第9話 前編

「今の、銃声だよな? 楓さんの親父さんが撃ったの……うわぁあ!?」

 凜火が、オレを肩車したまま走り出した。

「ちょ、まっ、高っ、速っ! 怖い怖い! どうしたんだよ凜火!」

「あの悲鳴は尋常ではありません。念のために確認に向かいます」

 ぐわんぐわんと揺れる中、オレは凜火の頭をべしべし叩く。足場の悪い中を、凜火は信じられない速度で駆け抜けていく。

「肩車したまま走るな! お、降ろせっ!!」

「アオハさまのおいなりさまが首裏に触れていると、わたしは筋力・魔力・持久力が5億パーセント向上するのです。故に降ろせません」

「アホ言ってないで降ろせバカぁあああああ!!」


 凜火は風を切って畑を抜け、銃声が響いた杉林の中に飛び込む。

 直後、ふたたび銃声が轟く。凜火はすぐさま針路を修正して、一直線に音源へと突っ走る。

 生い茂った笹を跳び越え、地面を抉りながら凜火がブレーキ。目の前に、楓さんの父親が猟銃を抱えてへたり込んでいた。

「!? アンタら、何しに来た! 来ちゃいかん!」

 声を荒げる親父さんを前にして、ようやく凜火がオレを地面に降ろしてくれた。うぇえ、酔った……きもちわる……

 腰を痛めたのか立ち上がれない親父さんから、凜火が猟銃を奪い取る。機関部のロックを解除すると、空薬莢が二つ飛び出し地面に転がった。

「どうしたんですか、一体。さっきの悲鳴は、それに銃声も……」

 オレの問いかけに、親父さんは蒼白な顔で唇を震わせた。

「……居たんだ」

「は? 居たって、なにが?」

「し、知るもんか! あれは……鹿……いや、あんなものが鹿であってたまるか! あれは、あれは……」

 顔面に脂汗を滲ませて、親父さんが呻く。そのとき、小枝が折れるパキッという音が林の中にこだました。

 親父さんがビクッと震え、口をつぐむ。その尋常でない怯え方に、オレの背筋に嫌な汗が流れた。

 知らず知らずのうちにオレたちは息をひそめ、音がした方へ首を捻る。

 視線の先には、苔むした大きな岩が鎮座していた。その向こう側から、枝を折り落ち葉を踏む音がゆっくりと近づいてくる。

 そして、岩陰からの一部が覗いた。

 は、鹿の角だった。けれど、猛烈な違和感がまとわりついている。


 なぜって、鹿の角は

 

 ざくざく、パキ、ぼき。

 落ち葉の降り積もった地面を踏んで、が姿を現す。

 今なら、親父さんが言葉に窮した理由が分かる。コイツは、鹿だ。けれど、こんなものが鹿であってたまるか。

 巨大な角を生やしたオス鹿の頭部が、六つ。逆さまの状態でくっ付いている。地面に突き刺した角は昆虫の脚のように蠢いて、ガサガサと音を立てる。

 いびつに繋がり合った六つの頭部からはひとつ、小さな鹿の身体が生えていた。毛皮に覆われていない、まるで生まれる前の鹿の胎児のような姿のそれは、短く細い脚をデタラメに振り回し、ひゅんひゅん、と微かな風切り音を立てている。

 悪意すら感じるグロテスクな造形。

 自然界の摂理に公然と背く異形。

 恐怖でカラカラに乾いた喉に無理やり唾を飲み込み、オレは呟く。


「——怪異だ」


 真っ先に具体的な行動を起こしたのは凜火だった。

「弾ください」

 鹿の怪異を睨み付け、凜火が左手を親父さんに突き出す。

 ハッとした親父さんが、震える手をポケットに突っ込み、数発の散弾を凜火に手渡した。

 受け取った弾を見て、凜火が眉を寄せる。「一粒弾スラッグは?」「そんん鳥撃ちに持ってくるわけないだろが!」

 舌打ちをして、凜火は散弾を猟銃の薬室に叩き込む。銃身を跳ね上げ機関部を閉鎖すると、見とれるほど綺麗なフォームで猟銃を構え、ためらいなく引き金を引いた。

 バンッ!!

 耳栓イヤマフのない耳を銃声が無遠慮にぶっ叩く。耳鳴りに顔をしかめながら、オレは怪異が銃弾に倒れるのを期待した。

 だが、そこまで簡単な相手じゃなかった。

 怪異は地面を踏みしだく角をしならせ、ぬるぬるした動きで散弾を回避した。不気味なまでに素早い。

 凜火が続けて発砲。怪異は再び回避。狙いを外した散弾が木の幹を抉る。 

「アオハさま、今のウチにおじさんを連れてお逃げください」

 発砲と装填を繰り返しながら、凜火が叫ぶ。

 オレは親父さんの腕をつかんで、重たい身体をなんとか起き上がらせた。けど、親父さんは腰の痛みに呻き声をあげ、歩みは気が遠くなるくらい遅い。

 クソ、力が足りない……!!  

 自分の非力さが腹立たしくてしかたない。疲れと恐怖で吹き出した汗を拭う。そのとき、

「お父さん!?」

 ようやく見えてきた林と畑の境界線、そこに顔を真っ青にした楓さんが立ち尽くしていた。

 ガササッ、と人ではないモノが立てる足音が、あたらしい獲物に向かって舵を切った。

 ——まずいッ!!

「親父さんごめん!!」

 オレはその場に親父さんを放り出し、楓さんに向かって駆け出した。

 直後、斜め前の茂みから鹿の怪異が飛び出してきた。狙いはどう見ても楓さんだ。

 猟銃を構えようとした凜火が慌てて銃口を逸らす。射線が完全にオレや楓さんと被さってしまっている。

 こうなればもう、間に合うのはオレしかいない。

 地面を踏みしめる怪異の角は、まるで巨大なシュレッダーだった。それが、楓さんに向かって一直線に突っ込んでいく。

 地面を思い切り蹴って、オレは駆け出す。楓さんまで残り数メートル。最後に地面を思い切り蹴って、オレは楓さんの身体を突き飛ばし——

 無数の角が、目と鼻の先にあった。

 ——ガガガガガガッ!!

 機械に巻きこまれたような騒音が響き渡り、激痛が脚から脳天に向かって突き抜ける。

 文字にならない悲鳴を上げて、オレは地面をのたうち回る。

 凜火が追いつき、怪異を遠ざけるように猟銃を発砲。角を軋ませて、怪異は木々の間をデタラメな速度で遠ざかっていく。

 痛みで涙があふれ出す。それでも声を振り絞って楓さんに叫ぶ。

「親父さん連れて今すぐ逃げてッ!」

 突き飛ばされて泥まみれになった楓さんは、それでもコクコクとうなずいて立ち上がると、親父さんを引っ張り起こして家の方へ逃げていった。

「アオハさま!」

 青ざめた顔で凜火が駆け寄ってくる。

 角の脚に巻きこまれたオレの足は、見るも無惨にズタズタにされていた。

 普通の人間なら肉が抉られ血が噴き出すところだが、オレの場合は青銀色の《賢者の石》が露出している。

「ごめんなさい。わたしのミスです……」

 凜火がオレの傷口を見て、血の気の失った顔で言う。

「……気にするな、それより、倒せそう? アレ」

 痛みを堪えて冷や汗をダラダラ流しながら訊ねると、凜火が一瞬黙り込む。

「……手持ちの弾が低威力のものしかありません。超至近距離から急所を狙えばあるいは」

 凜火の額に汗が流れる。コイツが焦るところ、初めて見たかも……

 つまりは、それくらいヤバい状況ってわけだ。

 このままじゃ、まずい。

 だったら、どうする……って、そんなの答えは一つしかないだろ。

「あー、痛ってぇ! くっそー、もう!」

「アオハさま……?」

 心配そうにオレを見つめる凛火に、オレは頬を熱くさせながら口早に問うた。


「……魔力あげたら、倒せる?」

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