1-夢村という男

「たいやき六個、くださいな」

 軽やかに響いた声は夢村ゆめむらという男のもの。夢村は嬉しさが堪えきれないといった様子で、右手に握りしめたお金を差し出している。先日二十四歳を迎えたばかりの夢村であるが、嬉々としてたいやきを待つその姿は、まるで幼い子供のようだ。


京斗けいと君は本当にたいやきが好きだねぇ」

 カウンターの奥で、白髪交じりの女性が嬉しそうに笑う。

「はい!大好きです」

 夢村は即答する。夢村の生活には余裕がそれほどなく、頻繁に買いに来ることはできない。だけどお金さえあれば毎日だって食べ続けたいほど、たいやきが大好物なのだ。

「それじゃあ、今日はおばちゃんすごく機嫌が良いから、一つおまけしてあげようね」

「わあ!ありがとうございます」

 夢村が満面の笑みを浮かべる。

 実はこのところは仕事の入りが少なく、たいやきを買うような余剰は少しも持ち得ないのだが、どうしてもたいやきを食べたいという衝動を抑えきれずに小銭だけを握りしめて意気揚々と買いに出てきてしまったのだ。

 そんな心情で手に入れるたいやきは、増えれば増えるほど喜びへと換算される。

 もちろん、普通の状態であったとしても歓喜に震えることには違いないのだが……。

(今日は、とくに嬉しい)


 夢村の自宅に残してきたお金はわずか二千と九十円。次の仕事がいつごろ入るかは運と時の定めに任せているので、いつになるのかは誰にもわからない。本来であれば焦燥するなり悲嘆するなりしてしかるべき状況だというのに、夢村はまったく焦ってもいなければ悲観もしていなかった。


 夢村は受け取った紙袋をしっかりとかかえ、微かに漏れてくる甘い香りを嗅いでからにんまりと笑った。

 大好きなたいやきが七個も入っている。その嬉しさのあまりスキップをしながら帰りそうになる身体を、大人の理性が懸命に押しとどめる。

 二十半ばの男が満面の笑みを浮かべてスキップをする姿は、控えめに言っても気持ちが悪く怪しげだ。


 夢村は、はやる心のままに急ぎ足で帰路へとついた。しかし、大通りを抜けて小道に入ったところで急にペースが落ちる。なぜなら十数匹に及ぶ様々な種類の猫たちが、足元へまとわりついてきたからだ。猫たちは夢村を見上げ、大合唱をしている。

「おはよう、みんな」

 そう言ってがさりごそりと紙袋をあさり、買ったばかりのたいやきを一つ取り出して放り投げる。

 大合唱は瞬時に悲鳴へと転じ、猫たちはたいやきに飛びついた。けれどたいやき一個に対して猫十数匹。すべての猫がたいやきにありつける訳もなく、とりっぱぐれた猫たちが夢村のズボンの裾を引っかいたり噛んだりして次の催促をし始めた。


「うーん……仕様がないなあ」

 夢村は困ったように頭を掻きながらも、新しいたいやきを地面に落とす。しかしそれでも取りあぐねてしまった猫たちがさらに次を催促する。しまいには食べ終わった猫たちがおかわりを要求しだしたりして、手元のたいやきは次々と減っていった。


「こら、久々に手に入れた貴重なたいやきなんだぞ。今度安いパンでも買ってくるからそれで勘弁してくれよ」

 そう言いながらも猫の催促に押し切られるようにしてついおかわりを与えてしまい、あっという間に残り一個となってしまった。夢村は紙袋の口をぎゅっと握り、頭上に持ち上げる。

「さすがにコレはあげられません!」

 夢村は宣言し、大急ぎで細い小道に駆け込んだ。慣れた足取りでくねくねと何度も道を曲がり、小さな追っ手たちから逃走する。


 しばらくは逃走劇が続いたが、ある程度進むとみな諦めてそれぞれの生活拠点へと戻っていった。


 夢村は辺りを見回し猫たちが居なくなったのを確かめてから、紙袋の中に残った最後のたいやきを取り出した。猫たちが食べているのを見ていたせいで、食欲が刺激されてしまったのだ。

 夢村は歩きながらたいやきにかぶりつく。

 さっくりとした食感のあとに続くふんわりとした感触。咀嚼をすれば、程よい甘みが口の中へやさしく広がっていく。外側はパリッと硬め、内側は柔らかさを保った絶妙な焼き加減の生地と、控え目な甘さで仕上げられたつぶ餡との相性が抜群だ。

「幸せだ……」

 夢村は至福の表情でたいやきを頬張りながら、細道を歩いていく。このあたりの地形はかなり複雑で、「住宅をも組み込んだ、地域を丸ごと利用した巨大迷路を建設しました」などと言われても納得の、細くて入り組んだ道が所嫌わず続いている。

 そんな入り組んだ一帯の中に、夢村の家……兼、探偵所が存在している。


 そう。この夢村京斗、実は探偵なのだ。

 創業したのは夢村の父親で、上げた看板の名は『夢村探偵所』

 一階が住居で二階が事務所となっている。案内なしではたどり着けないような複雑な場所に事務所を置いたのは、ひとえに予算の問題だろう。

 父親は夢村が幼いころに亡くなっているため真実はわかりようがないが、おそらく現在の夢村と同じようにあまり余裕のない生活をしていたに違いないと夢村は思っている。でなければもう少しわかりやすい場所に事務所を構えたはずだ。


 この一帯には驚くほどたくさん家があるにも関わらず、そのほとんどは空き家のまま放置されている。ゆえに、ここに居住者がいることを知る人は少ない。それにもし知っていたとしても尋ねようと思う人は稀で、また、尋ねようとしたところで案内なしに辿り着ける人はまずいない。

 けれど夢村は、この場所をそれなりに気に入っていた。周囲の建物は空家ばかりとはいえ、それは決してさびれた幽霊屋敷のようなものではなく、並んでいるのは小洒落た洋風の家々で景観は悪くない。その中にひっそりとたたずむ夢村の家は、さながら小説などに出てくる隠れ家のようで、趣がある。


 一つ不満をあげるとすれば、探偵所内に唯一存在する大きな窓からの眺めが悪いことだ。実際のところ、眺めという言葉をあてがうには相応しくなく、あえて言うならば“窓枠のはまった壁”もしくは“質の悪いフェイク窓”と表すのが最も似つかわしい。驚くことに窓枠の向こう、十五センチほど先には隣の家の壁が立ち塞ぎ、夢村がどんなにがんばって窓の外を覗いてみようとも、そこから見えるものは押しやるような赤茶色の外壁と細い道、そしてわずかに見えるちっぽけな空だけしかない。周辺には一軒家が多く、どの家も屋根が低い。通常であれば二階部分にある事務所の窓からの見晴らしは良いはずなのに、隣の家だけは例外で、完全に外の景色を遮っている。当然、人は住んでいない。この近辺ではかなり珍しい三階建ての家屋なので、昔は大所帯の一家が住んでいたのかもしれない。

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