第1話 後編

「その通りです」


 耳元に凛とした声がかけられた。声の主の、肌の熱さを感じる。

 怪異の触手が、槍衾のように襲いかかってきた。しかしその攻撃は一つも届かない。オレを抱きかかえた声の主が、猛烈な加速で飛び退いたからだ。

 女性だった。整った顔の輪郭にはまだ幼さも残る。美少女、と呼んで然るべき造形をしている。

 艶やかな黒髪が、オレの頬をくすぐる。切れ長の瞳の奥で、紅玉のような光が燃えたぎっていた。 

 怪異から二十メートルほど離れ、少女がオレを下ろす。

「だ、だれだ、お前……!?」

「あなたを助けに来ました」

 黒髪の少女が腰を屈めて俺の顔を覗き込む。女子にしてはかなり背が高い。いや、オレが小柄ってのもあるけど……

 少女は、オレの顔を覗き込んだまま黙り込んでいる。

「あの……えっ!?」

 美少女の瞳が潤み、雫が溢れ出した。なんだなんだ⁉︎ どうして泣くんだ⁉︎

 とそこで、オレは自分の土手っ腹に風穴が空いていることを思い出す。

「あ、その! これは……!」

 オレはとっさに傷口を手で隠す。そりゃ、土手っ腹に風穴が空いてりゃ驚いて泣きもするか……

 しかも、そこから血の一滴も流れないのなら、なおさらだ。

 オレの傷口からは一切血が出ていない。くり抜かれた傷口は、まるで鉱石のような質感。青銀色の光を放つ、半透明な表面だった。

 ピキピキと音を立てて、風穴の縁から青銀色の液体が溢れ出す。見る見る内に液体は傷口を覆って、やがて元通りの皮膚の色を取り戻した。

「その、これは、違うんだ……」

 なにがどう違うのかオレにも解らないけど、とにかくオレは慌てて釈明しようとした。だけど、

「大丈夫ですよ」

 黒髪の美少女は優しく微笑んだ。そして、オレの頬に手を添えると、


 びっくりするくらい柔らかいものが、オレの唇に触れた。

 え!? ちょちょちょっ!? なにこれッ!? 

 彼女が、オレにキスをしていた。


 呆然とするオレの口の中に、にゅるり、と温かく湿ったものが忍び込んでくる。コイツ、舌入れやがった!? 

 暴れようとするオレを、少女はがっちりと抱きすくめる。身動き取れないオレの口が、少女の熱い舌で隅々までねぶられていく。

 その瞬間、オレの「一部」が少女へと流れ込んでいくのをハッキリと感じた。

「ぷはっ」

 キスを終えた少女は妖しい笑みをたたえ、唇をぺろりと舐める。 

「すぐ終わらせます」

「ちょ、どうするつもりだよ!?」

「あの怪異を討伐します」

 事もなげに言うと、少女が自らの腰に手を伸ばす。そこには、黒い鞘に収められた一振りの刀が。

 少女の瞳が、紅の光を帯びた。

 音もなく、少女が鯉口を切る。

四神楽しかぐら流、四神楽しかぐら凜火りんか。人に仇なす人外の徒を調伏いたします」

 少女の身体がスッ、と沈み込む。次の瞬間、少女の姿はオレの視界から消えていた。

 轟音が弾け、突風が襲う。超人的な膂力で怪異の懐に踏み込み、少女が抜刀。

 紅の光を刀身に漲らせ、少女が太刀筋を空間に焼き付ける。

 怪異の表面を覆う魔力の層が、綿のように切り裂かれる。赤黒い肉塊が横一文字に断ち切られ、ゼロコンマ数秒の後、切り口から紅の炎を噴き上げ爆散した。

 ──チン、

 納刀のかすかな音が、すぐ隣で響く。ぎょっとして振り向けば、そこには返り血ひとつ浴びていない少女の姿が。

「戦闘、調律師……?」

「はい。……まだ、学生ですが」 

 焼夷斬撃で怪異を斬り伏せた少女がはにかむ。その首元に、アクセサリーなのか、銀色のチェーンが輝いていた。

 なんだ、この強さは。これで学生?

 初めて間近で目撃した戦律師の戦いはあまりにも一瞬すぎて、理解が追いつかない。

「ここは危険です。詳しい話は後ほど」

 少女がオレの手を握る。あれ、なんだ……この感じ……

 奇妙な感覚にオレは眉をひそめる。まるでさっきまで見ていた夢の内容を思い出せないような──

 突然、ぐらり、と視界が傾いだ。「あれ?」とたたらを踏んだはずが、手も足も出ずにオレは倒れ込む。少女の腕が、すんでの所でオレを抱き留めた。

「アオハさま!」

 少女がオレの名を叫ぶ。なんで、オレの名前知ってんの……

 疑問を口にする間もなく、オレの意識は暗闇に沈んでいった。

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