27話 親子そろって振り回してくる
電話している間に坂木父はイクラ丼を平らげたようで空き容器を買い物袋にしまい、ベンチテーブルの上で指を組んでたたずんていた。
溶けかけた雪を踏みしめながら戻ると、わずかに顔を上げてこちらを見る。
「仕事の電話ですか」
「そのようなものです」
坂木の進退に関わる内容なら仕事と言えなくもないと思い、曖昧に答えて向かい合わせに座る。スマホをテーブルの上に裏向けて置いて謝罪をいれた。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえ。昔は私も激務続きでしたからわかります。あの頃は帰宅後や休日を問わず頻繁に呼び出されたものです。もっとも、それが娘に避けられている原因ですが」
坂木父は気にもとめていない様子だったが、過去を語りながら視線を落とす。寂し気なところに追い打ちをかけるようで心苦しかったが本題を切り出した。
「仕事を辞めて帰ってこいと言ったそうですね。なぜですか?」
「親が子を心配するのは当然です。妻から聞いた限りでは、ひとみは仕事があるから帰省しないとか。あの子が職について五年、帰ってきたのは今回が初めてです。そんな会社に勤めさせてはおけません」
坂木父の眼光が鋭くなる。それは一瞬の事だったが、本心が見えた気がした。
しかし、おかしい。うちの会社では無茶なスケジュールを引かず、もちろん長期休暇はある。覚えている限りで坂木が休日勤務したのは年に一回あるかどうかだ。
坂木父の話と事実に食い違いがある。おそらく坂木が虚偽を伝えているからだろうが、理由がわからない。二人から聞いた話の中にヒントがないか思い返す中、坂木父の話は続く。
「ソフトウェア業界は過重労働を強いると聞きますが、ひとみを使い潰すつもりなら許しません」
柔らかい口調だが、強い怒りは隠しきれてない。しかし、ますますわからなくなった。これでは普通の父親にしか見えない。どこにでもいる、子を思う親だ。
考えをまとめる時間を作るために話を引き伸ばす。
「うちはブラックではありません。今日の私のように突発的な休みを取る事も可能です」
「そのわりには休暇中にもかかわらず深刻な様子で電話していましたね」
「休み中に連絡があるのは
「それが本当かどうか。家族である妻の言葉は信じらますが、佐藤さんは初対面、言葉の重みが違いすぎます」
長年社会で
しかし、そんな事はどうでもいい。坂木父は妻の言葉と言った。つまり、本人から直接聞いていない事を意味する。
「それはわかりますが、ひとみさんの言葉を聞いたわけではない」
「妻がうそを言っているとでも?」
「真実を話していないのは、ひとみさんです。問題は仕事を口実に帰郷しない理由は何か、だと思います」
その理由は本人に話させたい。しかし坂木が会話を聞いている事を明かすわけにはいかず、ベンチテープルに置いてあるスマホを指でコツコツ
それは坂木父も知りたいようで、身を乗り出してくる。
「いったい何のため?」
「わかりません。ですがこれだけは言えます。あなた方はお互いに真意を伝えていない。だから
「はい。しかし、家族なら全てを伝えなくてもわかってもらえるものです」
「関係が良好ならそうかもしれません」
答えながら翔太との関係を思い返す。学校でトラブルがあった時に、俺はまわりから情報を集める事を重視したせいで遠回りの解決になった。今となれば失策だとわかる。俺は翔太の心を知るべきだったし、翔太は俺の考えを知りたがっていた。それなら対話以外に道はない。
坂木親子も同じ。互いの思いを伝えるべきだ。
「私も息子と距離がありましたが、話しあう事で良い関係になりました。親子と言えど思いを伝えあう事は大切だと思います」
「貴様! 家族がありながら俺の娘に手を出しているのか!」
話しあう切っ掛けになればと思っての言葉だったが、坂木父の反応は想定の外にあった。
「は? 失礼しました。私が言いたいのは対話の重要性であって――」
「話をそらすな! 貴様のようなやつのもとに大切なひとみを置いておけるか! すぐにでも辞めさせる!」
「坂木さんは思い違いをされて――」
「黙れ!」
坂木父はベンチテープルを叩いて立ち上がると、怒りに満ちた目で俺を見下ろした。
娘を思いやっていなければ、ここまで感情をあらわにしない。しかし今までの会話からすると俺が弁明したところで聞きはしないだろう。状況は悪くなる一方だ。それでも坂木のために立ち向かわなければならない。どんなに困難だろうとも、だ。
俺も立ち上がり、坂木父を真っ向から見据えたが、彼が見ているのは俺ではなかった。俺の後ろに驚きの目を向けている。聞こえてくるのは残雪を踏む音。そして聞きなれた声だ。
「お父さん!」
振り返ると、白い息を吐いている坂木が大股で歩いてくる。職場でのスマートなパンツスーツ姿とはかなり違った印象で、ニットキャップにマフラー、ゆったりしたダッフルコートという緩い格好だったが表情はシリアスだ。スマホを握りしめる指が真っ白になるほど力んでいるほど怒っている。
そんな娘の心境などお構いなしに坂木父は激を飛ばした。
「こんなやつが上司の職場なんて程度がしれてる。今すぐ辞めろ」
「幸二さんの事情も知らずに好き勝手言わないで」
「そんなもの聞く必要はない」
「そうやって人の話を聞かずに決めつけるところが嫌い。だから話す気がなくなるのよ。幸二さん、もういいです。本当に時間の無駄。帰ってこなければ良かった。私の人生は自分で選びます」
坂木が対話を諦めるというならそれでいい。しかし解決の糸口はある。見切りをつけるには早い。
「それでいいのか? 感情的になって解決できる問題を放置していいとは教えていない」
坂木に向けた言葉だったが、当の本人は口を閉ざし、代わりに答えたのは父親の方だった。
「貴様は口を挟むな!」
「あなたこそ口を閉じて、ひとみさんの思いに耳を傾けるべきです。家族の言葉なら信じられると言ったのはあなた自身だ。坂木、気負わず話せばいい。必ず理解してもらえる」
強く言ったおかげか坂木父は静かになった。対話する場はできたが、それでも坂木は話さない。どうせ無駄に終わると思っているのだとしたら二人の間にある溝はとてつもなく深いが、それでも坂木は来た。ならば希望は残っている。切っ掛けを与えてやれば自ら動き出してくれる。それが坂木という人間だ。
「坂木、聞いていたならわかるはずだ。父親に退職しろと言われた理由はなんだ?」
「……それは……私が帰らない口実で仕事が忙しいって言ったからです」
「そうだ。だから激務だと思い込み心配したんだ。言葉は足りなかったが、それは坂木も同じだろう。なぜ帰りたくなかったのかを伝えていない。そうやって誤解が膨らみ続けたのが現状だ。しかし今なら聞いてもらえる」
俺は坂木父に向き直る。
「子に歩み寄るのが親の役割です。あなたから心を開いてあげてください。向き合ってこなかった時間を取り戻すのは難しいとは思いますが、何もしないより良いはずです」
思うところがあるのか、ようやく坂木父に落ち着きが戻った。娘の正面に立ち、優しい言葉をかける。
「ひとみ、休みは取れているのか?」
「うん。忙しい時はあるけど、休日がなくなるほどじゃない、かな。今日はお父さん休み?」
坂木の声は自信なさげで、か細い。それでも言葉を探しながら対話を続けようとしていた。
そんな娘の言葉ひとつひとつにうなずく父親も、距離感を測りかねているように見える。
「いや、これを買いたくて午後休暇を取った。その……なんだ。久しぶりに家族がそろうからな」
坂木父はベンチテーブルにある買い物袋の口を開く。そこにはギッシリ詰まったイクラのパックがいくつかあった。
「母さんと、ひとみの、好物だからな」
「でも、お父さんは生の魚介は苦手だよね」
「お前たちがうまそうに食べるから俺も一緒に食べたくなったんだ。最初は苦手だったが、今ではこっそり食べるほど好きだぞ」
「ひとりでフライングするほどに?」
一緒にある牛丼の空き容器を見つけて察した坂木の頬が緩んだ。からかわれているとわかったのか、坂木父は頬をかく。
そして、ようやく二人の視線が交わった。照れくさいらしく、坂木はすぐに顔をそむけてしまったが。
そんな娘に父親は優しく問いかける。
「仕事は楽しいか?」
「うん。覚える事はまだまだ多いけど幸二さんがフォローしてくれるし、うまくできた時はうれしい」
「そうか。だったら頑張らないとな。しかし、ほどほどにしろよ。人生は仕事だけじゃない。仕事を言い訳にするな。俺みたいに。……母さんに任せきりにしてすまなかった。今さら許してくれとは言わん」
「うん。全部なかったことにはできない。でも、少しずつならわかり合えると思う」
距離感を探るようなぎこちなさはあったが、ようやく二人は向き合いはじめた。仕事や生活について語り合い、俺と翔太の話にまで波及していく。
目の前で変わっているとか言われると苦笑したくもなるが、柔らかい笑顔の親子を見ると否定するのが無粋に思えた。
溝はまだ埋まりきったわけではない。
しかし、もう大丈夫だろう。何の根拠もないが俺はそう確信した。
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