第8話 後編
「今日はありがとうございます姫桜さん! えと、そちらは妹さんかしら?」
民家の軒先、二十代後半くらいのおっとりとした女性が、凜火に頭を下げてオレに微笑みかける。辺りには、白い花を咲かせた樹が立ち並んでいた。
「いえ、オレが姫桜です」
むすっ、としたオレが呟くと、「え!? あ、ごめんなさいっ」と女性が頭を下げた。
「あたしてっきり……失礼しました。えっと、あたし
ぺこり、と楓さんが頭を下げる。
「今日はウチの手伝いに来ていただいて、本当にありがとうございます」
オレのバイト先はリンゴ農家だった。学園の周辺は田んぼや果樹園が広がっていて、楓さんの果樹園もその一つだった。
農家の手伝いということで、今日の装いは動きやすい服装をしている。上は長袖のパーカーにキャップを被り、下はスポーツ用のスカートとタイツ。足下は運動靴だ。ちなみにチョイスしたのは凜火だ。学園のジャージで良いだろ、と思ったオレに押し付けてきた。
「昨年母が亡くなりまして、それ以来あたしが手伝ってきたんですけど、つい最近お父さんが腰を痛めちゃって。あたし一人じゃどうしても手が回らなくて、困ってたんです」
「具体的に、何をすれば良いですか?」
オレが楓さんに訊ねたそのとき、玄関がガラッ、と開いて、オレンジ色の帽子を被った六十代くらいの男性が顔を出した。
「あ、お父さん。こちら、今日お手伝いしてくれる学生さん」
楓さんがオレたちを紹介する。楓さんの父はオレたちを一瞥すると、フン、と鼻を鳴らして戸を後ろ手にぴしゃりと閉じた。その手に、猟銃を握って。
オレがギョッとすると、楓さんは眉を寄せた。
「また鳥撃ち? 腰悪くなるから止めなってばぁ」……鳥撃ち? 見ると、男性の右腕には「
「最近カラスが多くて敵わんからな。これ以上畑を荒らされたらかなわん」
無愛想に話す父に、楓さんは溜息をつく。「もう、お父さんの調子が悪いから、せっかくお手伝いお願いしたのに……」
娘の苦言を聞き流して、男性はオレたちをジロリと睨む。
「あんまりウロチョロせんで欲しいな。間違えて撃っちまったら目も当てられん」「お父さん!」楓さんが声を上げると、男性は重たげな足取りで敷地の奥の方へと歩いて行った。
「……ごめんなさい、あたしがお二人のこと話したから。お父さん、戦律師のことをあんまり良く思ってないみたいで」ま、あの様子はそうだろうな……
この半月ほどで、オレは世間での戦律師の肩身の狭さを思い知らされた。伯嶺学園においても、戦律科は何かと虐げられている。戦律科の教室や寮はボロくて、エアコンもない。演習場を使うにも、戦律科は後回しという不文律がまかり通っていた。
「大丈夫ですよ。気にしてませんから。それで、なにすれば良いですか?」
オレたちに任されたのは、獣害防止用ネットの補修だった。畑の裏手に広がる里山から鹿やイノシシが侵入するのを防ぐためのものだが、あちこち破損してそのままになっていたらしい。
倒れかけた支柱を直しながら、オレは何の気なしに呟く。
「戦律師のイメージ、かなり悪いんだな」
ネットの穴を塞ぎながら、凜火が答える。
「そうですね。防律師の技術が向上し始めたころから、戦律師不要論はありましたが、《第拾弐ディストラクション》以降の日本では特に風当たりが強いですね」
戦律師は怪異が発生しないと動けない、常に後手に回る存在だ。一方で、近代に入り登場した防律師──怪異の発生源たる魔力の淀みや乱れを調律し、怪異発生を未然に防ぐ調律師──の技術は日進月歩だ。いずれ、あらゆる怪異の発生を防げるようになる、とまで言われている。
だけど、
「どんな時代だって完璧なんてない。狂暴な怪異が発生したら、防律師だけじゃ対処しきれない」
だからこそ、戦律師は最後の防波堤として存在し続ける。活躍する機会がない方がいいのは確かだ。けれどそれ故に世間から「金食い虫」の誹りを受けるのは、なんだかやるせない。
特に、十七年前の《第拾弐ディストラクション》では、多くの戦律師が投入されたにも関わらず被害は拡大。防律師の手を借り伝説級怪異を討伐するも、街一つを壊滅させてしまった。街一つで済んだ、と言えなくもないのだが、それで納得してくれる人はいなかった。
世間からは白い目で見られ、時代からは置いて行かれる。改めて自分が目指そうとする立場の息苦しさを痛感させられる。
「アオハさま、ちょっと手を貸してください」
黙り込んだオレを凜火が呼ぶ。
「支柱を立て直したので、てっぺんにネットを固定したいのです」
「はあ。オレじゃ届かないけど?」
「わたしも無理です。肩車しますので、アオハさまは固定をお願いします」
そう言ってオレの前でしゃがむ凜火。肩車って……。仕方なく凜火の肩を跨ぐと、グン、と視点が持ち上がった。え、ちょっと、これ……
「高い高い! 怖い!」
二メートル以上の高さに、思わず悲鳴を上げる。すると、凜火の手がオレの太ももをむにむにと揉み始めた。
「ひゃぁっ!? てめ、このっ! こんなときになにすんだ!」
「はい? わたしはただアオハさまを落とさないようしっかりと捕まえているだけですが?」もみもみもみっ。
「やめんかっ!」
オレは怒鳴って凜火の耳をつねった。すると、
「あはぁんっ♡」
突然、凜火があられもない声を上げて、オレは飛び上がる。
「な、なんだその声っ!?」
「はい? ああ、これはですね、アオハさまからご褒美をいただく度にえっちな声が出たら面白いかなと思い身に付けました。ようやくご覧に入れられて、わたしも満足です」
ここ最近、オレは凜火のセクハラに対してつねる、という対抗策を講じてきた。それをコイツはオレの羞恥心を利用して潰しにかかってきたというわけだ。頭おかしいんじゃないの?
「マジで何やってんの……?」
「簡単なオペラント条件付けですよ」
「いや、やり方は訊いてないから。というか揉むのをやめ──」
今度は脳天ぶっ叩いたろうかと腕を振り上げた瞬間、
──ぅあああああッ!! ──ダーンッ!
「あ?」「!!」
山の中から突然悲鳴が上がり、次いで野太い発砲音が轟いた。
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