男の娘賢者の石と変態ガール
森上サナオ
第1話 前編
一章
1
《マグス・シュヴァリエ(戦闘調律師 せんとうちょうりつし)》
怪異を魔術戦闘によって討伐する調律師の一形態。戦律師(せんりつ)。
何度読んだか解らないページを、オレは指でなぞる。目をつぶっていても、このページだけは一発で開ける。開き癖のついた辞書は、このページのためだけに所持しているようなものだった。
──戦律師──
オレの憧れの存在。
『わたしがキミを守ってあげる。だって、わたしは超一流の戦律師なんだから』
目をつぶれば、かつてオレを助けてくれた「超一流の戦律師」の声が脳裏をよぎる。
オレも、いつか……
『057号、消灯時間だ』
表情の感じられない声が天井から響く。オレが恨めしい視線を天井に向けた途端、部屋の明かりが一斉に消えた。溜息をついて、ベッドに潜り込む。暗闇を見つめ、心の中で誓う。
いつか必ず戦律師になってやる……
だけど、そのためにはまず「ここ」から出なきゃならない。その方法が解らない。クソっ……。悪態をついて寝返りを打った瞬間、眩い光が部屋に溢れた。布団を跳ね飛ばし、オレは起き上がる。
「なんだ?」
再び点灯した照明を見上げる。今まで、こんなこと一度も──
──ヴーッ! ヴーッ! ヴーッ!
不安を掻き立てるサイレンが部屋中に鳴り響いた。思わずベッドの上で凍り付く。
「ひやっ!? な、なな……!?」
ズンッ、と頭上で重苦しい地響きが轟いた。パラパラと天井の破片が降ってくる。
慌ててベッドから飛び降りて、ドアに飛びつく。内側にドアノブの無い扉を、オレはがむしゃらに殴りつけた。
「おい! どうなってんだ!? 誰かいないのか!?」
ドアをガンガン叩く。普段ならすぐ警備員がすっ飛んできて、鎮静ガスをお見舞いされる。けど、今日は警備員がやって来る気配すらない。一体なにが起きて──
ドガッ!!
「うひゃぁああ!?」
突然の衝撃に、素っ頓狂な悲鳴を上げて飛び上がった。目の前のドアが、ベコリと凹んでいる。これ、鋼鉄製だったハズだよな……
ドンッ、ドゴッ、ゴゴッ!!
間違いない、ドアの向こうに「何か」がいる。それも、間違いなく人ではない何かが……。ドアはもうベコベコで、今にも鉄板が裂けそうな……
バギンッ!
言ってるそばからかよ……!
破断音を響かせて、ドアに亀裂が走った。分厚い鉄板に、五十センチほどの亀裂が走っている。その向こう側は真っ暗闇で、何も見えない。
……いや、違う!
ドアに何かが密着して、見通せないだけだ。なんだ、この、ネバネバした……
ぎゅるり、とネバネバが裂けて、オレと「目が合った」。
「ひッ……」
巨大な眼球が、ドアの隙間からオレを凝視していた。
凍り付くオレの前で、ぶちゅり、と生々しい音がして、ドアの亀裂から粘ついた液体が流れ込んできた。悲鳴を上げて後ずさるオレに反応したのか、粘液の表面がざわざわと波打ち、
──ビュッ!
粘液が触手のように伸びて、オレの首に絡みついた。生暖かくぬめる表面に、生理的な嫌悪感が爆発する。
「ぅわぁあああッ!! この、放せ……ッ!」
腕を振り回して触手を千切ろうとしたけれど、ゴムのように伸び縮みするのでまるで歯が立たない。オレが暴れるほどに、触手はギチギチと締め付けを強くする。
これ、マジでヤバいかも……
突然、目の前が真っ白に染まった。衝撃波が叩きつけられ、酷い耳鳴りに吐き気がこみ上げる。なんだ、なにが起きた……!?
煙が立ちこめる室内、破壊されて点滅する照明に照らされて、グシャグシャになったドアが転がっていた。
……ドアを吹き飛ばしやがった。
そうなれば当然、次に起きることは──
ずちゃ……っ、ズズ……
肉を引きずる音が、煙の中から近づいてくる。やがて、「それ」が姿を現した。
全長五メートル以上の、巨大な肉色の芋虫。
剥き出しの生肉を寄せ集めたかのような姿。形は流動的で、身体のあちこちから何の脈絡もなく人の腕や脚が生えては肉に埋もれていく。
頭部には、剥き出しの眼球がトウモロコシの粒々のように付いていた。口らしき開口部から伸びた無数の触手が、オレの首を締め上げている。
化け物。
オレは、コイツの呼び名を知っている。
──怪異──
人間に害なす魔力現象や化け物。
どうして、どうしてここに怪異が……?
カタカタと膝が震える。突然、悪臭が立ちこめた。
怪異の背後、吹き飛ばされたドアの向こう側は、血の海だった。
おびただしい数の遺体が、瓦礫に埋もれている。白衣や防護服を身に付けた職員や、防弾ベストに身を包んだ警備員の遺体は、どれもが口を大きく開き、腹部をドス黒くそめている。まるで腹を内側から引き裂かれたかのような……
「ぅ、あ……」
グンッ、と猛烈な勢いで引っ張られた。床に引き倒されて、打ち付けた腕が痺れる。
怪異の目の前に逆さ吊りにされる。触手が何本も、オレの身体をまさぐるように這いずり回る。汚れた粘液が肌に絡みつき、気持ち悪さと恐ろしさで身体が凍り付く。
一本の触手が、オレの顔に近づいてきた。口の周りを執拗に這いずり回る。
まさかコイツ、オレの「中」に……!
通路の死体を思い出しゾッとする。次の瞬間、鞭のような触手の一撃が、オレの腹を殴りつけた。
「がッ……は……」
思わず口を開く。その瞬間、触手が口の中に入り込んできた。まるで蛇が腹の中へと潜り込んでいくかのような恐怖感。吐き気がこみ上げても、嘔吐することさえ許されない。
やばい、やばいやばいやばい……! 壊される……!
クソッ、このままやられてたまるか! 汚ぇーモン咥えさせやがってッ!
青銀色の涙が溢れ出す瞳をぎゅっとつぶって、オレは口の中でのたうち回る触手に、ガブッ! と思い切り噛み付いた。
ぐるり、と触手が腹の中で暴れて、頭がチカチカする。それでも噛み付くのを止めない。歯が砕ける勢いで、渾身の力を顎に込め──
ブヂンッ!!
オレの歯が触手を喰い千切った。口いっぱいに、ドロドロの生臭い液体が溢れ出す。怪異が暴れて、オレを床に放り投げる。
「うぇっ、おぇ……、あれ?」
触手を吐き出そうとえづいたオレは、違和感に気付く。
喰い千切った触手が、口の中から忽然と消えていた。代わりに、身体中に力が染み渡っていくような、心地よい感覚が広がっていく。
なんだこれ? ひょっとして、オレ……
「……怪異を、喰った?」
オレに噛み千切られた触手を振り回して、怪異がサイレンのような悲鳴を上げた。
よく解んないけど、これなら戦えるかも……!
オレが僅かな期待を感じたその瞬間、
──ズドッ!
「……え」
聞いたことのない音が自分の身体から聞こえて、オレは視線を落とす。
怪異から伸びた触手が、オレの腹を貫いていた。
「え、嘘……なにこれ」
膝から力が抜ける。不思議と痛みは感じない。グルン、と視界が回転した。床の冷たさを頬で感じて、怪異に放り投げられたのだと気付く。
「い……う、この……っ」
立ち上がろうにも、身体が言うことを聞いてくれない。視界が徐々に黒ずんできた。
ずちゃずちゃ、と怪異が近づいてくる。きっと怪異はオレを「吸収」するつもりだ。そりゃそうだ。怪異からしたら、オレはとびきりのご馳走なんだから。
……死ぬのか、オレが?
ここから逃げ出すことも、夢を叶えることもできず、こんな所で死ぬのか?
「嫌だ、しに、たくない……オレは、まだ、死にたくない……! こんなところで、死ぬわけにはいかないんだよォ! オレは、超一流の戦律師になる! それまでは、死ねないんだッ!!」
「その通りです」
オレの叫びに、凛と応える声が響いた。
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