バイバイサンキュー
ぼくは故郷を離れることにした。
田舎の居心地もいいが、憧れの都会に住んでみたかった。
高校も卒業し、明日が旅立ちの日だった。
「ありがとね」
ぼくのベッドの上で彼女がそう言った。
お互いに毛布にくるまって、3月の肌寒さを温めていた。
「こっちこそ、夜遅くに来てくれて嬉しいよ」
「だって最後なんだもん」
はっきりとそう言う彼女に、嫌味にようなものはない。
ぼくが街を出ることを彼女は応援してくれた。
「でも、これで最後かぁ……気持ちよかったのに」
「ぼくもだよ。きみがいなくて寂しい」
「右手があるでしょ」
「きみの代わりは右手には務まらないよ」
ふたりで笑い合うと、ベッドがきしんだ。
思えば、ぼくと彼女はずっと一緒にいた。
高校の思い出の大半は、彼女との思い出だ。
「寂しくなったら、いつでも帰ってきていいんだよ」
これからぼくが住む都会に、もちろん彼女はいない。
「そうするよ」
「5月に来るとみた」
「早いね」
「ホームシックはそんなものでしょ」
そう言うと、流れていた音楽が終わった。
セックスの時からかけっぱなしだった。
あっという間に75分が過ぎたのか、と思う。
「ね、あの曲流そうよ」
「当てよう。二番目の曲だね」
「さすが」
ぼくは片手を伸ばし、ベッド脇のスピーカーに手を伸ばした。
二曲目を再生すると、イントロのギターメロディが流れた。
「きたきた」
「絶対これだと思ったよ」
「そもそもこれがセットしてあるんだもん。あなたが求めてたでしょ」
「どうかな」
ぼくたちは毛布の中で指と指を絡ませた。
『明日はとうとう出発する日だ 最後の夜なのにすることがなくて』
歌詞が始まったとたんに、彼女は笑いだした。
「だってさ」
「いいだろ。することがあったって」
「しなきゃいけないことだからね」
「そういうこと」
「上着はちゃんとかばんに詰めた?」
「着てくことにした」
「あなたらしいね」
曲が進むたびに、彼女は歌詞をぼくと重ねた。
そのやりとりを繰り返していくうちに、ぼくの気持ちは落ち着いていく。
片付けはひとつひとつやるべきだ、ということらしい。
「都会に行ったらなにをするの?」
「うーん……やっぱりギターかな」
「いいね。弾けるようになったら聴かせてよ」
「3年は帰れないかも」
「下手でもいいから」
彼女はいつも、ぼくに質問をしてくれた。
昨日の晩ごはんから、将来の夢まで、全てを聞いてくれた。
ぼくはいつも話してばかりだった。
「きみはこれからどうするの」
だから、最後の日ぐらいは、彼女のことを聞きたかった。
「決めてない」
はっきりとそう言ったので、ぼくは笑ってしまった。
「大学は地元だろ」
「そう。でも、これでよかったのかなって思う」
ぼくは音楽のボリュームを少し下げた。
ありがとう、と彼女は言った。
「あなたみたいに、私も都会に行けばよかったかな」
「じゃあ、そうしようよ」
「今から?」
「大学ってさ、来年でも入れるんだよ」
あはは、と彼女は笑う。
「私はここにいるよ。お父さんが心配だし」
「身体の具合はまだ悪い?」
「落ち着いてはきたけど、やっぱり一緒にいたいから」
「そう」
ぼくは少しだけ彼女の父親に嫉妬した。
音楽がサビにはいった。『ぼくの場所はどこなんだ』が胸に刺さる。
「今、歌詞について考えてるでしょ」
「なんでわかったの」
「なんででしょう」
彼女はほほえんだ。
ぼくたちはお互いの気持ちをわかりあっている。
悪く言えば『慣れた状態』。
良く言えば『落ち着いた状態』。
恋はすでに過ぎた。今はぼくたちには愛がある、と勝手に思っている。
「はじめからわかってるよ。ぼくの場所はここだって」
「あっ、まだそこまで音楽行ってないのにぃ」
「フライングだった?」
「心を動かすのが音楽でしょ」
「ごめん」
このアルバムは擦り切れるぐらいに聴いた。
好きというより、なくてはならないと言ったほうがしっくりくる。
彼女と感情を共有できるぐらいには聴いた、そんなアルバム。
「ねぇ」
「なに」
「私のこと、忘れてもいいんだよ」
なにげなく彼女がそう言ったので、ぼくはむっとした。
「そう言われると困るよ」
「あなたが誰かに恋したって、私はかまわない」
「追ってほしいの?」
「そういうことかも」
「離れられないのはお互いだね」
「うん」
ぼくたちはキスをした。
彼女の柔らかさには慣れたけど、なくなるのは、やっぱり寂しかった。
「がんばってね」
「うん。また会おうね」
ぼくはこころの中で、簡単すぎる言葉を言った。
『ひとりぼっちは 怖くない』
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