若者のすべて


お盆休みになり、久しぶりに実家に帰った。

父親は「おう」とうなずき、母親は「もっと早く帰ってきなさい」と言った。

自分の部屋に行くと、家を出た時のままだった。


「懐かしいなぁ」


昔読んでいた漫画を取り出したり、卒業アルバムを開いたりした。

日が暮れる前に、ぼくは散歩に出た。

夏の日差しが強く、からっとした風が吹いていた。


「田舎だなぁ」


通り過ぎていく自転車に挨拶をしながら、ぼんやりと歩いた。

やがて、バスの停留所に付いた。

高校生の頃に利用していた、乗客の少ないバス。

停留所は今にも崩れてしまいそうなほどボロボロだ。


「ふぅ」


どこにいても、昔のことばかり思い出す。

ぼくは大切なものを、ちゃんとここに置いてきたようだ。


小鳥が青空に飛んでいくのを眺めていると、女性が歩いてきた。


「あ」

「あ」


その人は、ぼくの幼なじみだった。

小さい頃から遊んでいた、笑顔が素敵な女の子だった。


「久しぶり、元気?」

「ぼちぼちかな。そっちは?」

「家の手伝いばかりさせられてる」


彼女の家のことを、ぼくははっきりと覚えていた。

何度も遊びに行っては売り物の和菓子を食べて、ぼくたちはよく怒られていた。


「ほんとに偶然だね。まさか会えるなんて」


彼女が隣に座ると、柑橘の柔らかい匂いがした。


「ちょうど帰ってきたばかりなんだ」

「昔に浸ってたんでしょ」

「なんでわかるのさ」

「あなたがここにいる理由なんて、ひとつしかないでしょ」

「かなわないなぁ」


ぼくたちは別々の高校に通っていたけど、同じバスを利用していた。

よく一緒にイヤホンで音楽を聴いていた日々を思い出す。


「ねぇ」

「なに?」

「恋人はできた?」


彼女との別れを、ぼくは思い出した。

ぼくが東京の大学に行くことを話すと、彼女は「がんばって」と言ってくれた。

そして、お互いの小指を絡ませ、ある約束をした。


あなたがここに帰ってきたら、また恋人になろう、と。


「……どうだと思う?」

「えー、できてるでしょ」

「ざんねんながら」


くすくすと彼女は笑う。


「じゃあ、あの約束は……」

「そうなるね」

「そういうこと、なんだね」

「うん」


なんとも言えない空気の中で、ぼくたちはキスをした。

さすが和菓子屋の娘、ほどよい甘さだった。


「久しぶりにしようよ」

「え、ここでやるの?」

「思い出と一緒にするの。私とあなたと思い出の3人で」

「三角関係だ」


ぼくたちはバスの停留所でセックスをした。

彼女の感じ方は変わっていなかった。

押し殺したような喘ぎ声や、ぼくの首筋を甘噛みするところ、背中が性感帯なところ、胸の下にちいさなほくろがあるところ。

彼女の言った通り、ぼくは思い出と一緒に彼女を抱いている。


「ごめん、出そう」

「いいよ、出して」


座ったまま密着している状態で、ぼくの絶頂は逃げられなかった。

抱き合ったまま、顔を合わせて、ほほえみ合う。


「大きくなったね、あなたのここ」

「そうかな。ひとりでやってるけど、気付かないよ」

「自分のことはわからないものよ」


やがてバスがやってきた。

ぼくたちはとっさに離れた。

乗客は誰も降りてこなかった。

運転手がこちらを見ているので、ぼくが首を振るとバスが去っていった。


「あぶなかったね」

「あれ、気付かれてるでしょ」

「もうあのバス、乗れないね」

「ざんねんだ」


隣で座る彼女がぼくに身体を預けてくる。

夏の乾いた風は、火照った身体をさらに熱くした。


「じゃーん。これなーんだ」


彼女はポケットから白いイヤホンを取り出した。


「うわ、今どき有線かよ」

「ワイヤレスに替えるタイミングを失ってしまいました」

「わかるわかる」


ぼくたちはイヤホンを片耳ずつ付けた。

彼女は傷だらけのウォークマンで音楽を流した。


「うわ、懐かしい」


流れてきたのは、フジファブリックの『若者のすべて』だった。

毎朝、バスでの登校時に彼女と聴いていた音楽だ。


「ずっと聴いてくれたよね。いやだったでしょ」

「いい曲ってのは、何度聴いてもいいものだ」

「合わせてくれてるね」

「そんなことないよ」


ぼくたちは静かに音楽に耳を傾けた。


『真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた』


この曲を聴くと、彼女との日々を思い出す。

東京にいてもそれは同じで、何度も「帰りたいなぁ」と思った。

結局そのまま仕事を始めてしまい、帰るタイミングを失ってしまった。


「帰ってきてくれて、ありがと」

「ごめん、遅くなって」

「別に待ってないけど?」

「いじわるだなぁ」

「うふふ」


ぼくたちの前を野良猫が歩いていった。

彼女は目を閉じて頬をほころばせていた。


「ね、あとで家に来ない?」

「いいね。きみんちの和菓子、何年ぶりだろ」


彼女が指を折って数えていく。

両手の指をすべて折って、ほほえんでみせた。

10年も経っていたのか、とぼくは驚いた。


『最後の最後の花火が終わったら 僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ』


彼女は突然笑い出した。


「どうしたの?」

「いや、そう言えばさ。花火、見に行ったよね」


ぼくは10年前のことを思い出した。

近所で有名な花火大会があり、ぼくたちはふたりで花火を見に行った。

といっても子どもの頃から親とさんざん見に行っていたので、目新しさはまったくなかった。でも、彼女と見た花火は、新鮮だった。


「行ったね。なんでもない花火だったけど」

「そうそう。でも、花火を初めて見た気がした」


彼女と一緒に、手をつないで見た花火。

その時にぼくが思っていたことを、彼女も思ってくれていた。


「変わったのかな、私たち」

「変わったさ。だって10年だよ。子どもは大人になってる」

「私、まだ子どもの感じがする」

「ぼくもだ」


ぼくたちは抱き合ってキスをした。


「また行っちゃうんだ」

「うん。仕事があるからね」

「子ども、産んでもいい?」

「その時は仕事を辞めて帰ってくるよ」

「じゃあ、嘘付いちゃお」

「いいよ」


あの頃の夏とはまったく違うけれど、今年の夏もぼくは好きだ。

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