26話 坂木父にも振り回される
翌朝、俺はハンドルを握り、坂木の待つ北国に向けて高速を走っていた。まわりの山々が白く、晴れているのに路面が雪解け水でぬれていると遠くまで来たと実感させられる。
それにしても、こんなクリスマス・イブになるとは思わなかった。ひとつ心残りがあると言えば翔太との約束を反故にした事か。
快く送り出してくれたが、ホーム・パーティを楽しみにしていたのは知っている。きっと不満を感じているだろう。埋め合わせは何がいいだろうか? お年玉を上乗せしておけばいいか? いや、駄目か。増加分を知るには基準が必要だ。渡すのは今回がはじめてではわかりようがない。そうなると物か。それを考えるのは苦手だ。悩み抜いてクリスマス・プレゼントを選定したばかりだというのに、また選べと言われても何も出てこない。こんな難解な案件を世の父親がやっているのかと思うと、それだけで無条件に尊敬したくなる。
そうだ。父親といえば坂木だ。坂木父の目的や信念がわからないのでは対策しようがない。情報が得られるのを期待してハンドルのボタンを操作。メモリから坂木を選択して発信する。
コール音が車内にこだまするが、しばらく待ってもつながらなかった。かけ直そうとしたところでコール音が途切れる。
「俺だ。スマート・インターを降りたところの道の駅で合流。間違いないか?」
簡単な確認なのに返事がなかった。電波状態が悪いのかもしれない。
「聞こえていないのか?」
『娘は外出しております』
聞こえてきたのは坂木の声ではない。男性の、それも年配の声だ。どうやら問題の父親らしいが、家族とはいえ自分のものではないスマホの着信に出るものなのか? 疑問に感じつつ答える。
「職場で上役を務める佐藤幸二です。坂木ひとみさんのスマホで間違いありませんか?」
『はい。どのような御用件でしょうか?』
不在ならかけ直すべきだが、良い案を思いついた。探りを入れてみるかと思い、話を続ける。
「相談を受ける事になっています」
『相談、ですか』
本来なら坂木の承諾なしに内容を話すなどもってのほかだが解決するには情報が欲しい。本音を引き出す目的で攻めた言葉をあえて選んだ。
「ええ。あなたに退職しろと言われたとか」
『そのような事まで話すとは、信頼が厚いですね』
「頼りたくもなるでしょう。身内に傷つけられたのですから」
辛辣な言葉で返したというのに、反応はない。返ってくるのは沈黙だけ。冷静な人物なのか、それとも負い目があるのか。とりあえず謝罪して様子をみる。
「申し訳ありません。言い過ぎました」
『いえ。正直に言われるのはうれしいものです。佐藤さん、先ほどの言われようからすると、近くまで来られてるのですか?』
坂木父の声は温和なままだ。何事もなく話を変えてくるのは、揺さぶりすらかけられなかったに違いない。手ごわい人だと感じた。
「はい。詳細を確認するには当事者に会う必要がありますので」
『わかりました。それでは先ほど言われていた道の駅に来てください。案内所前にベンチテーブルがあるので、そこでお会いしましょう。では、失礼します』
確かに坂木父と話す必要はあるだろう。しかし坂木と対話してからだ。順序が違う。それなのに話は想定外の方向へ進んでしまい、あぜんとしてしまった。言葉に詰まっている間に通話は終了しており、半開きになったままの口を閉じる。
坂木もマイペースだが父親も同じか。もう一度電話して断ろうとも考えたが、これはこれで好都合な気がする。
坂木が問題を解決するには父親と
気を引き締めるために窓を半分ほど開けた。北国の冷たい空気が車内を満たしていく。凍えそうだったが、音を上げる前に目的地の近くを知らせるアナウンスが流れた。
そのままナビの誘導に従いスマート・インターを通過。隣接する道の駅に進む。想像していたより大きい施設で、平日の、しかも寒空の下だというのに大勢の客がいた。さまざまな店舗が並び、コンビニはともかくビジネスホテルや鮮魚センターまであるのに驚く。B級グルメの移動販売車が閉まっているのが残念だと思いながら通り過ぎた。
そのまま徐行していると案内所らしき建物を見つける。近くに停車し、何時間ぶりに自分の足で地面に立った。
まだ年末だというのに、まとまった降雪がある地方だけに寒い。レザージャケットではなく防寒に優れた上着を持ってくればよかった。ファスナーを上まで閉めても首元から入り込んでくる冷気が防げず、足早に案内所に向かう。
店舗が並んでいるところとは違い、こちらは人がまばらだ。入り口前は芝生になっているようで、雪の下から所々顔を出している。そこにあるのは備え付けのベンチテーブル。座っている年配の男性を見て足が止まる。
男が食事していたからだ。牛丼チェーン店の持ち帰り容器の底を俺に見せつけるようにしてかきこんでいる。ベンチテーブルに置かれている買い物袋も相まって異質な空間を作り上げていた。
指定された場所にいるなら彼が坂木父かもしれない。しかし牛丼を食べながら初対面の俺を待つか? ありえない。偶然ここで食べているだけの他人だろう。この道の駅には牛丼チェーン店もあったが、あえて屋外の解放感を楽しんでいるのかもしれない。
そう考えて他に人がいないか首をめぐらせていると、男が容器を下げた。目があった途端に箸を置いて立ち上がる。
「佐藤さんですね。ひとみの父です」
否定したばかりの想定が早くも覆された。やはり坂木の父親だけあって侮れない。しかし、なぜ俺だとわかった? その疑問を投げかける。
「はじめてお会いします。なぜ私だとおわかりになったのですか?」
「この辺に住んでいて、そんな薄着でいる人はいません。どうぞ、お座りになってください」
すすめられるまま対面につくと坂木父も腰をおろした。食べかけの牛丼に蓋をするので口を挟む。
「食べながらでも構いません。時間をおくとおいしくないでしょう」
「では遠慮なく」
俺の言葉がよほどうれしいのか、良い笑顔を浮かべながら蓋を取る。中を見たせいで、また思考が止まりかけた。
それは牛丼ではない。上にのっているのはイクラだ。地域限定メニューでもあるか? それにしてもうまそうだ。かきこみたくなるのもわかる。
凝視していたのを気づいたらしく教えてくれた。
「そこの鮮魚センターで売っています。大粒で美しいと思いませんか? それが切っ掛けで買うようになったのですが家族の好物となりました。ああ、白飯はそこの牛丼屋のものです。即席のイクラ丼ですよ」
そう言って坂木父は口一杯に頬張った。満足げに目尻を下げられると空腹感が増す。昼食を済ませてから来るべきだった。
腹をなだめるようにさすり気持ちを切り替える。何においても真意を知っておかなければならない。
なぜ仕事を辞めさせたいのかを確認したかったが、先に口火を切ったのは坂木父だった。箸を止め、探るような目を俺に向ける。
「今日は平日ですが、お仕事は?」
「ひとみさんの悩みが深刻でしたので休みました。坂木さんは?」
「午後は休みをいただきましたが午前は出社しました。それにしてもお忙しいのに休みを取られるとは部下の方々がお困りでしょう」
まるで突発的に休んだ事を非難するような口ぶりだ。
「問題ありません。それより、ひとみさんに退職を勧めたそうですが──」
ようやく本題に入るといったところで、レザージャケットの内ポケットでスマホが震えはじめる。かけてきたのは坂木だ。
断わりを入れ、ベンチテーブルから離れる。坂木父が再び箸を動かし始めるのを横目で見ながら通話ボタンを押す。
「後にしてくれ」
『連絡待っていたのに全然こないから心配したのに、どういうことですか。しかも着信履歴を見たら通話してたみたいですし、どういうことか説明してください』
「連絡はした。ただ、取ったのは坂木の父親だ。今、一緒にいる」
『なんで父が勝手に私のスマホを使ってるんですか?』
教えてもらいたいのは俺もだ。プライバシーの塊と言ってもいいスマホに触れる事は家族なら許されるのかもしれないと思ったが、嫌悪感をあらわにする坂木の声を聞けば誤りだとわかる。それなら坂木父の行動理由は何だ?
そんな疑問など知る由もない坂木父は黙々と食事を続けていた。本人に確認すればすむ話だが、電話相手が坂木だと明かさなければならなくなる。知れば直接話すと言い出すはずだ。これ以上問題を増やすのはまずい。
「スマホを置いたまま出かけたと言っていたが本当か?」
『はい。家を出てから持っていないのに気づいたんですけど、急いでいたので』
「自分の部屋に置いてあったのか?」
『いえ、リビングです』
考えろ。結果には必ず原因がある。評価試験でモニタ出来ない情報を推測するのと同じだ。
坂木不在中に坂木父が帰宅した。そしてリビングで着信中のスマホを見つける。
それでも出るだろうか? 俺ならそのままにしておく。自分のスマホにかかってきたとしても未登録の番号なら通話しないぐらいだ。いや、待て。登録情報に鍵がありそうだ。
「もうひとつ教えてくれ。俺の番号の登録名はなんだ?」
『佐藤リーダーですけど。それがどうしたんですか?』
「坂木の父が電話を取った理由がそれだ。休暇中なのに上司からかかってきたから急用だと考えたのだろう」
仕事に対して厳格な姿勢をみせる坂木父なら十分あり得る。しかし電話の向こうにいる坂木は険悪な声色のままだ。
『だから何ですか。勝手に人の電話に出て、勝手に幸二さんと会って、それを知った私がどう思うのかなんてこれっぽっちも考えない。そういう人なんです』
「そうなると俺も共犯だな」
『そうですよ。ひとりで結論づけて相談すらしてくれませんし。似た者同士で話が合うんじゃないですか?』
電話ごしに投げかけられた言葉が突き刺さる。坂木のためにしている事だが、本人の意思を無視しているのは間違いない。
「すまない。それでも坂木の父に悪意はないはずだ」
『どうしてそう言えるんですか?』
そう言われると言葉に詰まる。明確な根拠はなく、そう思っただけだ。
しばらく考えた結果、納得させるだけの情報がないので正直に答える。
「勘だ」
『裏付けのない推測は不具合の原因になるって言っている幸二さんが、それを言うんですか?』
「データが足りなければ勘に頼るしかないからな。そこから正否判定すればいい」
『何をするつもりですか?』
不足しているなら集めるだけだ。
「俺が本心を聞き出す。それを坂木が判定すればいい」
『どうやってですか? 私が聞いていたら話してくれないですよ』
「このまま通話状態を保持するだけだ。もちろん、わからないようにはするが」
『盗み聞きしろって言うんですか』
公平とはいえないやり方に坂木は異議を唱える。問題を抱えているというのに、心を痛めているというのに、正しくあろうとする強さがうらやましい。そう思いつつ言葉を返す。
「気になるなら俺が切り忘れたと考えればいい。それに坂木抜きに始めた俺たちに非があるから、おあいこだ」
『おあいこって無理がありますよ。それに幸二さんが一番の悪者になるんですけど、いいんですか?』
「坂木が退職するよりいい。優秀な部下が減るのは致命的だからな」
やましさを軽減させたくて冗談交じりに言うと、同じ調子で合わせてくれる。
『そういう時は素直に寂しいって言うのが正解ですけどね』
「わかった。寂しい。だから俺を信じて任せてくれ」
『ああ、もう。わかりました。任せます』
話はついた。俺たちは休暇中だが、やることは仕事とたいして変わらない。俺がデータ測定して坂木が判定する。いつも通りのチーム作業だ。
坂木父に向き直り、スマホを耳から離そうとした時に付け加えられた言葉が届く。
『よろしくお願いします』
「ああ」
その相づちを最後に、寒空の下にあるベンチテーブルに戻った。北国特有の冷たい空気で体も心も引き締める俺を坂木父が待ち受ける。
ここからが本題だ。
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