-1話 過去の払拭と洋々たる未来に
翌朝、かすかな物音で目を覚ました。
ベッドの中で寝返りをうち睡眠に戻ろうとする。しかし何が聞こえているのか気になった。
この木がきしむ音は誰かが廊下を歩いてる。もう一度寝返っている間に音の発生源は移動していた。玄関の扉がスライドしてガラガラと鳴り、睡眠を諦めて重いまぶたを上げる。田上たちを招き入れたのを思い出したからだ。
起き上がり、寝室の扉に手をかけて、一瞬だけ開けるのをためらった。
田上たちがいるならスウェットのままはまずいと判断しかけたが、玄関を開ける音からすると二人はすでにいないはず。昨夜言っていた、朝になったら出ていくという言葉が脳裏によみがえった。それならいつも通りで構わない。ドアノブを回して冷え切った廊下を裸足で歩き、リビングに入る。
そこは住み慣れた空間のようで知らない部屋のようでもあった。
常時閉ざしている遮光カーテンは束ねられ、朝日で目が開けられないほどまぶしい。そして冷え冷えしているはずなのに、すでに暖房がつけられていて暖かかった。たったそれどけの違いが、とても大きく感じる。
カタンと鳴る音が聞こえて振り返った。ダイニングテーブルには田上の息子がいて、身動きひとつせずに俺を見ていた。少年の足元にはルービックキューブが落ちていたので拾って手渡す。
「おはよう。田上はどこにいる?」
「出かけるって」
「どこに?」
少年は視線を落とし、口を閉ざした。どう返事していいのか探るようにルービックキューブをもてあそんでいるが、いくら回そうがそろわない色と同様に答えも返ってこない。
このままでは
「かしてみろ」
少年は無言のまま、俺の手にキューブを置く。ざっとながめると赤の面が惜しところまできていたので、そのまま返した。
「ここを手前に回すんだ。次はここを右……そうだ。あとはわかるな」
指示通りに回転させていたが、最後は自力で完成できて少年は目を丸くした。
顔を上げる少年に改めて問う。
「答えたくないのか、知らないのか、それだけでいいから教えてくれ。答えがどちらでも怒りはしない」
「わからない、です。すぐに帰ってくるって、言っていました」
「それなら待つか。それと無理に敬語を使わなくていいぞ」
「うん」
20歳以上離れていても問題なくコミュニケーションがとれているのに満足して、キッチンに入る。とりあえずコーヒーを淹れようとしたが、ミルが壊れているのを思い出した。同時に昨夜のやりとりもよみがえってくる。
あの提案を持ちかけたのはなぜか? 一夜明けた今でもわからなかった。俺に利など存在せず、田上に対して愛憎もない。自分を動かした理由があるはずなのに見つけられないのは歯がゆかった。
思考の無限ループにおちいって立ちつくしていたが、少年の声でわれに返る。
「どうしたの?」
よほど挙動不審に見えたのだろう。少年は心配そうな目をしていた。問題ないと手を振って答える。
「考え事をしていた」
「それって僕たちのせい?」
「いや、違う」
その反応に驚く。自分の立場を理解できていなければ出てこない言葉だ。まだ若いのにと思い、聞いてみた。
「歳はいくつになる? ああ、その前に名乗っておかないとな」
「佐藤幸二さんだってお母さんから聞いたよ。田上
「そうか。田上が俺の話をしたとは意外だな」
俺たちの過去を考えれば口を閉ざしそうなものなのに、それほど恨まれていないのかもしれない。その推測を翔太は否定した。
「僕が聞いたんだ。お世話になる人がどんな人か知りたくて」
「そうか。他に何を聞いた?」
「友達だったって。今は?」
高校の時は仲が良かった。二人で映画に行ったし、田上が苦手な数学の試験勉強を手伝った事もある。勉強に関して言えば俺の方が教えてもらう事が多かったと、昔の記憶がよみがえる。
それらの過去は悪いものではない。しかし、その関係を壊したのは俺だ。あやまちをなかった事にはできない。
「違うだろうな。田上は俺を許しはしない」
「大丈夫だよ。ちゃんと謝ったらお母さんは許してくれるよ。僕が風邪をひいて何日も仕事に行けなかった時だって、ごめんなさいって言ったら抱きしめてくれたし」
翔太は笑顔で言うが、大人は言葉で済ませられるほど簡単ではない。不利益を与えたなら対価が必要になる。
そんな大人のしがらみを翔太にどうやって伝えるか。言葉を組み立てている時に、不明だった俺の行動理由が見えた。なぜ田上たちを助けたいと思ったのか、が。
それを気づかせてくれた翔太には感謝してもしきれない。
「礼を言う。おかげで悩みが解消された」
「僕は何もしてないよ。それにお礼を言わないといけないのは僕たちの方だし」
翔太は慌てて両手を振っているが、俺の行動矛盾を解消するきっかけをくれた事に比べれば一宿の恩など
「朝食を買ってきたわ。冷蔵庫が空だなんてどんな生活しているのよ。幸二の分もあるから食べて」
「いや、朝は食べないから大丈夫だ」
断ってリビングをあとにしようとする俺の手を翔太が握る。
「時間がなくても朝ご飯は食べないと駄目だってお母さんが言っていたよ。そうだよね」
翔太は母親に同意を求め、田上はうなずきで答える。そしてダイニングテーブルをコツコツ指で
黙って座れと言われているのは間違いなさそうなので、仕方なく腰をおろす。朝食を食べるのも、誰かとプライベートな食事をするのも、久しぶりだ。そのせいだろうか、ゆで卵と袋売りのミニクロワッサンが知っている味と違うように感じた。
食後にインスタントのドリップコーヒーを飲んでいる田上はルービックキューブを手に取る。
「一面そろえられたのね」
キューブを見つめながら発せられた言葉に翔太は顔を上げた。
「えっと……」
俺の助言を受けているせいか答えに迷っていた。その間に田上はランダムに回してしまう。そして翔太に渡した。
「幸二と話があるから部屋に戻っていて。もう一度できたらご褒美あげる。そうね、晩ごはんは好きなものを食べさせてあげるってのはどう?」
「……わかった」
翔太は立上がってリビングから出ていった。チラリと俺を見たのは、また手伝ってほしいという意思表示だろうか? それはあとで確認すればいい。今は田上からの話の内容が知りたい。
足音が聞こえなくなるのを待って、こちらから聞いた。
「話とは?」
「昨日の件よ。何が目的なの?」
それは俺にとっても疑問だった。つい先ほど出たばかりの答えだが、理解してもらうには順を追って話すべきか。
「高校最後の文化祭を覚えているか?」
「私にとって最悪の思い出ね。忘れたくても原因を作った幸二が目の前にいたら嫌でも思い出すわ」
田上は嫌悪感をあらわにする。そして忘れていないのは俺も同じだ。
「あの時、もっと良いやり方がなかったか考える事がある。田上を傷つける前に方向を変えられなかったか。事態が悪い方に向かったあとにフォローできなかったか。今でも答えは見つからない」
「考える意味なんてないわ。時間は戻らないのよ」
「その通りだ。しかし
その言葉は笑いで返される。しかし目は笑っていない。不快な思いを掘り起こされて怒りに満ちていた。
「つまり、助けてくれるのは私たちのためではなく、自分のためって事? 負い目を消すために?」
「話が早くて助かる。俺自身のために協力してほしい」
返答はない。ただ、にらみつけられているだけだ。だからといってこれ以上重ねる言葉はない。提案し、真意も話した。あとは田上が決める。おそらく拒否になるだろうが。
彼女は腕を組んで口を閉ざしていたが、大きなため息をつく。
「乗ってあげる」
「いいのか?」
「仕方なくよ。私の置かれた状況を変えるにはひとりでは無理。私が私でいられるためなら幸二でも利用するわ。プライドだけでは生きていけないから」
そして田上は俺を指差す。
「これだけは忘れないで。婚姻は形式的なもの。私が幸二を許したり、情が芽生えたりはしないって事を」
「問題ない。期待していないからな」
「それは良かったわ」
田上は人差し指だけ立てていた手を開いた。意図がわからない俺は説明を求める。
「なんだ?」
「私たちはお互いのために形式をとるのよ。だったら握手も形式として必要よね」
納得して手を握る。
「お互いの目的のために」
握った手は、より強い力で握り返された。
「計画成就のため細部を積めていきましょう。とりあえず婚姻届けが必要ね」
「離婚届もだ」
暖かい朝日は積もった雪で明るさを増し、窓から差し込んだ光が俺たちを照らす。
この町はめったに雪が積もらない。それが年明け前ならなおさらだ。そんな悪天候の日に俺と田上は再会し、その翌朝に契約した。
あとはプロジェクトを円滑に進める努力をするしかない。
そう、自分を鼓舞した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます