ホーム・カミング

25話 坂木に振り回される

 年末の職場はのんびりしているように感じた。それはキーボードやマウスを操作する音があまり聞こえてこないからかもしれない。明日が金曜日でなおかつクリスマス・イブなら、在宅勤務にして翌日の準備をする時間を作りたいと考えるのは理解できる。


 俺も今日は家で仕事したかったと思いつつ、今プロジェクトの成果物をチェックしていた。


 ひと通り確認を終えて、資料を作成した男を呼ぶ。


佐藤さとう、今いいか?」

「はい。大丈夫です」


 俺と同じ姓を持つ男は、パッと席を立ち足早にやってくると直立不動の姿勢をとる。


「どうでしょうか?」

「方向性は問題ない。何箇所か確認させてくれ」


 わかりにくいところを説明させつつ指摘を入れると、佐藤の表情が暗くなっていく。


 この男がチームに配属された時は、同姓の人間を寄こすなと思ったものだ。しかし、仕事ぶりは真面目で繊細な事から大きな戦力になっている。ただ、心も繊細で打たれ弱いのが弱点だった。


 ひと通り話し終えると、佐藤は大きく頭を下げる。


「ありがとうございます。すぐに修正します」


 今までならこれで終わらせていたが、何となく呼び止める。


「いろいろ言ったがミスではないぞ。より良くするためのアドバイスだと受け止めてくれればいい」

「……はい」


 返事をしてはいるが、歯切れの悪さからすると意図が伝わっていないのだろう。


「つまり、自信を持てと言いたいんだ。……何だ、その顔は?」


 佐藤が目を丸くしていたのでたずねると、意外な理由が返ってきた。


「すみません。幸二こうじさんにフォローしてもらえるとは思わなかったので」

「放任した覚えてはないぞ」

「仕事ではなくてメンタル的な話です。幸二さん変わりましたね。今まで親身になってくれる人じゃなかったというか」


 言われてみればそうかもしれない。俺が変わったのなら翔太しょうたと暮らしているおかげだろうな。二人の生活を思い返していると、佐藤は推測を口にした。


「それは坂木さかきさんのせいですか?」

「違う。どうして、そう思った?」

「最近、仲が良いというか、親密に見えるというか。違うならいいです。あ、坂木さんで思い出しました。マウスお借りします」


 佐藤は俺のPCを操作し、表示してある資料をスクロールさせる。そこには未確定TBDという文字が赤く書かれていた。


「ここですが、担当外のモジュール待ちで手がつけられません」

「坂木が担当か。わかった。進捗を確認しておく」

「お願いします。それでは作業に戻ります」


 佐藤は頭を下げ、席に帰っていく。


 さて、どうするか。さっさと確認すればいいが、当の坂木は昨日から帰郷のために一足早い年末年始休暇に入っている。電話すれば済む話だが久しぶりの実家でのんびりしているところを邪馬するのは悪い。


 几帳面きちょうめんな佐藤のために早く情報を与えてやりたいと思いフロアを出た。廊下のつきあたりにある大窓に背中を預けてスマホを耳にあてる。


 出なければ気をわずらわせずにすむという思いとは裏腹に、一度目のコールが終わる前に坂木とつながった。


『もしもし! 幸二さんが電話してくるなんて珍しいですね!』


 電話をかける事にすら気をまわしていたのが馬鹿らしくなるほどの明るい声だった。そんな坂木の空気に飲まれないよう、落ち着いた声で言葉を返す。


「朝からすまない。確認したい件があって電話した」

『私もあるんですよ。翔太君にプレゼント用意しました?』

「ああ」

『まさか現金じゃないですよね? 本人に選ばせるのが一番とか思っていたら大間違いですよ』


 実家に帰っているせいか、いつも以上に声が大きい。それはリフレッシュできている証だろう。父親に感じているわだかまりを解消してくると言っていたが、どうやらうまくいったらしい。心配事がひとつ片付いたのがわかり気が軽くなる。


「翔太の成長に役立ててほしくてタブレットPCにした。選ぶのに、ずいぶん悩まされ――」

『重い! 付き合いたてで指輪を贈られる並みに重いですよ!』


 言葉をさえぎりまくし立てられて、耳からスマホを遠ざける。それを知るよしもない坂木の話は止まらない。


『この話しましたっけ? 学生の時に付き合ってた人なんですけど、初めて二人で出かけた時にですね――』


 楽しげにしている坂木に違和感を覚えた。いつもなら俺の用件をさえぎり、自分の話をしたりしない。


『水族館の大水槽前で指輪を贈られたんですよ! 大勢いるところで! ものすごく恥ずかしかったんですよ』

「話が見えないぞ」

『ああいうのやる心境ってなんなんですかね? 自分に酔ってるんですかね?』

「坂木こそ朝から酔っているのか?」


 二度目の呼び掛けでようやく言葉が途切れた。無言になったが、すぐに元の調子に戻る。


『自分には酔ってませんよ。ビールは飲んでますけど。あ、今のうまかったですね』


 ケラケラ笑う坂木にあきれそうになる。しかし苦言が漏れ出るのを押さえてたずねた。


「何があった? 普段の坂木は泥酔するまで飲むやつではない。それが朝からならなおさらだ」

『私の事なんて何もわかってないくせに! そうやって決めつけられるのが一番嫌いです!』


 怒声とともに、空になったビール缶が転がる軽い音が響く。


「それなら人の言葉など無視して好きにすればいい。俺にあたるのもいいし、酒で気を紛らわすのもいいだろう」

『……何が言いたいんですか?』

「俺は坂木の父親ではないから慰めはしないという事だ」


 ペコン。ビール缶がへこんだ音がスマホを経由して伝わる。俺の言葉に苛立ち、力が入ってしまったのだろう。


 意地が悪い言い方をしたおかげで把握できた。


「荒れている原因は父親だな」

『私を怒らせるために、わざと父親なんて言ったんですね。ひどくないですか?』


 坂木の表情は見えないが、本当に頭にきているようで、その声はひどく冷たい。そうさせたのは俺だ。


「あおる言い方をして悪かった。しかし、これだけは言える。逃げても解決にはならない。心に刺さったトゲはいつまでも残り続けるものだ」

『…… まるで経験してきたみたいに言いますね』

「問題から目をそらして放置してきたのが俺だからな」


 高校の文化祭で起こしたトラブル。考えの違いとして割り切れず、負い目に感じていなければ田上たのうえと翔太を招き入れていなかったはずた。その思いを口に出さなかったが、伝わってしまったらしい。


弥生やよいさんの事ですか?』

「そうだ。坂木は俺のようになってほしくない。話しあって解決するとは限らないが、動かなければ改善されない」

『買わなきゃ絶対当たらない宝くじと同列にしないでください。話してこじれる事だってあるんです。歩み寄ったりなんかしなければ良かった』


 言い放たれた言葉に宿っているのは拒絶の意思。それは背中越しに伝わってくる外の冷気も相まって、とても冷たく聞こえた。


『私、父と話したんですよ。ちゃんと、向き合って、真剣に。仕事ばかりで家の事を母に任せっきり、運動会にすら来ない父が嫌いで距離をとっていたんです。でも、このままじゃ良くないと思って勇気をだしたんですよ。ついさっきの話なんですけどね』


 坂木は関を切ったかのように話しだす。次第に声色は悲しさを帯びだした。


『はじめは父の仕事についてたずねたんです。最近は早く帰ってくるようになったって母から聞いたので。それから私の話になって……退職して帰ってこいと言われました』

「どんな経緯で言われたのか知らないが、辞めるのか」

『そんなわけないじゃないですか!』


 聞き方が悪かったらしく怒らせてしまったが、内心は安堵あんどしていた。ここまで育ててきて退職されても困る。ともかく俺の都合はいいとして疑問を投げかけた。


「それなら、なぜ酒に逃げる? 成人済みなら聞く義務はない。今までが疎遠なら今後を気にする必要もないはずだ」

『その通りですけど!』


 では何が問題なのか? ここまでの会話を思い返してヒントを見つける。現状の関係を修復したいと言っていたことだ。


「ひとりの大人として認めてもらいたいのか」

『……そうなんでしょうか?』

「そんな気がしただけだ。認められたいのなら根気よく話し合うしかない」

『でも、また逃げてしまいそうです』


 弱々しい声はかすれて薄くなり、坂木本人も消えてしまいそうだった。


 腹を割って父親と話すのは、それほど難しいのだろうか? 早くに父を亡くした俺にはわかり得ない。ただ、坂木の助けになりたいと思う。しかし家族の問題に他人が首を突っ込んでいいのか?


 そう悩んだのはわずかな間だった。それを考えるという事は答えが出ているのと同じ。今まで作ってきた借りを考えれば迷うまでもない。


「話し合う以外の方法がある。坂木が一人前の会社員だと証明すればいい」

『どうやって? ボーナスの査定でも見せてくれるんですか?』

「それは無理だが、もっと効果的な方法がある。上司の俺が話せばいい」


 これには驚いたらしい。ガンッと聞こえた後に空き缶が転がり落ちたのがわかった。痛みをこらえるうめき声は聞かなかったふりして言葉を続ける。


「顧客の求めるものに対して話す内容を変えるのはいつもしているからな。似たようなものだろう。もちろん、坂木が迷惑でなければだが」

『全然、迷惑じゃないです! でも、甘えていいんですか?』

「問題ない。部下を助けるのは上司の役割だからな。やるなら早い方がいい。明日は?」

『大丈夫だと思います。明日は母がご馳走ちそうを作るって言ってたんで早く帰ってくるかと』


 よし。解決の算段は立ちつつある。より確実なものにするために事前に打ち合わせしておけば、なお良しだ。


「明日の朝、そっちに行く。坂木父が帰宅前に内容を積めておくのはどうだ?」

『え? 来てくれるんですか? 明日も仕事ですよね?』

「一日休んで困るほど追い詰められたスケジュールにしていない。それに顧客とのすり合わせなら顔を合わせてやった方が簡単に進むからな。……そういえば、家はどこだ?」


 坂木が答えた地名を聞いて、後悔しそうになる。日本海間近の北陸。これでは本州横断だ。


 話してくるだけなら大智だいちから誘われているホーム・パーティに間に合うと考えていたが無理だ。しかし坂木に期待させた手前、反古にできない。


 翔太に謝るしかないと腹を決めた。


「明日の昼すぎにしてくれ。朝は無理だ」

『しょうがないですね。なるべく早く来てくださいよ』


 いつもの坂木らしい反応が返ってきて、この選択をして良かったと思い、通話を終えた。


 そして俺からの用を話していないのを思い出す。


 まあいい。話すのは明日でもいいだろう。

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