第5話
「始め!」
教官の声が響く。オレは即座に攻性術式を記憶から引っ張り出す。
──とりあえず、簡単な焼夷攻撃魔術でいっか。
魔力は「意志を持っているかのように振る舞う」エネルギーだ。魔力がもつ法則、すなわち「魔法」を理解し、応用するものが「魔術」と呼ばれる。
きちんと「魔法」を理解し、魔力さえあれば、「理論上」魔術は誰にでも行使できる。
見せてやる、オレの力──!
ターゲットに意識を集中し、体内の魔力を「ほんの少し」術式に向ける。本気を出したらこの演習場ごと吹き飛ばしかねないからな。
照準されたターゲットの周囲で魔力が反応、超高温の火炎を生成し、シールドごと一瞬で灼き払う──、はずだった。
「……あぇ?」
思わず間抜けな声が漏れた。爆散するはずのターゲットは、変わらず同じ場所に立ち続けている。
「えっ? あれっ? なんでっ!?」
もう一度集中する。でも結果は同じだった。どんなに術式を意識しても、ターゲットを狙っても、魔術が発動する気配は微塵もない。
「残り一分三十秒!」
教官の声が響く。背後から笑い声が聞こえ、思わず振り返ってしまう。A組の不安げな顔、他クラスの拍子抜けしたような、馬鹿にするような顔。こっそりスマホを向けているヤツまでいる。顔がカッと熱くなる。手が震えて、汗が噴き出した。ど、どうしよう……!
凜火が胸元で手を握り、心配そうな視線をオレに送っている。
くそ、焦るな! 乱れる呼吸を落ち着かせる。怪異に襲われたことに比べれば、大したことじゃないだろ!
……あれ?
何かが頭の中をよぎった。それはこの場を切り抜ける、打開策に繋がる気がした。落ち着け、落ち着け。
オレは昨日、怪異に襲われた。凜火に助けられる前に一度、オレは怪異の触手から逃れたハズだ。あのとき、オレは何をした……?
「──そうか!」
オレは装備が並べられたテーブルに飛びついて、一番小さなナイフを握りしめた。初めて持つ武器は重くて、手汗でハンドルが滑る。
「残り一分!」
覚悟を決めて、オレは走り出した。ターゲットに近づくと、装置で発生された魔力シールドが陽炎のように揺らいでいるのが見えた。
そこに、喰らい付いた。
前歯が、魔力の層を噛み千切る。引き千切られた魔力は綿飴のように解けると、オレに吸収されていく。シールドに穴が空いたが、すぐさま塞がれてしまう。
恥も外聞もかなぐり捨てて、オレは大口を開けてシールドに噛み付く。獣が獲物の肉を引き千切るかのように、上半身全部を使って思いっきりシールドを引き裂いた。
バジュッ!!
シールドが弾け、風圧が顔面を叩く。ナイフを両手で握りしめ、渾身の力で突き出した。
「──ォオオオオッ!!」
ぶすっ。
オレの裂帛の気合いとは裏腹に、しょぼい音を立ててナイフはターゲットに突き刺さった。
「有効! 姫桜アオハ、合格!」
背後で教官の声が響く。震える膝で振り返ると、ぽかんとした生徒たちの顔が並んでいた。その顔で、目と口が大きくなっていく。
驚愕と歓声が爆発し、衝撃波となってぶつかってきた。
「やったぜ! さすがひめひめ!」「なんだ今の!」「見たことないぞ!」「俺、アオハ姫のファンになります」「さすがおれのアオアオ!」
「さすがです。アオハさま」
頬を熱くしながら戻った俺を、凜火が出迎えた。
「ま、まあね。これくらい、よ、よゆうだね!」
オレが薄い胸(当たり前だ)を張ると、「では、次はわたしが」と凜火が名乗りを上げる。
凜火は装備のテーブルに歩み寄ると、傷だらけの鞘に「戦律科 装ー04」とラベルが貼られた日本刀を手に取る。演習エリアに向かうと思いきや、凜火は教官となにやら話を始めた。
「四神楽のやつ、どうせまた不合格だぜ」「アイツの体内魔力量、ハムスター並だからな」
背後から聞こえた声に、オレは振り返る。凜火が「また」不合格? 体内魔力量が「ハムスター並」? 凜火って、優等生なんじゃないの?
教官との話を終えた凜火が、踵を返して今度こそ演習エリアに足を踏み入れ──なかった。
「アオハさま、ちょっとよろしいですか?」
刀片手に、凜火がオレの手を引く。ぽかんとする周囲の生徒を置き去りにして、凜火は白線を跨いだ。
「え? あの、凜火さん……?」
「ご心配なく、教官の許可は取りましたから」
言葉の意味が解らず、オレは凜火の顔を見上げる。そして、思わず「ひぃ」と声を上げた。
逆光の中で、凜火の口元がまるで三日月のように吊り上がっていた。不気味な笑みに、背筋が凍り付く。
「始め!」
教官の合図が響く。その途端、凜火の両手がオレの頬を左右から包みこんだ。
「!?!?!?」
凜火が、した。オレに、キスを。
思いっきりディープなやつを。
凜火の舌が、オレの口の中をまさぐる。逃げ惑うオレの舌を絡め取り、歯茎をねぶり、甘い唾液を無理矢理飲ませてくる。
オレは棒のように立ち尽くして、指先だけをぴくぴくと痙攣させた。
……え!? なにこれ!? 夢!?
頭が一瞬でオーバーヒートし、オレの思考回路はすっぽんぽんに武装解除されてしまった。
凍り付いたのはオレだけじゃない。見物していた周囲の生徒や、教官までもが唖然として、突如演習場で繰り広げられたレズキスに言葉を失っている。
そのとき、オレは身体に異常を感じた。身体の奥底から、魔力が凜火に吸い取られている。投げ込まれた錨のロープが海に吸い込まれていくように、するすると魔力の糸が凜火に流れ込み──
「ぷはぁ……」
唇の間に唾液の橋を渡しながら、ようやく凜火が口を離す。放心するオレをその場に残して、凜火はターゲットに向き直る。
「の、残り三十秒!」
教官がハッとして声を上げる。二分半もキスされてたのかよ!? 頭から湯気を噴き出すオレの前で、凜火が姿勢を正す。
納刀したまま、凜火が瞑目する。ゆっくりと息を吸い、止める。ゆらり、と紅玉色の魔力が溢れ出し、彼女の周囲で陽炎のように揺らいだ。
カッと目を見開く凜火。直後、彼女の踏み込みが地面を抉る。僅か三歩で、凜火はターゲットとの距離をゼロにした。
凜火が抜刀。刀身に施された術式回路に魔力が流れ込み、刀身が閃光を放つ。
斬撃は一瞬。魔力シールドごとターゲットを両断し、追って刀身の術式が発動する。
一刀両断に斬り伏せられたターゲットが、焼夷魔術の追撃を受け粉々に爆散した。凄まじい威力の物理打撃に爆発、凜火の攻撃はもはや斬撃の域を超えた、砲撃だった。
ドッ、と爆風が居並ぶ生徒教官たちをなぶる。濛々と立ちこめる砂埃の中から、チン、と凜火が納刀する音だけが聞こえた。
煙が晴れると小さなクレーターの底に、炭化して原形の解らなくなったターゲットがへばりついていた。
「ゆ、有効……四神楽凜火、合格……」
教官が震える声で合格を告げる。誰もが黙り込む中、凜火は涼しい顔で刀をテーブルに片付ける。
「学園の備品が!」
青ざめた教官の悲鳴が、よく晴れた四月の空に木霊した。
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