19話 話し合えと言われても

 放課後、俺は小学校の来客口にある事務室に顔を出し、薄いスリッパを履いて校内に踏み入れた。下校時刻になったばかりで下駄箱に向かう生徒が多い。スーツ姿の大人が珍しいらしく、好機の目を向けられているのがわかった。


 かつて、この子供たちと同じく学校に通っていた記憶がよみがえる。


 授業が終わり、帰りの挨拶もそこそこに教室を飛び出す少年の俺。何をして遊ぶか話し、笑いながら上履きを下駄箱に放り込む。そして校庭に駆け出していった。いち早く良い場所を確保するために。


 かつての自分の姿が少年達と重なり、ランドセルを揺らしながら太陽の下へ飛び出していく。


 当時の俺に悩みがなかったわけではない。小遣いをどう使うか、宿題を忘れた時の言い訳、そして友達との関わり方。今の俺には到底理解できない、小さすぎる問題。大人になっても交遊を続ける者はごくわずかだし、収入に左右される事もない。その程度の関係で一喜一憂するなどあり得ない。


 しかし、それが世界の全てと思っていた気がする。きっと翔太もそうなんだろう。だから俺に話さないのではないか? 理解してもらえないのをわかっているから。


 そう推測したが、坂木の顔がちらついて想像を振り払う。人の考えを誤読してあきれられた経験を教訓にしなければ。今は客観的に情報を得るのに集中しよう。そのために大智を呼んでもらったのだから。


 待ち合わせにした下駄箱は二年生のと隣接しており、体のわりに大きいランドセルを背負った生徒たちの中に、頭ひとつ大きい大智を見つけた。俺が手を上げると気付いたようで、こっちに向かってくる。この寒さだというのに長袖のTシャツだけ。真剣な表情で俺を見上げていた。


「おじさん。話って何だよ」

「翔太の件が知りたい。一緒ではないのか?」


 翔太と二人で来ると思っていたが、まわりに姿はない。


「あんな事あったばかりだろ。ひとりになりたいんじゃないかな。すぐに帰っちゃったよ」

「入れ違いか。まあいい。原因を知っていれば教えてほしい」

「俺も見てたわけじゃないからさ。あまり知らないんだ。昨日の今頃、この辺でつかみ合ってたってうわさされてる」


 下校時間になったばかりの下駄箱なら大勢に囲まれていた事だろう。翔太から何か聞いていないか、と尋ねたが少年は首を振った。


「あいつ、俺にも話さないんだよ。だからわからないんだ。ごめん」

「いや、先入観なしで学年主任の話を聞けるのは良いことなのかもしれない。先に翔太の言い分を聞いていれば無条件に味方してしまいそうだしな」


 トラブルをスムーズに解決するには客観的に事象を受け止める必要がある。そう考えての言葉だったが、大智はくちびるをとがらせた。


「おじさんは翔太の味方してやれよ。家族なんだからさ」


 家族なのかは怪しいが、大智の言う通りだろう。何があったにせよ俺は翔太の側に立つべきだ。それを気づかせてくれたのはありがたい。


「その通りだ。翔太の心配してくれているんだな」


 そう言うと、大智は笑った。


「当たり前だろ」

「ついでに、もうひとつ頼みがある。良ければ連絡先を教えてくれないか。聞きたい事がでてくるかもしれない」

「俺の? 教えてなかったっけ?」

「必要がなかったからな」


 大智は、そうだっけ、と言いつつ、ランドセルからスマホを出す。


 番号を教えてもらって発信。大智の手の中から着信音が聞こえたのを確認してから切った。


 スマホを閉まった大智は顔を上げて笑う。


「じゃあ、俺は行くから」

「ああ」


 少年は走り去り、大勢の子供の群れの中に消えていく。それを見送り俺は職員室へと足を進めた。


 授業が終わったばかりのせいか、数人がいるだけ。手近なところでノートPCを触る女性教師に尋ねると目的の人物を教えてもらえた。


 その若い男は俺に気づくと立ち上がり、真っ直ぐ来る。


「はじめまして。三年生の学年主任を務める安田です」

「佐藤です」


 間近で見ると、電話の印象よりさらに若いとわかる。まだ二十代だろう。こちらへどうぞと、パーテーションの奥に招かれる。穏やかそうな男だが、名乗った時に眉をひそめた気がした。


 応接室ではなく、職員室の一角を仕切った会議卓のパイプ椅子に腰を下ろし、向き合って座る。


 席につくなり安田は本題を切り出してきた。


「相手のご両親は今回に限り不問にすると仰っています。怪我がなかったのが幸いでした」

「そうですか」

「ただ、原因がわかりません。翔太君が話してくれませんので。何か聞いていませんか?」

「いいえ」


 安田は折り畳みできる長机の上で指を組み、探るような目を俺に向ける。


「では気づいた事はありませんか? どんな些細ささいな点でも構いません」

「ありません」


 即答したのが気に入らなかったのか、組まれた指はほどかれ、トントンと机をたたき始める。


「真面目に考えてください。彼らは子供ですが、それ故に繊細です。わずかな見落としが分水嶺ぶんすいれいになる危険性をはらんでいます」

「同意します。しかし思い当たる節はありません」


 机を叩く学年主任の指が止まる。そして短くため息をつき、ゆっくりと言った。


「お父様にわからなければ、お母様にうかがうべきかもしれません。連絡先を教えてもらえませんか?」

「個人情報ですので本人の承諾なくお教えできません」


 再び指がリズムを刻み始める。今度はさっきより早い。


 田上の連絡先を知っていたとしても本人の同意がないのに開示できないのは常識だ。社会では当たり前の事に、安田は苛立ちを感じているらしい。


「……ひとつ、うかがってもいいでしょうか?」

「どうぞ」

「翔太君に融通の利かなさを見せていませんか? だから同じように行動し、友達と衝突したのではないでしょうか。もしくは対話が足りず、ストレスになって友達に当たったかもしれません。血がつながりがない分、より一層寄り添ってあげるべきだと思います」

「現状では判断しかねます。申し訳ありませんが、今日の主題をお聞かせ願いませんか? 原因の究明、対処が目的だと考えていましたが」


 どうにも話の方向が見えない。俺が意図を測れずにいるのと同じで、安田は首を傾げた。


「相手方は不問にすると言っています。原因を調べる行為は相手の機嫌を損ねる事になりかねます」

「では、なぜ私が呼ばれたのですか?」

「お父様が翔太君と向き合えているか確認させてもらうためです」


 学年主任の話がどこに向かっているかわからなかったが、ようやく納得がいった。この内容なら電話で十分だと思ったが、来てしまった以上、仕方がない。先に用件を確認しておかなかった俺の落ち度だ。次があれば活かすとしよう。


「理解できました。ご意見をもとに検討します」


 安田の頬が緩む。満足したらしい。


「それは何よりです。翔太君のために、よく話し合ってみてください」

「はい。では失礼します」


 俺は席を立ち、頭を下げた。


 職員室を出た廊下に子供たちの姿はあまりない。足早に歩いているせいか、スリッパが鳴る音が大きく聞こえる。


 内ポケットからスマホを出してコール。30秒ほど待たされて通話に切り替わる。


「大智か? 俺だ。早速だが聞きたい事がある」

『なんだ、おじさんか』


 スマホのスピーカーは大智の声と共に、荒い息づかいも伝えてくれた。きっと遊んでいる最中だったのだろう。


「翔太の喧嘩相手に話を聞きたいと伝えてもらえないか? 原因が知りたい」

『え? おじさん、何しに学校に行ったんだよ。先生に聞き忘れたのか?』


 音声しか伝える機能のないスマホだが、あ然としている感情がありありとわかる。それは俺も同意だ。何の話か最後まで把握できなかったとは言わずに、言葉を続ける。


「そんなところだ。頼めるか?」

『しょうがねえな。俺が聞いておけばいいのか?』

「ああ。穏便に頼む」

『わかってるよ。俺だって気になってるんだ。翔太は理由もなしに手を出すやつじゃないしな。じゃあ、また電話する』


 手短な会話はすぐに終わった。そのまま歩き続け、来客口から寒空の下に出る。


 学年主任は翔太と話し合えと言ったが、その前にやることがある。トラブルが発生して調査も再発防止もなしとはあり得ない。今後の事を考えるなら影響解析FMEAぐらいしておくべきだろう。


 大して時間が経っていないはずだが太陽は西の空に動いていた。運動場でサッカーボールを追う生徒たちの影も長い。俺自身も自らの影を引きずりながら来客用の駐車場へ足を動かした。

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