エマージェンシー・コール
18話 来いと言われても
「さっむっ!」
身を切るような風が吹き、
「我慢しろ。すぐに新幹線が来る」
「その前に凍えてしまいますよ。だいたい何で本社に来ないといけないんですか。いつもみたいにウェブで済ませればいいんですよ」
「年末ぐらい直接顔を合わせたいと思うのはわからなくもない」
「だったら本部長がこっちに来ればいいじゃないですか」
寒さで愚痴をこぼす坂木にため息をつき、平日の夕方だというのに閑散とした新幹線のホームを見回す。西日を受けて赤く染まる自販機を指差した。
「何か温かいものでも飲むか?」
「じゃあ、カフェオレをお願いします」
「わかった」
荷物をそのままにして自販機へ向かうと、突風で押し戻されそうになり、ズボンのポケットに手を突っ込む。まだ12月の頭だと思って侮らずにコートを着てくればよかった。
買ったばかりの缶コーヒーを握りしめながら戻り、一本を手渡す。
「ありがとうございます。
「缶のブラックは苦手なんだ」
「あ、わかります。私もなんですよね」
プルタブを引いて口元に近づけたが、飲まずに下ろした。坂木が開けるのに苦戦していたからだ。
「交換してやる」
「助かります。指に力が入らないんですよ。本当に寒くて」
「だろうな」
またプルタブを上げ、口に含む。コーヒーの香りが弱くて甘ったるいが体の芯から暖まり、ホッと息をつく。
目の前の坂木も両手で缶を包み、温泉に浸かる年寄りみたいな声を出していた。まだ若いのにと思ったがリラックスしていたので見守るにとどめる。
それにしても坂木の態度が普段通りすぎて拍子抜けだった。あれから何も変わらない。仕事への姿勢はともかく、俺への接し方もだ。
熱を出して卵がゆを食べていた姿を思い出す。あの時、好きだったと言われてから二ヵ月か。本人が気にしている様子はない。むしろ意識しているのは俺だろう。ふとした時に思い出してしまう。なぜ考えてしまうのか? それに明確な答えはない。
たぶん、もっと知りたいんだろうな。
ぬるくなりかけているカフェオレを一気に飲み干しながら、そう結論付けた。
それにしても新幹線はまだか? 強風で遅延していないか確認しようと、内ポケットのスマホに手を伸ばす。その便利な道具は指先が触れた瞬間に震えはじめた。着信だが、この番号は登録していないし覚えもない。少しためらったが通話アイコンに触れた。
「
『三年生の学年主任を務める
このスマホが俺の物と知りつつかけてきて、念を押して確認する姿勢は好感が持てる。俺と翔太の名字が違うならなおさらだ。
若い声の男にしてはしっかりしている。学年主任を任されるだけはあると感心しながら返事をした。
「間違いありません。ご用件は?」
『翔太君がクラスメイトとつかみ合いの
「双方に怪我はありませんか?」
『はい。つかみ合いになっただけらしいです』
クラスメイトと聞き、
相手が誰であろうと子供が喧嘩するのは珍しくない。大きな怪我さえなければ本人たちが解決すべき問題だ。しかし学生主任の話は続く。
『大ごとにならなかったとはいえ、二人とも喧嘩の原因を話してくれません。ですので、お父様から話をうかがえないかと思いまして。今から来てもらえませんか?』
「19時過ぎなら可能です」
新幹線の到着時刻を考えると早くてそのぐらいだろう。夕食を取る時間がなくなるが仕方ない。
最大限の譲歩だったが、彼にとっては遅すぎるようだ。
『もっと早く来れませんか?』
「無理です。電話で済ませられませんか?」
『こういったデリケートな問題は顔を合わせて話すのが大切ですから』
たった今、坂木に言った事がそのまま返ってきて苦笑いが出た。しかし、ここから小学校は遠すぎる。
「それでも無理です」
『息子さんのためにでもですか? 普通の父親なら飛んでくると思いますが』
すぐに言葉が出なかった。学校の教師というのは突発的に保護者を呼び出すのが普通なのか? それに応じるのも当たり前なのだろうか?
少なくとも俺の関わる会社間のやり取りではあり得ない。
もし、これが通常のやり方だとしたら、田上は苦労していた事だろう。顧客とアポを取って、準備を重ね、電話一本でひっくり返される。初めて彼女の気持ちを知った気がした。
こういった時、母親としての田上はどうしていたのか? 次に会った時に聞いてみるとしよう。どうせ近い内に会いにくるだろうしな。
それはともかく、行けないものは仕方がない。
「私にも都合がありますので」
スマホのスピーカーが学年主任のため息を伝えてくれる。
『わかりました。では、明日の放課後ならいかがですか?』
「問題ありません」
『では、明日、お待ちしております』
「ええ」
『失礼します』
そして通話が終了した。切ってから思ったが、放課後とは何時だ? かけ直そうかとスマホに表示されている番号を見つめていると、坂木が俺の顔をのぞき込む。
「幸二さんが自分の事を私って言うなんて珍しい」
放課後が何時なのかは翔太に聞けばわかると思い、スマホを内ポケットにしまった。
「顧客相手でも私と言っているだろう」
「
「あの人にはいいんだ。長い付き合いだしな。それより――」
翔太が喧嘩した事を話そうとした時、新幹線の到着を知らせるアナウンスがホームに流れた。それを聞いて坂木は長い息を吐く。
「来ましたね。凍える寸前でしたよ」
彼女はビジネスバッグを肩にかけ直し、俺はホームに置いていたカバンと紙袋をつかんだ。ホームに滑り込んでくる新幹線が起こす風で黄色い紙袋が暴れる。
「幸二さん、その焼き菓子が好きですよね」
「ああ。こっちに来た時は必ず買う」
「そのわりに職場でお土産配っているところを一度も見てませんよ」
新幹線は静かに減速して止まった。到着を知らせるSEとともにドアが開き、暖かい車内に乗り込む。後ろをついてくる坂木に振り向きながら言った。
「当たり前だ。俺が食う土産だからな」
「自分用のって、お土産と言うんですか? あ、そういえば、さっき何か言いかけてましたよね」
「何でもない」
やはり、これは話すべきではないだろう。翔太の心に触れる問題かもしれないからだ。それに。
隣に座り、背伸びをする坂木を横目で見た。
また迷惑をかけるかもしれないと思うと、黙っているべきだろう。
新幹線は緩やかに加速を始め、窓の外にある景色を置いてきぼりにする。
その夜、そして翌日の朝、俺は翔太に数度にわたって喧嘩の原因を尋ねたが、かたくなに口を閉ざされ、何も聞き出せなかった。
ただ、ごめんなさい、と言うばかり。目をそらす姿からは怒りより悲しみを感じた。きっと田上や本当の父親なら話すだろう。結局、わかったのは放課後が15時30分からという事だけ。翔太と仲のいい大智と話す機会を作る伝言を頼めたのは収穫だろう。
少しでも情報を得てから学年主任との話に望めればいいと考えながら、その時を待った。
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