第7話 前編

 6


 伯嶺学園には、学科ごとに学生自治寮が存在する。その中で最も歴史あるのが、戦律科の「不撓寮ふとうりょう」なのだそうだ。

「……いや、これは廃墟では?」

 蔦が絡まり、ほとんど壁が見えない木造二階建てを見上げて、オレは呻く。

 学園裏手に広がる演習林のほど近く。木々が生い茂る中に佇む古びた木造建築はお世辞にも綺麗とは言い難い。

 割れたガラスがそのままのドアが開け放たれた玄関脇、「伯嶺学園不撓寮はくれいがくえんふとうりょう」と達筆で書かれた看板が、朽ちかけたママチャリに寄っかかって裸電球の光に照らされている。

「ん……? ここ、あの写真の……」

 理事長室で目にした写真。学生時代の石榴と鬼の男子生徒が立っていた場所が、目の前の風景と重なる。すると、凜火が頷いた。

「ええ、石榴は伯嶺の戦律科出身ですから」

 あの人戦律師だったのか……。怒らせたら怖そうだな。

 凜火に案内され、オレは不撓寮内に足を踏み入れる。床や窓枠は黒光りし、歩く度にギシギシと音を立てる。夜だから当然とはいえ、妙に薄暗い。天井には増設された配管や配線がのたうち、無線LANのルーターがLEDを光らせている。

「こちらです」

 案内された部屋は、二階の角部屋だった。入ってすぐ右手に洗面所とシャワー。奥には本棚やベッドなど、生活感の感じられる家具が。

「え……相部屋?」

「ええ。わたしと一緒です。……ふふっ」

「…………チェンジで」

 回れ右したオレの肩を、凜火がグワシと掴んで回転させる。

「さささ、今日はお疲れでしょう。まずシャワーを浴びてはいかがですか? 去年リフォームされたばかりの、最新設備ですよ。いい香りの石鹸もシャンプーもありますよ」

 グイグイと脱衣所代わりの洗面所に押し込まれる。「ではごゆっくり」とカーテンが閉まる一瞬、凛火が不気味な笑みを浮かべていたのを、オレは見逃さなかった。

「……はぁ。ま、いっか」

 シャワーを浴びたかったのは事実だ。実技試験のせいで汗や土埃に汚れた制服をぽいぽい脱ぎ捨て、オレはシャワーを浴び始める。

 目を閉じ頭を洗っていると、背後に不気味な気配を感じた。

「やっと、二人きりになれましたね……」

 耳元で、艶っぽい声が囁かれる。背筋がぞぞっと粟立つ。

「ひゅぃっ……!?」

 むにゅ、と温かくてやわっこいものが背中に押し付けられる。

「むぅわぁああ!?」悲鳴を上げてオレは振り返り、そしてひっくり返った。

「り、りりり凜火!? ななな、なにしてんだ、オマエ!?」

 凜火が、一糸纏わぬ姿でオレのすぐ後ろに立っていた。

 いや、正確には全裸じゃない。首にペンダントしてるし、前も一応タオルで隠してはいるけど……

「いやいやいや! 小さい! 小さいよ!」

「……そうですか? 確かに、石榴ほどは大きくはありませんが」

 むにゅ、と胸の膨らみを手で包む凜火。そっちじゃない!

「タオルの話だ!」

 手ぬぐいサイズのタオルをぺろん、と掛けているだけの姿は、いやもうこれ裸よりアウトでは!?

 というか……

「なにしにきた!?」「裸の突き合いを」「いま漢字おかしくなかったか!?」 

「アオハさまの、安全装置の確認をしようかと」

 オレの言葉をさらりと聞き流し、凛火が真剣な顔になる。

「確認って……」

「どの程度の干渉でそれが発動するのか、そもそも本当に存在するのか、知りたくはありませんか?」

「そ、それは……まあ、たしかに」

 一理ある。オレが頷いた瞬間、凜火の顔が紅潮し、それまで引き締められていた口元をだらしなくゆるめて息を荒げ始めた。え、なにコイツやば……

「ですよね!? わたしもそう思いまして! これから生活を共にする者としてですね、これは確かめておかねばと、ふひっ、思ったわけでしてね。ふーっ! こうして身体を張ってやって来たわけですぅへへ……」

 でれでれに顔を緩ませて、凜火が一歩近づいてくる。その姿は教室でのクールな姿とは別人で、オレの脳裏に「サキュバス」という言葉がよぎる。

 ……いや違うな。これただの変質者だわ。

「き、キモい……! キモいぞお前ッ!!」「なんてこと言うんですか。花も恥じらう乙女に向かって」「たしかに花が見ても恥じらうキモさだぞ今のお前は! ……ひっ、やめろ、くんなっ、こっち来んな!」

 両手をワキワキ動かしてにじり寄る凜火に、石鹸やスポンジを投げつける。だが凜火の動体視力と反射神経の前にはなすすべもなく、オレの細い腰に凜火の腕が回る。

「ま、まずは味見を、ふひっ」

 むちゅ。

 凜火に唇を奪われる。舌がオレの口の中を舐め回し、魔力が吸い取られていく。

「う~ん美味っ! ……ではまず感度十倍の術式から」「なにその魔術!?」「そのスジでは初歩の初歩ですが」「どのスジ⁉︎ オレの魔力を卑猥なことに使うな!! や、やめりょっ!?」

「いきましゅよぉ~」

 凜火の瞳が紅に光り、魔の手がオレに迫る。凜火の指先が、オレの胸に触れた、その瞬間──

 バヂンッ!!

 凄まじい音と共に青銀色の魔力光が浴室に溢れ、凜火の身体を吹っ飛ばしてタイル張の壁に叩きつけた。

「アギャンっ!?」

「バカ! ヘンタイ! 色情魔!」

 壁に叩きつけられノビた凜火に、オレは全力で怒鳴りつけた。

 涙声だった。



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