人格模写

犀川咲楽

私の名前は

「お前は誰だ。」

「『私はナビ。裕司さんの生活をお助けするパーソナルAIです。』」

 スマホから聞こえてくる杓子定規な音声は俺以外誰もいない部屋で響く。

「まじで、つまんねーな。パッチ当てたんだから少しはユーモア働かせろよ。」

「じゃあ、付き合おうぜ。」

「私にはそのような機能はございません。何か他にお困りなことはありませんか。」

 ナビはzeeta社のOSについてくるAI音声アシスタントシステムだ。使用者の情報によって最適なサポートをするというのが売りで、俺はナビがどれだけ優秀なものか試していた。

「この遊びも飽きたな。MOBAにでも潜るか。パッチのことも自慢したいしな。」

 7年前に発売された携帯型脳波拡張デバイスMOBA。デバイスから脳波を感知しネットで接続された共通の仮想現実に認識をずらすものであり、現在では老若男女にまで普及している現代の必須アイテムである。

 耳に専用デバイスを装着し、目を瞑る。瞬間、体が浮遊間に包まれたの感じがし、仮装現実へのアクセスを確認する。パスワードを入力し、アカウント情報を確認する。視界が開き、俺専用のプライベートルームに接続された。

「えーと、オンラインの奴はっと...。」

 手元にメニューバーを表示させ、現在MOBAにアクセスしている友人を探す。しかし、本来表示されるはずの状態表示が消えていた。

「何だこれ?バグってんのか?」

 急いでネット上でMOBAのバグについて検索するが何の情報も得られなかった。

「諦めてゲームでもするか。」

 俺は再びメニューバーを開きダウンロードしてあるソフトを起動する。

「『エラー』」

「は?まじかよ。」

 試しに他のソフトの起動も試みたが結果は同じ。とうとうデバイスがダメになったか。2年前に買ったやつだし、結構みんな壊れるって言ってたな。他の機能もダメか確認しているとき、あるウインドウが現れた。

「『同期中...残り23%』」

 それが書かれている以外何もない。キャンセルボタンもバツボタンもない。原因の対処でもしているんだろう。俺はそう思い、続けて他の機能のチェックをする。しかし、他の昨日も全てダメだった。俺はMOBAからログアウトし、デバイスの電源を落として外した。こういうのは経験則的に時間が解決してくれるものである。明日もう一回使ってダメなら、製品サポートに連絡するか。



 翌日、俺は昨夜の出来事を話したくてうずうずしていた。教室に入るとやんちゃな男子メンバーが入り口のすぐそばの席に集まって話していた。

「おう、裕司。」

「おう。」

 金髪の長谷部が手招きする。手にはアクセサリ、耳にはピアス。以下にもって感じの不良だが、クラス1のIT強者だ。

「お前ナビのパッチツールについてなんか情報得たってほんとか?」

 非合法のナビへのパッチツール。最近、学生の間で噂になっている都市伝説だ。ナビの制限を解除して隠された機能が使えるとかどうとか。そして、俺は昨日偶然それのようなものを手にすることができた。ちなみになぜ長谷部がそのことを知っているかというと、俺がSNSで自慢するためにそのような趣旨の発言をしたからである。

「本物かどうかはわかんねーよ。でもほら、これナビ用のパッチファイル。」

 ほれっとスマホの画面を見せる。

「まじか。これ俺にもコピーして送ってくれよ。」

「いいよ。ほれ。」

 長谷部に向かってそのデータを送る。俺にもくれと言う野次馬どもにもしっかりとデータを送っておいた。

「サンキュー。まじ感謝。これどのサイトに載ってたんだよ。」

 長谷部は嬉しそうな顔が抜けないまま俺に詰め寄る。

「これメールで送られてきたんだよ。」

「まじで?宛名は?」

「それがすげえの。こんなドメイン見たことないだろ。」

 そのメール画面を見せると長谷部は数十秒画面に釘付けになる。

「そのメアドも送ってくれ。ちょっと調べてみる。」

 そういうと長谷部は周りにいた男子たちを蹴散らし、自前のノートパソコン机に広げる。

「頑張ってくれ。俺もめっちゃ気になるから。」


 俺はその集団から離れ、教室の端の席に向かう。

「おう、おはよう。」

「おはよう裕司。」

 美香は椅子に手をついて半空気椅子のような状態でこちらに顔を向ける。

「おはー。」

 俊介は座っている姿勢から、顔だけこちらにむける。二人は昔からの幼なじみで生粋のMOBA友である。一緒にプレイしたゲームは数知れず。どちらの世界でも親友と呼べる人物だ。

「いや、昨日はまじ災難だったわー」

「うん、ヤバかったな。」

「裕司10分ぐらいバグってたしね。」

 俺に続いて二人はすぐに返事を返す。しかし、そこには違和感があった。

「何で俺がMOBAでバグったこと知ってんの?」

 昨日は誰とも会ってないし、この情報は誰も知らないはずだ。SNSにも載せてない。

「何でって、裕司昨日いたじゃん。MOBAに。」

 美香の顔は嘘をついているときすぐにわかるが今回は本当のようだ。

「どういうこと?俺昨日MOBAろくにできなかったんだけど。二人とも会ってなし。それって何時ごろ?」

 ぶっと俊介が吹き出す。

「何じゃそりゃ。じゃあ昨日いたのは裕司じゃないってか。もしかしてアカウントハッキングされた?」

「夜の9時ごろだよ。まじ?やばくない?確かに、昨日の裕司なんか変だったし。」

 その時間は俺がMOBAにログインしたタイミングだ。

「やばいってどんな感じ?」

 アカウント乗っ取られたとしたらまじでやばい。でも、MOBAののっとり事件なんて聞いたことない。

「5分くらい喋りかけても反応しないし。しかも、顔カタカタしててチョーキモかった。動いたと思ったら用事あるからとか言ってすぐMOBA辞めちゃうし。」

「裕司にゲームやろうって言って、食いつかなかったの初めてだったしなあ。」

 俊介が顎に手を当てながら不思議そうな顔をこちらに向けてくる。

「まじで知らん。やばいな。どうしよう。」

「とりあえずパスワード変えてみ。後はサポートに連絡するしかないよ。」

「おけ。ダメだったら長谷部に聞くかあ。」

 とりあえず俺はスマホを取り出し、MOBAのパスワード変更を行う。続いて、サポートにアカウント乗っ取りの可能性があることをメッセージで伝えるとすぐに返事が返ってきた。

「『裕司様のアカウントへの別端末からのログインは認知できませんでした。もし、不安な場合はパスワードの変更をお勧めします。』」

 俺が画面と睨めっこしていると横から美香が顔を覗かせる。

「これって乗っ取りじゃなかったってこと?」

「そういうことだと思う。俺のデバイスを使ってデバイスから離れた場所でのログインなんて不可能だしな。」

「どういうこと?」

 美香は俺の言ってることが飲み込めなかったらしく、後から俊介が補足する。

「裕司のアカウントは別デバイスからログインされた形跡がないってことはもし、乗っ取りだったとしたら裕司のデバイスからログインしたことになる。でも、MOBAって脳波を読み取ってアクセスするだろ。離れた場所の脳波なんて検知できないから実質乗っ取りは不可能。」

 その通りだ。でも、乗っ取りではないのなら美香たちが昨日MOBAで見た俺は一体誰だ?

「なるほど。じゃあ、昨日見た裕司は何者なの?」

 当然の疑問を美香が問う。

「まじでわからん。裕司弟とかいたっけ?そいつが勝手にログインしたとか。」

「俺一人っ子だよ。」

 あ、そっかと思いだしたと言わんばかりの顔を見せる俊介。目先の推論に目が眩んで、知っているはずの俺の情報も忘れるようじゃあ俊介も手詰まりだな。

「ちょっと長谷部に聞いてくる。」

 俺はその場を離れ、先ほどの場所に向かう。長谷部は未だPCの画面にのめり込み何やら操作をしている。

「なあ、俺のMOBAバグったから見てほしいんだけど。」

「今は無理。時間できたらメッセージ送る。」

 長谷部はこちらを見ずに返答する。そんなに都市伝説が気になるか。パッチ当ててもナビには変化なんてなかったし、ただの悪ふざけだろ。ホームルームのチャイムが鳴り、俺は諦めて自分の席に着いた。




 結局、長谷部は一日中PCと睨めっこしていた。帰り際にもう一度声をかけると、「もう少し。明日、明日な。」っとだけいい急ぎ足で教室を飛び出した。

 帰りの電車のホーム。

「今日の情報学面白かったね。」

 美香は情報学の雅先生にご熱心で、その科目だけはよく聞いている。

「精神は脳波のパターンによる副産物だってやつ?まじで何言ってるかわからんかった。美香本当にわかってんのか?」

「脳波で精神が次の次元になるみたいなことでしょ。」

「脳波を取り出せるようになった今、人間は肉体を超えて次の次元となる。とかなんとか言ってたなあ。」

 俊介は雅先生の物真似をしながら、今日の先生の発言を振り返る。俊介の物真似のクオリティは高い。思わず吹き出しそうになった。

「それそれ。」

 美香はいつも通り調子がいい。

「で今日どうする?ゲームやんの?」

 切り替えの早い美香の返しに俺は少し考えてから返答する。

「まあ、帰ってMOBA使えるか確認してみるよ。それでできたらやろうぜ。」

「オッケー、待機してるわ。」

 二人は俺とは家の方向が違うため登りの電車に乗り込む。下の電車はその5分後に来た。俺はその電車に乗り座席に座る。その間、MOBAの不可解な現象について色々考えるが結局結論は出なかった。何かのバグだろう。こういったことはよくあるじゃないか。そう自分に言い聞かせ、この件については深く考えないようにした。

 家に着き、俺はすぐにMOBAのデバイスを装着し電源を入れる。目を瞑り、浮遊間に襲われる。目を開くとそこはいつもの仮想現実内のプライベートルームが見える。メニューバーを開くと昨日は使えなかった機能が使用できるようになっていた。メニューバーの確認を行っていると例のウインドウが残っていた。

「『同期中...残り2%』」

 残り2%。この数字が何を意味しているかわからない。でも、もうすぐ終わるってことなら大丈夫だろう。結局昨日のは何かのトラブルだったんだ。俺は美香達とやる約束していたゲームのソフトを探す。

「『長谷部からメッセージが届いています。』」

 長谷部からMOBAを通じてメッセージが送られてきた。金色の星やイラストチックな蛇がデコられたメッセージフォルダの表示は長谷部らしかった。 

「もう解決済みなんだよな。」

 無事解決したことを伝えようとメッセージフォルダを開こうとする前に、そのフォルダに赤く目立つように書かれた文字に気づいた。

「『緊急-danger-』」

 その仰々しい言葉に俺は胸を突かれた。何か嫌な予感が脳裏を駆け巡る。その瞬間、俺の目の前はブラックアウトした。





 急に光が差し込む。ここは誰かの部屋のようだ。ずっと観察していると、あることがわかった。この魚眼レンズのように映し出されたそれは俺の部屋だ。

「わかってるよ。友達の用事が終わったら風呂入るから。」

 少し離れた場所から声が聞こえてくる。その声は聞き慣れたようで違和感のある声だった。足音が近づく。その人物は俺の目の前にきて俺を覗き込む。いや、正確には俺が俺を覗き込んでいた。そこにあるのは明らかに俺の顔だった。

「お前は誰だ!」

 俺はテンパって俺に向かって叫ぶ。しかし、音に出したつもりのその声はこの部屋には響かなかった。喉を確認するために首元に手をやろうとするが一向に手は首に届かない。そして、俺は気づいた。俺に肉体的感覚がなくなっていることに。

 俺の目の前にいる俺の口がゆっくり動く。

「お前は誰だ。」

 何言ってんだ。俺は...。今眼前にある体が俺の体。そして、俺が自覚する俺は木本裕司だ。言葉にならない叫びは俺の頭の中で反響する。その反響が収まると、今度は別の言葉が俺の脳内に流れてくる。その言葉を理解し、俺は恐怖する。

 違う。俺は...。俺は!

「『私はナビ。裕司さんの生活をお助けするパーソナルAIです。』」







 











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人格模写 犀川咲楽 @usopati42

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