ディザスター


彼と久しぶりにセックスをした。

お互いにぎこちない動きだった。

私が快感を得ることはなく、彼が出しただけで終わった。


「ありがとう」


彼はコンドームをゴミ箱に捨て、脱いだ服を拾い始めた。


「楽しかったよ」

「そう」


嘘だとわかった。

彼は大事なときに決まって嘘を付く。

それが彼なりの優しさなのだろう。

かえって私を傷つけていることを、彼は知らない。


「部屋、変わったね」

「うん」

「あの可愛いぬいぐるみたちはどうしたの?」

「捨てた。大学卒業したし、もういらないかなって」

「そっか。抱き心地は良かったけどな」


彼はそう言って声を抑えて笑った。

これも嘘の笑い方だ。ほんとうの気持ちを隠している。


「…………」

「…………」


お互いに黙り込む。

セックスのときも私たちはろくに会話を交わさなかった。

3年も付き合っていれば、自然とそうなるのかもしれない。


「あのさ」


絞り出すように彼が言う。


「なに」

「いや、なんでもない」

「ちゃんと言ってよ」

「変なことだから」


窓の外では夜の雨が降っていた。

パツパツと屋根を弾く音がする。


「いいから」

「……ごめんね。こんなことになって」


そんな謝り方をされても困る。

私は言いたいことをぐっと飲みこみ、用意していたものとは別の言葉を吐き出す。


「しかたないよ。3年も一緒にいれば、そんなこともあるでしょ」

「恋愛は『3』が山だって」

「わたしたち、乗り越えられなかったね」


苦しそうに笑う彼。その顔を見ると、こっちも苦しくなる。

ちゃんと笑ってほしいけど、無理だろう。

セックスでも彼も私も笑わなかった。

苦しそうな顔で抱き合っていた。


「ぼくたち、どこですれ違ったんだろ」


言いたいことはたくさんある。

私があげた腕時計を付けていないこと。約束の時間にいつも遅れること。夜景を見に行ったのにキスもせずに帰ったこと。私の電話を無視し続けたこと。一緒に寝ても先に寝てしまうこと。


「あなたはいい人だよ」


でも、私はそうとしか言えなかった。


「そんなことないよ。きみのほうがいい人だ」


お互いに言葉を飲みこんでいる。

彼だって、私に言いたいことはたくさんあるだろう。

生理のときは強く当たった。彼がセックスしたいと言っても気分で拒んだ。私がわがままを言って彼を振り回した。洗濯をしてもらったのに干し方にいちゃもんをつけた。作ってくれたご飯に「おいしくない」と言った。


「これがいけなかったのかもね」


私たちはすれ違いを受け入れなかった。

見て、見ぬふりを続けた。

その積み重ねが崩れた——それだけのことだった。


「これ?」

「わたしたち、ほんとうの気持ちを言わなかった」


彼は笑わなかった。苦笑いも、困った笑みもない。

そんな彼は、今までで一番、素敵に見えた。


「そうだね。ぼくたちはいろいろなものを一緒に感じてきたけど、自分たちの本心は隠していた」

「わたし、あなたにいっぱい嘘をついてきた」

「ぼくも。数え切れないくらい、ついたよ」


私たちはお互いに嘘を付いていた。

相手を守るため、自分を守るため。


「ねぇ」

「なんだい」

「音楽、かけていい?」


私たちはセックスのあとには必ず音楽を流した。

それぞれ順番に好きな曲を流し、メロディに身体を委ねた。

彼はよくサム41の『What Am I To Say』をかけた。ロック好きな彼がバラードロックを選んだのは、それがセックスのあとに最適だったのを知っていたからだろう。とても素敵な歌だった。


だから、ふたりで音楽を聴けば、彼とまたやり直せるような気がした。


「ごめん、やめよう」


彼は真顔でそう言った。


「どうして」

「ぼくたちはもう終わったんだ。そんなものでは直せないよ」


そんなことない、私たちはやり直せる。

その言葉を、やっぱり私は飲みこんでしまった。

大事な時に本心が言えない。だから私たちはすれ違った。


「そう」

「今までありがとう。お元気で」


彼はダッフルコートを着て、静かに家を出ていった。

私はまだ裸だった。

追う気持ちにもなれなかった。


「……今までありがとうって、わたしも言えばよかった」


捨てたぬいぐるみが恋しかった。

あれらのほとんどは、彼と一緒に買ったものばかりだった。

大学を卒業したからというのは嘘で、ほんとうは、彼へのあてつけ。

別れを告げられた私が唯一できる、最後の傷つけ方だった。


「わたし、バカだな」


スマートフォンで音楽をシャッフル再生した。

何でもいいから音楽を流したかった。

選ばれたのは、ジョジョの『Disaster』だった。

アコースティックギターの哀愁に、真っ直ぐな歌声が絡む。


『No happy ever after. Just disaster.』


失恋の歌。

今まで「聴く価値もない」と思っていた。

私には無縁で、共感なんてできない、と。


「なにが起こるかわからないんだね」


今日、私の世界は滅んだ。

終わりがくる『いつか』は、突然にやってくるもの。

それを受け入れるには、時間が必要だ。

3分36秒では足りない、もっとたくさんの時間が。


「雨、やまないのかな」


曲が終わり、私は静かに目を閉じた。

別の雨が静かに降りはじめた。

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