第47話

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 薄暗い通路を、凜火りんかはオレをお姫様抱っこしたまま走り続ける。見覚えのあるハッチをくぐり抜けると、見慣れた顔がハッチを勢いよく閉じた。

「……え? アオハちゃん、だよね?」

 ハッチを閉めたけいが、オレの青銀色の髪と瞳にぽかんとする。色が変わった上に、瓦斯鬼がすきの斬撃が掠めて髪がばっさり短くなっていた。くそ、髪型気に入ってたのに……じゃなくてッ!

「みんな何やってんだよ!」

 部室に集まった恵、イリス、さわりを見渡し、オレは叫ぶ。

「倒れてる凜火さんを見つけて、ここに運んだのよ」

 イリスが代表して答える。

「今からでも遅くない、避難しろ!」

「あなたは、どうするつもりなんです?」

 がなり立てたオレに、イリスが問う。

「オレは……。ここに残る」

「何故?」

「それは、言えない……」

「どうしてかしら?」

「言えば、みんなを巻き込むことになる……」

 その途端、イリスが拳を握り締めた。

「わたくしたちを信頼してくれないのかしら? わたくしたちは、仲間じゃなかったの!?」

「そういうレベルの話じゃないんだ! 命に関わるんだぞ!」

「だったらなおさら一人でどうこうできるなんて、思い上がりも甚だしいわ!」

 イリスは頬を怒りで紅潮させ、オレを睨む。

「アオハさん。あなた自分でわたくしに言ったわよね。自分一人では強くなれないって。それでわたくしを仲間に加えたんじゃなかったかしら? それなのに、ここぞという所でわたくしを追い出すのですか? 本当にそんなことをするのなら、わたくし、あなたに失望しますわ」

「だったら……出てけば良いだろ。言ったじゃないか、オレに失望したら出て行ってくれて構わないって」

 ……今は、その方が良いんだ。

 望まない別れに、オレは唇を噛む。すると突然、むにゅ、とほっぺたをつままれた。驚いて顔を上げると、唇をわなわなさせたイリスがオレの顔を掴んでいた。な、なにすんだ!?

「そういう拗ねた感じが腹立つのよ! ちょっと前のわたくしがこんなだったと思うと余計に!」

 むにゅむにゅとイリスがオレのほっぺたをこね回す。

「ひゃめ、ひゃめほぉ!」「誰が止めるもんですか! 悔しかったら自分ではね除けてごらんなさい! それも出来ないのに、わたくしを追い出そうなんて、片腹痛いですわ!」

 むにゅにゅにゅにゅッ! 頬をこね回すイリスの手は、頑としてオレから離れようとしない。……って凜火! どさくさに紛れて尻揉んでんじゃねえ! やめろ! ヤァメェロォぉおッ!!

「わかった! わかったから放せッ!!」

 女子二人に揉みくちゃにされ、オレは幸福……じゃなかった降伏した。イリスがパッと手を放す。……凜火、お前も放せ。

「じゃあ、まずは聞かせてもらいましょうか。何が起きているのか。それと」

 イリスがオレの髪をつまむ。

「これは、一体どういうことかしら?」

 

「アオハちゃんが、《賢者の石》……?」

 オレの正体を知った恵とイリスが息を呑んだ。既に知っているさわりも、瓦斯鬼の計画に目を見開いている。

「ホレ見ろアタシが言った通りナ!」

「確かにあの時点であそこまで予想してたのはさわりだけだ。凄いよ」

「ふふ~ん。そうにゃろそうにゃろ」

「凜火さんは、全部知っていたんですか?」イリスが凜火を見つめる。

「ええ。アオハさまが地下施設にいることも、わたしは以前から知っていましたから」

 え? 初耳だけど、それ……

「そうなのか?」

「はい。ですから収容所で異変が起きたと石榴から聞いたとき、いち早く行動に移せたのです」

 そうだったのか。……ん? あれ? でもそれだと……

「で、これからどうするの?」

 恵に訊ねられて、何かに引っかかっていたオレの思考は中断される。

「……オレは、瓦斯鬼を止める。理事長が拘束された以上、奴を止められるのはオレしかいない」

「だからって、あなた……。死ぬかもしれないのよ!」イリスの表情は強張っていた。

「ここで逃げたらオレは一生、超一流の戦律師にはなれない」

 いま瓦斯鬼を見逃せば、間違いなくオレは後悔する。奴の二の舞にはなりたくない。

「いいか。オレが話したのは軍やマタイの機密だ。知ってることがバレたらただじゃ済まない。今ならまだ間に合う。お前たちだけでも逃げろ」

 部室に沈黙が広がる。そのとき、さわりが顔を上げた。

「どうやら」さわりが狐耳をぴくぴくさせて天井を睨んだ。「そんな余裕は無いっぽいのナ」

「どういうこと?」「地上が騒がしいのナ。コレは囲まれてるナ」

 オレたちは思わず息を潜める。「もう逃げられないのナ」さわりが好戦的に吐き捨てる。

「ボクは、アオハちゃんをサポートしたい」

 突然、恵がぽつりと呟いた。その隣で、さわりが耳をパタパタさせる。

「アタシの庭をめちゃくちゃにされて、放っておけるわけないにゃろ。アタシも行くのナ」

 イリスが深い溜息をつく。

「ここで逃げたら防律師の名折れ。まったく、本当にバカなんだから……。でもいい? 誰も死んじゃだめよ」

「本当に、良いのか」

「良いのよ。ここで逃げて後悔するより、あなたたちと一緒に戦って後悔する方が、きっと……」

 うつむき掛けたイリスは、いつも持ち歩いている日傘でカンッ、と地面を突いて、表情を引き締める。

「もう、他に隠していることはないわね?」

 イリスの質問に、凜火の肩がわずかに震えた。オレは手を上げる。

「あ。オレ実は男です」

 イリスが一瞬ぽかんとして、眉をひそめる。

「こんなときに何言ってるのよ」

「いやいや、ホントホント」

「……え?」

 イリスが目を細めてオレに近づく。すると凜火が手を伸ばし、イリスの手を掴んだ。

 そして。

 イリスの手を、凜火が押し当てた。

 オレの股間に。

「…………は?」

 イリスはぽかんとしたまま固まった。ぱちぱちと瞬きしながら、手に触れたモノを、反射的に握る。

 むにゅっ。

「どうですこのもちもち具合、実に素晴らしいおいなりさんだと──」

「「ヘンタイッ!!」」

「はぎゃんッ!!」

 顔を真っ赤に染めたオレとイリスのビンタが、凜火に襲いかかった。

「バカやってる場合じゃないにゃろ! 逃げるのナ!」

 さわりが声を潜めて叫ぶ。そうだった。こんなことしてる場合じゃない。

 地上に逃げ道がないなら、残るは一つきり。

 《アガルタ》に続くハッチを、オレたちは見つめて頷いた。

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