9話 飲むぞ

 強い衝撃でキャンプチェアごと仰向けに倒されて目が覚めた。


 俺の上に坂木が倒れ込み、イテテ、と頭を振る。そのたびに髪がバサバサと顔にかかった。その背中を押しながら絞り出すように文句を言う。


「痛いのは俺だ。早くどいてくれ。重い」

「重くないですよ!」


 坂木が起き上がってくれたので、ようやく体を起こす事ができた。座っていたキャンプチェアのフレームが折れているのが一目でわかり、顔をしかめる。人間工学に基づいているだけあって非常に座りやすかったが、二度と使えそうにない。


 なぜこんな事になったのかと問いただそうとしてめた。罰が悪い顔をしている坂木の向こう、キンモクセイを盾にして俺の様子をうかがっている翔太と大智の手に水鉄砲が握られていたからだ。


 足元に転がっている大型の水鉄砲を拾い、坂木に渡す。


「起こしてくれたのは礼を言うが、普通に目覚めたかったな」

「すみません。遊んでたら夢中になっちゃいました」

「ぶつかったのが俺だから良かったが、グリルだったら怪我じゃすまなかったぞ」


 グリルに目を向けると、炭は水を吸って鎮火しており、鉄板と網はきれいに洗われていた。


「子供たちが走り回るから危ないと思って消しました」


 そう言いながら坂木は水鉄砲の引き金を引き、水は長い放物線を描いて翔太たちの近くまで飛んでいく。寝ている間に西の空に移動した太陽の下、それはどこなく涼し気で、夏の終わりが近いと感じた。


「悪かったな。俺が寝てしまったせいで大変だったろう?」

「いえ。童心を思い出して楽しかったですよ。それにしてもよく寝てましたね。やっぱり疲れてるんですか?」

「のんびりし過ぎて気分が良かったんだ」


 そう言いながら背伸びして腰をひねった。体に血がめぐるのを感じるとともに、ここにあるはずのない物が視界に入って血の気が引いた。


 テーブルの上の四合瓶を手に取ると半分以上ない。なぜ冷蔵庫にあるはずの日本酒がここにあるのか? 瓶を振りながら坂木を見ると、明らかに目が泳いでいた。


「えーっと、ですね。マヨネーズを取りに行ったんですよ。そうしたら美味しそうなのを見つけまして……」

「だからと言って勝手に飲むなよ」

「すみません。でも、バーベキューならお酒が欲しいですよ」

「俺が我慢してたというのに。それで、美味かったか?」


 返事はなかったが、坂木の目尻が下がったので想像がついた。紙コップ二つに残りを注ぎ、一つを渡す。キャンプチェアが壊れてしまっているので縁側に座ると、隣に坂木も腰を下ろした。


「美味かったならいい」

「いいんですか?」

「今日、呼んだのは礼をするためだしな。最近は世話になりっぱなしで申し訳ないと思っている」


 そう言うと、坂木は紙コップを両手で持ったままブンブンと首を振った。


「そんな事ないですよ! 先日の私のミス、あれで色々と動いてくれてるのは知ってます。感謝したいのは私です」


 手の中にある紙コップに視線を落として、ちびりと口に含んだ。喉から鼻に抜けていく香りが優しい。


「幸二さん、例の機能ですが、もう一歩踏み込んだ仕様を提案してますよね。あのシステムを使っていたら今後欲しいと言ってきそうな機能を盛り込んだのを」

「俺のファイルを見たのか」

「そりゃあ、見ますよ。深夜3時に更新されてたら気になります。どうせ、帰ってから作業を続けるつもりでサーバに置いたんでしょうけど」


 普通は自分に与えられた仕事以外の情報に目を通さない。精々気になる点があった時ぐらいだ。それなのに無関係フォルダの奥まで潜って見ているという事は、プロジェクト全体を把握しようとしている事だ。坂木がそこまでしているとは知らなかった。


「本決まりになってから言うつもりだったんだけどな。すでに何回か客先と仕様の擦り合わせをしていて、グループ・マネージャGMの承認も得た。もちろん、上手くいけば会社の利益になる。プロジェクトのスケジュールも延長されるだろう。これは逆にチャンスと言っていい」

「それ、私のためにですか?」

「切っ掛けはそうだが、違う。俺たちのチームにとってプラスになると考えたからだ」


 正直に答えると、坂木は笑った。


「そういうところですよ。私のためって言ってくれたら好感度上がるのに」

「これ以上、下がらければいいが、そうもいかないだろうな」

「どういうことです?」

「本決まりになったら実作業は任せる。坂木が使った事のない技術が必須だから大変になるぞ」


 嫌がると思った予想は外れて、坂木は良い笑顔で紙コップを突き出した。


「はい! がんばります。困った時は教えてくれるんですよね?」

「当然だ。よろしく頼む」


 紙コップ同士を軽く合わせてから飲み干した。うまい。しかし、これはまずい。止まらなくなりそうだ。


「坂木。冷蔵庫にもう一本あっただろ。持ってきてくれないか? 食器棚のグラスも頼む。紙コップで飲むにはもったいない」

「私、お客さんですよ。働かせるなんてひどい家主ですね」


 そう言いつつも坂木はスニーカーを脱いで部屋に上がり、奥に消えていった。


 空の紙コップを両手でもてあそびながら、赤く変わりつつある日差しを受けて水鉄砲に水を込めている少年たちを見ていると、縁側の良さがわかった気がした。


 ここはただの通路じゃない。家族を見守り、語りあう場所なのかもしれない。思い返してみれば、父もここから母の畑いじりをながめていた気がする。


 ぼんやりと母の畑があった辺りを見ていると、戻ってきた坂木が隣に腰を下ろした。俺の手から紙コップを取り、代わりにグラスを置く。


「酔ったんですか? ぼんやりしてましたよ」

「親父もこうやって縁側で酒を飲んでいたのを思い出しただけだ」

「へー。一緒に飲んだりしてたんですか?」

「いや。坂木こそ父親と飲んだりするのか?」


 その問いに坂木は困ったような顔で笑った。


「全くないです。無口で何を考えてるかわからないんですよ。根っからの仕事人間ってやつですね。小さい頃からほとんど会話した記憶がありませんし、そのせいか父親像ってものがぼやっとしてるんですよ」


 何年も帰ってないな、と一息で飲み干して、長い息を吐いている。その空になったグラスに酒瓶を傾けると澄んだ日本酒に満たされ、坂木はその中に答えを求めるように見つめていた。


「知りたいなら話せばいい。俺にそれを教えてくれたのは坂木だ」


 あの日、リコーダーが鳴る部屋のドアを開けたのは俺だが、切っ掛けをもらわなければ今も閉ざされていたままだったかもしれない。


 助言がなければ翔太に話しかけなかった。そう言うと、目のまわりをほんのり赤くした坂木がじっと俺を見つめる。


「そうでしたね。翔太君に話しかける時に緊張しませんでした?」

「しなかった。それ以上に知りたいと思ったんだろうな」


 曖昧に笑う坂木は踏ん切りがつかないようだった。背中を押してもらいたいのかもしれないと、言葉を続けた。


「どんな結果になろうと今の途切れた関係よりずっといい。プラスしかないなら緊張する必要はないだろう」

「そう……ですよね。人付き合いが苦手な幸二さんにできたんですし、私だって、ですよね。努力、してみようかな」

「うまく話せるといいな。それと、人付き合いは苦手じゃない。不確定要素が増えるから避けてただけだ」


 しかし今はどうだ? 翔太と向き合うようになり、坂木を隣にして酌み交わす。こんな風に誰かと同じ時間を楽しめるようになるとは思ってもみなかった。感謝しないとな。


 ちびちびと酒を楽しんで気分良さげに揺れている姿を見つめていると、視線が交わる。


「どうしたんですか?」

「坂木が部下で、杯を交わせて、良かった」


 正直に言ってみたものの坂木の反応は薄い。空を見上げながら、そういうとこですよ、と小さくつぶやいただけだった。


 何がそういうとこなのかはわからないが、ほほ笑んでいるところを見ると悪い意味ではなさそうだ。




【次回予告】


 夏休みが終わった翔太は学校に通いだし、幸二も忙しい日々を過ごしていた。二人が挑むのは学校行事、運動会。翔太は徒競走で一着を目指し、幸二は弁当作りに挑戦する。そうして迎えた運動会の当日、幸二に試練が訪れる。


 次回

『お前らの存在が重すぎて俺のタスクが破綻する』

<スポーツ・デイ>

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