第2話

   2


「──す!」「だから、それが──」「わたしは、彼のことが──……!」


 遠くで誰かが言い争っている声で目が覚めた。

 ソファの上に横たえられていた身体を起こして、周囲を見渡す。応接間のような部屋だった。言い争う声は、隣の部屋から聞こえてくる。

「どこ、ここ……?」

 ぼんやりした頭で、オレは部屋を観察する。大きな執務机に、壁一面の本棚。そこに、一枚の写真が飾られている。

 二人の男女が写った写真。一人は長い黒髪の女子で、もう一人はがっしりとした体格の男子。蔦が絡まる建物の前、二人とも制服を着て、穏やかな表情を浮かべている。

 オレの目は、男子の姿に引き付けられた。額から、長い角が一本生えている。

「……鬼だ」

「その写真が気になりますか?」

「ふわぁああ!?」

 突然耳元で話しかけられ、オレはソファから転がり落ちた。

「元気そうですね」

 オレを見下ろしそう言ったのは、眼鏡を掛けた妙齢の女性だった。細身の身体をスーツに包み、黒髪を肩で切りそろえている。あれ、この人どこかで……

「だ、だれ……?」

「この学園の理事長です」

「学園? 理事長?」

「その写真は、私がここの学生時代に撮った物です。隣に映っているのは、今では陸軍特殊部隊少佐を務める戦律師ですよ」

 女性は写真をオレに差し出す。間近で見ると、確かに写真の少女は目の前の女性だと解る。

「陸軍の特殊部隊っ⁉︎ すごい! ……じゃなくてっ!」

「はい?」

 キョトンと首を傾げる理事長。

「ここどこ!?」

 オレの質問に、理事長は静かにオレを見つめながら口を開く。

「国定《第参だいさんアガルタ》魔導研究開発区、魔導教育法人伯嶺学園はくれいがくえんです」 

 伯嶺学園?

 パチパチと瞬きするオレに、理事長は淡々と告げる。

「あなたが収容されていた環境省外局、魔力災害対策委員会所管の極秘施設は、原因不明の怪異災害で壊滅しました。生存者はあなただけです」

 生存者はオレだけ。その言葉に、気を失う前の記憶がフラッシュバックする。

「そうだ、オレは怪異に襲われて、それで……」

「わたしが助け出したんです」

 凜とした声が響く。

 オレの目の前に一人の少女が歩み出る。ボリュームのある黒髪をショートカットにした、背の高い美少女。オレを助けてくれた戦律師の少女だ。

 理事長が溜息をつく。

「どこで知ったのか、収容所での事故を聞きつけ、この娘が勝手に現場に駆けつけたんです。まったく、学生が足を踏み入れて良い場所ではないのですよ」

「ですが、わたしが助けなければ、彼は怪異に殺されていました」

 理事長はやれやれと首を振る。対する少女は悪びれる風もなく、じっとオレを見つめている。 

「あなた、名前は?」

 理事長に問われ、とっさに057号と答えそうになった。

 オレにはちゃんと、大切な名前があるんだ。

「アオハ」

 それが、オレの名前だ。

「アオハちゃんですか」「オレは男だ!」

 おや、と理事長が目を丸くする。その眼鏡のレンズにオレの姿が映り込んでいる。

 十歳くらいに見える、青銀色の瞳と髪の、可愛らしい見た目の子供。

「ずいぶん可愛らしいから、てっきり女の子かと、ごめんなさい」

 微笑む理事長に、オレはぐぬぬ……と歯がみする。

「名字は?」

「名字は……ない」

「そうですか」

 そこはさらっとスルーするのかよ……。

 少女が一歩前に踏み出して、右手を胸に当てる。

「わたしは凜火。四神楽しかぐら凜火りんかといいます」

 抜き身の刀のような雰囲気から一転、少女は微笑みを浮かべて胸元で手をギュッと握った。

「私は四神楽しかぐら石榴ざくろ。さきほど言ったとおり、この伯嶺学園の理事長を務めています」

 凜火と石榴、二人とも四神楽を名乗ったけど、家族なのだろうか……

 いや、そんなことよりも、今は──

「あの! ここって、戦律師も育てる学園なんですよね!?」

 オレは拳を握りしめ、石榴に詰め寄った。

「え、ええ……そうですよ。でもそれがなにか」

 小さく深呼吸して、オレは覚悟を決めた瞳を石榴に向ける。


「オレを、ここの生徒にしてください! 戦律師になりたいんです!」


 オレの申し出に、石榴は表情を動かさなかった。

「訳を聞きましょう」

「オレっ、戦律師に憧れてるんです! 昔、「超一流の戦律師」に助けられて、それからずっと! 《施設》にいる間も、勉強できることはちゃんとやってきました、だからお願いします!」

 他にももっと言いたいことはあった気がするけど、今言えるのはこれだけだった。胸の前で拳を握る凜火の隣、石榴は感情の読めない顔で佇んでいたが、やがて、


「──……良いでしょう」


「……や、やった、やった!! ありがとうございますっ!」

 飛び上がりかけたオレを、石榴の声が遮る。

「アオハくん、ひとつ、確認します」

 石榴の目が鋭くなる。

「あなた《賢者の石》ですね?」

 思わず息が止まった。

「どうして、それを……」

「寝ている間に調べさせてもらいました」石榴が平然と答える。

「莫大な魔力を秘めた魔力結晶。古代魔術文明の遺産であり、何よりその特徴は、意志を持ち、人間のように振る舞うこと。近代以降、報告例は僅か数例でしたが、そのうち一人があなたということですね」

 断定的な口調からは、石榴がオレの正体を確信していることが窺えた。

「……そう、らしいです」

 正直オレ自身、自分について知っていることは少ない。古代魔術文明なんて言われても、記憶にはない。それに今の記憶だって、物心が付いた数年前からしかないんだ。

「あなたは、既存の魔導技術に衝撃を与えうる存在です。正体を明かせば、多くの人間を引き寄せることになるでしょう。その中には、あなたを長年拘束し続けた機密機関も含まれます」

 ごくり、と唾を飲み込む。もし収容所の関係者に見つかったら、オレはまた……

「あなたが平穏な学生生活を望むのなら、私の指示に従ってください。まず第一の条件として、凜火を常にあなたの傍に置きます」

「え、それって……」

「あなたの身分は学園が保証します。その他のことは追々煮詰めていきましょう」

 それでは、と言い残し、石榴は姿を消……さなかった。

 銀色のハサミと白い布、それから椅子を手にして、石榴がオレの目の前までやって来た。

「凜火、手を貸してくれますか?」

「ええ、もちろん」

 異様な雰囲気を漂わせる二人に挟まれて、冷や汗が噴き出す。

「あ、あの……何するんですか……」

「言い忘れましたが、学園生徒として振る舞う上で、もう一つ重要な条件があります」

「な、なんですか……?」

 石榴理事長がハサミをくるりと回す。「それは──」

「ぇええええええええええええ~~~~~~ッ!?」

 提示された条件に、オレは人生一番の悲鳴を上げた。 

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