に眠る肉塊は、人、犬、牛、蛙、魚、鳥──あらゆる生物の頭部の集合体だった。

 無秩序に寄せ集められた顔面が、目や口、鼻をしきりに動かしている。呪詛じゅそのような囁き声が、空間を満たしていた。

伝説ヘカトンケイル級怪異、これが……」

 オレたちの侵入に気付いたのか、肉塊が蠢く。繭の表面が引き裂かれ、血が噴き出す。まずい、アレが全部破られたら……

凜火りんか

 オレは彼女の顔を見上げる。

「はい」

 凜火がオレの頬を両手で包む。

 凜火の桜色の唇が、オレの唇に触れる。

 温かく湿った舌が滑り込み、オレの舌と絡み合う。青銀色の魔力が、凜火の中に流れ込む。

 身体から熱が奪われるような感覚と同時に、胸が激しく高鳴る。

「ん……いただきました」

 一度で受け渡せる最大量の魔力を吸い取り、凜火が唇を拭う。

 凜火の瞳に、紅玉の光が宿る。

四神楽しかぐら流、四神楽凜火。参ります」

「行くぞ」

「はい!」

 凜火が抜刀、投げ捨てた鞘が地面を叩くより早く、オレたちは地面を蹴った。

 紅の魔力をまとって疾走する凜火の傍らに、スーツを纏ったオレが寄り添う。

 ──凄い、この前のメイド服の比じゃない!

 身体能力の強化、反応速度、魔導効率、どれもが前回のメイド服を上回っている。これなら、凜火と一緒に戦えるぞ……!

 接近するオレたちに、伝説級怪異は繭の隙間から舌を伸ばした。舌の先は無数に分裂し、腕や指の形となってオレたちに降り注いでくる。うわぁあ、キモい! キモすぎる!

 ざんっ、と小気味よい音が響いて、紅の光が横一線に瞬く。

 直後、オレたちを狙っていた腕たちは一刀両断に斬り伏せられ、ばらばらと地面に降り注ぐ。

「アオハさま、まずは魔力シールドを」

「ああ!」

 襲い来る腕を、凜火がばっさばっさと斬り飛ばす。祭壇を駆け上り、伝説級怪異への直接攻撃を狙う。

「理事長は《門》があるって言ってたよな?」

「ええ、恐らく内部に」

「問題は、どうやってそこまで行くかだな……。ッ! 凜火、上ッ!」

 頭上で、巨大な蛙の頭がオレたちを虫けらの如く見下ろしていた。口の中から、巨大な舌が襲いかかってくる。

 オレはとっさに凜火と手を繋ぐ。凜火はハンマー投げの要領でオレの軌道を強引に変更、近くの穴にオレを投擲とうてきすると、直後自分も地面を蹴った。

 ──ドドォッ!!

 大瀑布の如く、膨大な量の肉塊が降り注いだ。

 一枚岩の祭壇が粉砕され、オレたちが逃げ込んだ穴の入り口を塞ぐ。

「くそ、閉じこめられた……!」

 瓦礫に覆われた出口に、恐怖と焦りが募る。

「アオハさま、後ろを!」

 凜火の声に、背後を振り返る。

 赤紫色の光が、穴の奥から溢れ出していた。刀を構えた凜火と共に、オレは穴の奥に進む。

「これは……」

 目の前に、ドクンドクンと脈打つ肉の壁があった。赤紫色の光を放っているということは、これも伝説級怪異の一部なのは間違いない。

 そして、この肉の壁にはどこにも顔がない。

「ここならッ!」

 オレは駆け出し、壁に喰らい付いた。その瞬間、今まで経験したことのない分厚さの魔力シールドに阻まれた。

「こンのォ……ッ!」

 スーツで強化された膂力りょりょくを全て注ぎ込んで、オレはシールドに牙を立てる。しかし、何度切り裂いてもシールドはすぐに修復してしまう。

 これじゃらちが明かない、諦め掛けたそのとき、シールドに鋭い亀裂が走る。

「わたしだって、お手伝いできますよ」

 振り抜いた刀を手に、凜火が微笑む。

 凜火が切り裂いた亀裂に、オレは腕を突き入れる。右手をねじ込み、左手も。

 オレはこじ開けた隙間に顔を突っ込み、シールドを形成する魔力を噛み砕く。シールドの亀裂が徐々に広がっていく。

 あと少しで……

 ──ゴバッ! 

 轟音と衝撃波が、頭上を掠めた。強烈な視線が、オレの身体を射貫く。

 思わず見上げる。天井が吹き飛ばされ、無数の顔がオレたちを見下ろしていた。

 生っ白くてのっぺりとした人間の顔が、オレたちを凝視している。眉毛も睫毛も頭髪もないデスマスクのようなそれが、肉塊を引き連れ迫ってくる。

 眼窩がんかから飛び出かけた眼球は直径五メートルはある。虹彩を形作るヒダのグロテスクさに、オレは背筋が凍り付く。

 凜火の悲鳴のような声が響く。


「アオハさま! 退避をッ!」

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