第17話

「ん……、あれ、ここは……?」


 ぼんやりした声を上げたイリスの顔を覗き込む。

「医務室だよ」

 倒れた直後は真っ白になっていた顔は、だいぶ赤味を取り戻していた。

「どうして……」

「過労と貧血だってさ。なんか顔色悪いなと思ってたけど、イリス、ちゃんとごはん食ってる?」

 イリスはゆっくり瞬きして、ベッドの上で身体を起こした。目眩がしたのか、顔をしかめて俯く。

「無理すんなって、もうちょっと休んでて良いって先生も言ってたから」

「負けたのね、わたくし……」悔しさの滲む声がシーツに零れ落ちた。

「え? いや、負けたのはオレ──」「違うわ」

 即座に否定された。

「たしかに、ルールの上ではわたくしの勝利だったかもしれない。でも、直後に気を失うなんて、間抜けもいいとこ。実戦ならとっくに死んでるわ……」

 イリスは唇を噛む。

「……まさか、日傘まで使わされるなんて思ってなかった。なんとか防げたけど、もし何度も繰り返し攻撃されたら、わたくしじゃどうにもできないわ」

 指が白くなるまで強く握っていた手から、力が抜ける。

「馬鹿みたい。勝手に熱くなって、大見得切って、挙げ句の果てにあなたに迷惑掛けて……」

 音もなく溜息をつくイリスに、オレは疑問をぶつける。

「なあ、なんで一人きりで戦う前提なんだ? 実戦なら、仲間がいるからそんなに気にするようなことじゃないだろ」まぁ、流石にぶっ倒れるのはどうかとは思うけど……

 ぴくり、とイリスの肩が震える。

「裏切らないお優しい仲間がいる人は良いわよね」棘のある言い方で、イリスは儚く笑った。

「……あなた、わたくしのことご存じ?」「え? あー、なんか有名企業の社長令嬢なんだっけ?」「倒産したのよ」「……へ?」

 オレは虚を突かれる。それはなに、会社が潰れたってこと?

「わたくし、最近まで仮設事務所に所属していたの。有名企業の子息令嬢が集まるグループよ。皆優秀で、将来について語り合う、信頼の置ける仲間たちだったわ」

「だった、という所がミソか……」

「そのとおり。わたくしの実家が倒産した途端、私に話しかけてくる者はいなくなったわ。そのときよ、ハッキリと自分が没落したのだと感じたのは。思い知らされたわ。彼らが見ていたのはわたくしではなく、月城という名前でしかないことを」

 ぎゅ、とイリスの額にシワが寄る。

「苦しい状況下でも、両親はわたくしの在学を認めてくれたわ。でもいろいろ変えなきゃいけないことが多すぎて、バイトを始めても上手くいかないし、相談できる人はいないし……」

 仲間には捨てられ、生活は苦しく、助けを求める相手もいない。そんな状況でイリスは藻掻いていた。

「あなたに食ってかかったのも、丁度いい憂さ晴らしだと思ったの……ただの八つ当たりよ。ごめんなさい」

 弱々しく頭を下げると、イリスはベッドから抜け出す。立ち去ろうとするイリスの手を、オレは掴んだ。

「ねえ、オレの仮設事務所に入らない?」

 深い考えがあったわけじゃない。ただ、こうすべきだと思った。

 イリスは振り返らなかった。握った手は堅く、冷たい。

「さっきので解らなかったかしら? わたくし、もう他人を信用しないことにしたの。信頼も、期待もしない、その方が……自由だから」

「なんだよ、それ……」

 イリスの言う自由という言葉には、ちっともポジティブさを感じなかった。

「オレも、一人でいれば自由だって思ってた。他人なんて邪魔だって思ってた。でも最近、そうでもないなって思い始めたんだ」

 凜火と共に怪異と戦って、オレは思った。一人もいいけど、仲間も悪くない。

「オレは超一流の戦律師を目指してる。でも、一人じゃなれないって気付いた。人はみんな、一人じゃ強くなれない」

 イリスの大きな瞳が、キッとオレを睨み付ける。

「わたくしは、強いわ」「うそだ」「嘘じゃない」「じゃあ、どうしてイリスは泣いてんだよ」

「え……?」ぽかんとした顔で、イリスが頬を触れる。指先が透明な雫に触れる。

「オレは、誰かに裏切られたことなんてない。だから、イリスの気持ちをわかるなんて言えない。でも、オレはイリスを生まれや名前で判断したりしない。それだけは誓える」

 イリスが誰よりも強くて、仲間なんて足手まといになるから要らない、というのならオレも諦める。でも、きっとそうじゃない。 

「すこし試すだけでもいい。イリスが失望したら、好きに出て行って構わない。でも、オレは出て行けなんて絶対に言わない」

「……わたくしは強くないのでしょう? それなのに、どうして」

「確かに強くはない。けど、凄いよイリスは」

「……はい?」

「あの障壁、さっきまでは上手くできなかったんだろ? それなのに、オレとの勝負では成功させたじゃないか! 戦いの中で成長するって、凄いことだよ。今のイリスは強くないかもしれないけど、これからもっとずっと強くなる! オレはそう思ってる」

「ちょ、ちょっと待って……!」鼻の頭を赤くして、イリスが手を振る。口元がふにゃふにゃしている。なんだよ、まんざらでもないんじゃないか。

「それに……」「それに?」

「仲間がいると、食費が安く上がる」

 オレは殺し文句をキメる。人数いた方が自炊するときおトク、最近知りました。

 イリスはぽかんとしたまま、オレを見つめていた。狙い澄ましたように、イリスの腹が「くぅう……」と鳴る。

「はっ……アハっ、はははははっ!!」イリスは目を細めて、涙をこぼしながら腹を抱えて笑った。ひとしきり笑うと、イリスがキリッとした瞳でオレを見つめた。

「あなた、名前は?」

「姫桜アオハ。戦律科二年A組」

「イリス月城よ。防律科二年B組。……あなた、女の子にしておくのが勿体ないくらい男前ね。その口車に乗ってみるわ」

 イリスが右手を差し出してくる。おお、初めて男前って言われた! まあ男なんですけどね!

 オレはイリスの右手を握り返す。

 

 その手は、さっきより柔らかくて、温かかった。

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