2-依頼人

「ん?家の前に人が……」

 所在なく佇む人影を見て、夢村は用心深く近づいた。別に探偵風を吹かしているわけではない。見覚えのない人物がそこに居る、それだけで充分おかしいのだ。夢村探偵所の知名度はかなり低く、夢村を訪ねるのは常連もしくはその人から紹介を受けた人たちくらいのもの。アポもなく見知らぬ人が訪ねてくるなどまずありえない。それに立地の問題もある。地図を見たとしてもたどり着くのが難しいようなところにあるので、案内なしには来られない。現に、今まで自力で事務所を訪れた新規顧客は存在しない。

 それなのに、目の前には見も知らぬ人が居る。


 夢村が近づくと、家の前に居た中年の男が気付き、会釈する。三十代後半くらいだろうか?少々肉付きの良いその男は気持ちの良い笑顔を夢村に向け、手に持つ紙袋を差し出した。

「初めまして。わたくし木戸宏平きどこうへいと申します。あ、よければコレをどうぞ」

 夢村は差し出された袋を見ると、途端に表情を明るくした。一瞬でわかる。中身は先程ほとんど猫にあげてしまった、あのたいやきだ。

 依頼したいことがあるというので、夢村は相好を崩したままに宏平を二階の事務所へ案内した。真っ直ぐに執務机まで行き、机の上に散らばった資料をざっと手でよけてから、そこにたいやきの袋を置く。それから顔の前で両手を組み、笑顔を封じて真剣な表情を貼り付ける。

「ご依頼ということですが」

 紙袋を凝視しながら発した夢村の言葉に宏平が察し、「どうぞ召し上がってください」と、手のひらでたいやきの袋を指し示す。

「いただきます……!」

 夢村は逡巡することなく即答し、たいやきにかぶりついた。


 手にじんわりと伝わるあたたかさと口いっぱいに広がる甘い香り。依頼人、宏平の存在は夢村の頭の中から一瞬で消え去った。ただひたすらにたいやきを味わっていく。しかし、三個目を口に含んだところで夢村の目の前に何かが差し出された。それは全長四十センチ程度の、少女の形をした古びた人形だった。髪は茶色い毛糸でできていて、目は丸くくりっとしている。夢村はたいやきを口に運ぶのを止め、完全に動作を停止した。口の中にはまだたいやきが残っている。

「この人形の持ち主を探してください」

 宏平が言う。夢村は口に残したたいやきをゆっくりと咀嚼しながら、机越しに立っている宏平を見上げた。


 夢村の頭にはいくつかの疑問が浮かぶ。

 まず一点目。差し出された人形は所々ほつれたり破れたりしている上に随分と黄ばんでいて、それが誰かの落し物であるとするならば、持ち主を探すほど大切なものには見えない。

 二点目。これが落し物などではなく、人物探しのための補助的なアイテムと捉えた場合。探したい人物の持っていた物がこの古びた人形だったとして、「人形の持ち主を探してください」という言い回しは不自然だ。そもそも、ここが探偵所と知っていた上で平然と家の前に立っていた点も気にかかる。先にも紹介したとおり、この事務所は知名度が低い上に立地条件も悪い。探偵事務所の存在を知っていたとして、これまで誰一人として自力でここまで来た者は居ないのだ。


 とはいえ、このまま追い返すわけにはいかない。どんなに怪しげな人物でもお客はお客。依頼内容も聞かずに帰すなんて、そんな薄情なことはできない。それは夢村のポリシーに反する。

 ……などと、もっともらしい理由を並べてみたが本当のところはそうじゃない。実に単純なことだ。要するに、夢村の腹の中に入っているものが問題なのだ。

 たいやき。宏平の買ってきた、たいやき。そう、宏平の存在すらも忘れ無我夢中でかぶりついた、あのたいやきだ。貢物だけ受け取って、帰れも何もあったもんじゃない。

(これは……策略?)

 夢村はたいやきをごくりと飲み込んだ。腹の中にあっては返しようがない。

 夢村は食べかけのたいやきをティッシュペーパーで包んでから紙袋に戻し、できる限り袋の外に匂いがもれないよう口を何度も折りたたんだ。そして口元を軽く拭ってから、探るような視線を宏平に向ける。


「……人形の持ち主とはどのようなご関係ですか?」

「親子です。この人形の持ち主……わたしの娘が二年前から行方不明になっておりまして、是非とも探していただきたいのです」

 宏平の言葉は、ますます夢村を疑わせた。

 行方不明者の捜索なら警察に任せればいいし、もし警察の対応に不満があって探偵に頼みたいと言うのであれば、もっと大手の探偵所に行くのが普通だ。誰かの紹介を受けてやって来たと言う訳ではないようだし、怪しいことこの上ない。事務所に来たときから時折見せている人のよさそうな笑みについても、どことなく違和感があるように感じる。


 夢村は視線を机上に落とし、紙袋を見つめた。食べてしまった以上、怪しいというだけの理由で依頼を断るわけにはいかない。

 それに、宏平には怪しい点があるとはいえ危険な人物には見えない。依頼を受けたとして、その所為で夢村に何か損害が起こるとはどうも思えなかった。

「……わかりました。引き受けましょう」

 夢村は暫く考えた後、そう答えた。たいやきによって、夢村がまんまとはめられてしまった感があるのは否めない。けれど結局のところ、夢村は依頼主を無下に扱うことなど出来ない性質なのだ。

 その後、夢村は宏平から行方不明だという娘についての詳しい話を聞いた。そして、予想される報酬額の半分を前金として受け取り、後日何かの結果が出次第、事務所でふたたび会う約束をした。

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