スポーツ・デイ
10話 夢を見た
頭上に伸びた枝と葉の間から青い空が見えた。周囲にはピクニックシートに座って弁当を囲む家族が大勢いる。そこにいる子供たちは体操着で、俺も同じ格好をしていた。おにぎりを持つ俺の手は
小学生の自分を後ろから見下ろしているような、追体験しているような不思議な感覚だった。俺の頭を赤白帽子ごとかき回す父の手は大きく、これは夢なんだと思った。こんな夢を見るなんて翔太の運動会が近づいているからだろうか?
記憶より若い父が俺に問いかけた。
『
唐揚げを頬張る俺は大きくうなずく。ちゃんと言葉で伝えたくて急いで飲み込もうとしたら、むせた。隣にいる母が水筒の蓋に麦茶を注いで渡してくれる。
麦茶で流し込んでから、あぐらをかく父に胸を張って言った。
『絶対勝つよ! ビリでも僕と
『お前たち、本当に仲がいいな』
『親友だもん』
勇人、久しぶりに出てきた名だ。小中高と同じだったが、すでに交流はない。二人のきずながいかに強いかを話しながらも唐揚げを食べる速度は落ちず、父はあきれて笑った。
『さっきから唐揚げばかり食べているな』
『だって、おいしいんだ。いつものと違うね。家でも作ってよ』
そう言いながら、また唐揚げに箸を伸ばして母を見上げる。衣は柔らかくて
『だーめ』
『なんで? 高いの?』
高価だからめったに作れないのか、と思ったのは覚えている。そう言う俺に母は柔らかく笑った。
『これは特別な日だけ作るって決めてるの。その方が思い出になるでしょう?』
『そうなの?』
首を傾げる俺を父は笑った。大人に成ればわかる、と。
当時は意味がわからなかったが、今では理解できる。運動会、誕生日、そういった時にだけ出てくる甘辛の唐揚げは記憶に鮮明だ。これが何年生の時なのか全く思い出せないが、この唐揚げの色と味だけは忘れようがない。
少年の俺はまた頬張る。胡麻の香りのあとに甘辛さが口いっぱいに広がり、鶏肉の弾力が気持ちいい。父も母も俺のために唐揚げに手を出さず、一人で全部食べてしまったのを覚えている。これから全力で走らないといけないのに食べ過ぎている俺を二人は笑った。
そんな穏やかな昼休憩は終わり、日に焼けた少年が駆け寄ってくる。体操着の袖をまくった勇人が口に手をそえて叫んだ。
『幸二! いつまでのんびりしてるんだよ! 俺たちの走りを見せつけてやろうぜ!』
『今行く!』
俺は麦茶を飲み干し立ち上がった。頑張って、と応援してくれる母に手を振って走り出す。校内放送が各学年のリレー選手に集合しろと伝えてくれていた。並んで走っている勇人と俺は、クラスメイトの声援に拳を振り上げて応える。
レースはこれからだというのに色鮮やかな運動会の情景は色あせていき、アナログなノイズで消えていく。
夢はここまでか。そう思ったが違う光景が見えてくる。まだ夢は続くようだ。
現れたのは、高校のブレザーを着込み成長した俺。家のリビングでテーブルを挟んで座っているのはスーツを着た初老の男性。胸にある
中学三年の時に、もらい事故で母が死に、さらに二年後、あとを追うように半年の闘病の末に父も逝った。
父からの依頼で相続に関する事務処理を任されている弁護士はしっかりした口調で言う。
『無駄遣いしなければ大学卒業まで問題ありません。予定外の出費が多少発生してもです』
『はい』
『本当に一人で大丈夫ですか? 費用は掛かりますが親族を探して世話になる事も可能です』
『いえ。会った事もない親族なんて他人と変わらないので』
膝の上で拳を握りしめている俺は体が大きくなっただけの子供だ。一人でやっていける大人になると強がっているに過ぎない。
虚勢を張っている高校生の俺に、弁護士は現実を突きつける。
『これからの人生は君が決めるのです。真剣に相談に乗ってくれる人はいません』
『誰も頼れませんね』
『そうです。私は後見人に任命されましたが君の親ではありません。私の話を参考にしてもいいですが、責任は取れませんし守ってあげる事もできません』
『わかっています』
想定内だと言わんばかりの俺に弁護士は尋ねた。これから何を目指すのかを。
『俺は……大人に成ります。誰の手も借りずに生きていく
『良いと思います。具体的には何をしますか?』
『情報系の資格を高校在学中に取ります。あれなら独学で取れそうですし、商業校でもないのに資格持ちなら就職で有利になるかと』
『就職の事はよく知りませんが、挑戦は君の自信と強みにはなるはずです。厳しい道でしょうが応援します』
両親を失った俺は早く大人に成りたかった。手段に問題があったが、あの頃の頑張りは無駄になっていないと信じたい。
30歳を過ぎた今なら、もっといいやり方を選ぶだろう。頑なに自分を貫き通す事しかできなかったのは周りが見えていない子供だからだ。大人に成る。そう思っただけで変われると勘違いした愚か者だ。だから過ちを犯す。その対処も間違う。
こうして夢で再確認したところで過去は変えられない。
またアナログノイズが現れて、リビングの壁を、弁護士を、テーブルを飲み込んでいく。なんとなく夢は続くと思った。次は過ちを犯した高校三年。文化祭後だろう。
その予想は当たり、放課後の自転車置き場が見えてきた。自転車の籠にカバンを突っ込んだ俺に近づいてくる影がある。勇人だ。長い付き合いの友人はポケットに手を突っ込み、敵意をむき出しにしている。
『
『必要ない。
『幸二! お前が文化祭の準備に参加していさえいれば!』
襟をつかまれて引き寄せられた。自転車のハンドルに袖が引っかかって、ガシャン、と倒れる。籠から飛び出たカバンを目で追い、それから勇人に顔を向けた。
クラスでやる出し物の準備を手伝わない俺を田上が擁護し、クラスメイトの士気も結束力も落ちた。当然のように出し物は中途半端となり、俺の肩を持った田上はみんなから責められて孤立。
それがどうした。誰も助けてくれなんて言っていない。田上が勝手にやっただけだ。俺には関係ない。
『来月の試験で忙しい。担任にも話をつけてあったはずだ』
『みんなだって受験で大変なんだ! それでも一致団結して成功させようと頑張ってたんだぞ!』
『入試が来月でも同じ事がいえるか?』
『……幸二のは入試じゃないだろ。資格試験なんて今じゃなくてもいい。高校最後の思い出に勝るものなのか?』
話にならない。俺と勇人は見ているものが全く違うと感じた。
『俺は大学受験も資格試験も失敗できない。就職で失敗する事もだ。困った時に助けてくれる親がいるお前たちとは違う』
吐き捨てるように言うと襟をつかむ手が緩んだ。
『幸二。お前、変わったな。前はそんなに冷たいやつじゃなかった』
『大人になっただけだ。いや、ならざるを得なかった。学生の慣れあいに意味はない。俺には不要だ』
自転車を起こしている俺に勇人は背を向ける。その拳は固く握られ、わずかに震えていた。
『そうか。だったらお前との仲はこれまでだ。勝手にしろ』
『言われなくてもそうする』
立ち去る勇人をそのままにして俺は自転車にまたがった。それ以来、勇人とは、まともに会話していない。
高校生の俺は大人に成りたくて交友関係を切り捨てた。目的のために手段を選ばないのが大人だと信じて。
また風景が色あせていき、アナログノイズが広がっていく。これは俺の過去と向き合う旅だ。だとすれば次の景色は去年の冬だろう。田上と翔太に出会った、雪の積もる駅。
しかし、いつまで経っても二人は現れず、夢は終わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます