第9話 後編

「身体強化の術式を使えば、倒せるか?」

「え、ええ……」

 頷いた凜火が、ぱちりと瞬きしてオレを見つめる。

「え、良いのですか?」

 何を、とは問わなかった。だからオレも敢えて何をとは言わない。

「仕方ないだろ! 緊急事態だ!」

 顔を熱くしながらオレが怒鳴ると、今にも泣き出しそうだった凜火の顔に、ぱぁあ、と笑顔が広がっていく。くっ、綺麗な顔しやがって……

「では、失礼して」

 はむっ。

 凜火がオレの唇を奪う。唾液の絡んだ舌が、オレの魔力を旨そうに吸い上げる。凜火の瞳に、紅の光が灯る。

 口づけを終えた凜火に、オレは叫ぶ。

「行け!」

 凜火が地面を蹴った。弾丸の如く、凜火が怪異に迫る。鹿角頭も、凜火に気付くと予備動作もなく回避行動に入る。

 凜火と怪異が電光石火の勢いで林の中を荒れ狂う。足場にされた大木がたわみ、枝葉が降り注ぐ。さながら戦闘機の空中戦の如き機動で、凜火が怪異の背後を……取った!

 猟銃をレイピアのように突き立て、凜火が発砲。散弾が魔力シールドを損壊させる。続けて発砲。快音を響かせシールドが砕け散る。しかし、凜火も残弾ゼロ。

 足をばたつかせていた鹿の胎児が、光を歪めたようにぐにゃりと伸びる。鞭のような脚の一撃が凜火に迫る。

 ──ヂッ! 蹄が凜火の頬を掠め、パッと血が舞う。

 それでも臆することなく、凜火は猟銃を振るった。機関部を解放、薬莢が宙を舞う。指の間に挟んでいた二発の散弾を薬室に叩き込み、猟銃をバトンのように回転させる。薬室閉鎖の音がバシャッ! と響いた時には、既に凜火は照準を終えていた。

 甲高い銃声が二発、山林に鳴り響く。次いで巨体が倒れ伏す衝撃が地面を揺るがした。


    ◆ ◆ ◆


「ほんっとうに、ありがとうございました!!」

 楓さんが、腰を九十度にして頭を下げた。

「まさか、こんなことになるなんて、一体、どうお礼をすれば……」

「気にならず。戦律師としての仕事をしただけですから」

 ほっぺたに絆創膏を貼った凜火が首を振る。

「ですが、お二人に怪我までさせてしまって……」

 楓さんはおろおろした視線をオレに向け、「あれ……?」と首を傾げる。

「あ、オレはただ服が破けただけなので、大丈夫ですよ」

「え、でも……」不思議そうな顔の楓さんに、オレは笑みを浮かべて安心させる。

 怪異の角でズタズタにされたオレの足は、既に完治していた。ただ、引き裂かれたタイツだけはどうしようもなかったので、今はスカートに生足で非常にスースーする。

 オレが若干内股になっていると、親父さんが現れた。しばらくムスッと黙り込んでいた親父さんだったが、不意に口を開いた。

「俺ァ、戦律師は嫌いだ」

 楓さんがぎょっとした顔で声を荒げる。「お父さん!」

 そんな楓さんを親父さんは手で制し、言葉を続けた。

「だがな、今日あんたらがいなかったら俺ァあのバケモンに殺されてた。あんたらは俺の命の恩人だ。ありがとう、感謝する……」

 帽子を取り、親父さんが頭を下げた。楓さんは目を丸くして父親の姿を見つめていたが、やがて穏やかな笑みを取り戻した。

「戦律師も、案外捨てたモンじゃあねえな」

 頭を上げた親父さんが、ぼそっと呟いた。

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