8話 ピーマン食うぞ

 坂木の参加が確定し、バーベキューの準備が進められていった。


 といっても食材と木炭を運んできてくれたのは大智の母親で俺は何もしていない。毎日終電間際の帰宅で翔太と顔を合わすのも朝しかなかったほどだ。


 そして当日の土曜日はよく晴れていた。砂利がかれた庭にタープを張り、キャンプ用のテーブルと椅子を並べていると、すぐそばを翔太と大智が水鉄砲でお互いを撃ちながら駆け抜けていった。


 二人が走り回っているのを見ると、庭をきれいにして良かったと思えた。両親が健在の頃は手入れされた木が何本もあり、母の小さい畑があったが、今は面影の欠片もない。


 一人になって十年近く放置した庭はジャングルのようになり、虫の楽園と化した。あまりにもひどいので業者に頼み、マサキの生垣は竹を編んだ垣根に変え、キンモクセイを一本残して樹木を撤去、雑草対策に白の玉砂利を敷いた。少し殺風景な庭だが、子供たちが遊べるスペースがあると思うと悪くない。


 バーベキューグリルを組み立てて、木炭が入っているダンボールを開けたところで、駐車スペースに軽のSUVが滑りこみ、俺の車の隣でエンジンを止めた。


 降りてきた坂木は俺を見つけて軽く頭を下げる。いつものパンツスーツではなく、Tシャツとジーンズ姿。スニーカーも相まって、より活動的に見えた。


「おはようございます。うわさ通り良い所に住んでるんですねー。あっ! 縁側! いいなあ。実家も今住んでるとこもマンションだから無くて」

「マンションならベランダがあるだろ」

「わかってませんね。縁側にはワビサビがあるんですよ」


 すまないがわからない。生まれた時から住んでいる家のせいか、俺にとってはただの廊下でしかなかった。坂木はくすんだ瓦屋根を見上げて、味がありますね、と言っているが古いだけだ。雨漏りしないうちにき替えすべきだろう。


 しみじみしている坂木の元に翔太と大智が駆け寄ってきた。二人とも汗のせいか、水鉄砲のせいか、髪や服がベタベタだった。


「ひとみさん、こんにちは。この前はありがとうございました」

「おっす、ねーちゃん」

「二人とも、こんにちは。大智君はお父さんと仲直りできた? あれ? お父さんたちも来るんじゃなかったっけ?」


 首を傾げる坂木に対して、大智は腕を組んで偉そうに胸を張った。


「もうじき稲刈りだからな。父ちゃんたちは機械の整備で忙しいから来れないよ。ねーちゃんにも、よろしく、だってさ」

「手伝いたいんじゃないの?」

「機械は危ないし、いても邪魔になるだけだしな。そんな事より、おじさん。早く始めようぜ。腹減ったよ」


 急かされるまま火を起こす。


 火が十分じゅうぶんに育ってきたところで網を乗せると、騒いでいた三人が集まってきた。


 ブロック肉を包むラップをはがし、厚めにスライスする。美しい断面が現れて、おおー、と歓声があがった。


 それを網に並べると、ジュウ、という音と共に肉の焼ける匂いに包まれる。これはたまらないと唾を飲みこむ俺に、坂木が麦茶の紙コップを差し出してくれた。


「これが高級和牛ですか?」

「そうらしい」


 上の空で返事をしつつ、別の事を考えていた。


 最初はどうやって食おうか? まずは塩胡椒こしょうでシンプルに味わうべきだろう。次はガーリックソースか。いや、ワサビ醤油しょうゆも捨てがたい。そんな事で悩む必要はないと思い返して首を振った。全部試せばいい。肉はたくさんある。


 程よく火が通ったところで、ひっくり返していくと網目のついた面が上になり、油がしたたり落ちて炎が上がる。すぐに箸を伸ばしたいが、ここは我慢だ。


 じっと耐えていると再び炎が立ち上がる。まずい、火力が強すぎる。急いで網の中央にある肉を脇へ避難させた。


 待ちきれずに一枚裏返すと現れるのはきれいに付いた網目。よし、頃合いだ。そのまま塩胡椒を振りかけてトングで取り上げる。


 箸に持ちかえ、素人仕事とは思えない見事な焼き加減に満足しつつ、そっと歯を立てる。厚みがあるというのに、驚くほど柔らかかった。


 これはいい。素晴らしいぞ。やはり肉は網で焼くのがいい。程よく油が落ちている。幸せだな、と目を閉じて味わっていると大智が不満げな声を上げた。


「おじさん! 一人だけずるいぞ!」

「箸やタレはキャンプテーブルにあるから好きなのを使うといい」


 慌てて大智が箸を伸ばし、坂木と翔太も続く。驚くだろうな、との予想を裏切られず、三人は目を丸くした。


 無心で食べているのを見るとバーベキューをして良かったと思えた。いや、大智の両親に礼を言うべきだな。あとで電話しよう。


 思えば大人になってから礼をする事も、感謝される事もなかったが、この夏になってからは頻繁に発生している。これが人と関わるようになった結果か。それと同時に今までが一人で完結していたと自覚できた。それで困った事も、寂しいと思う事もなかったが、過去のトラブル原因になったのは間違いない。


 古い記憶を掘り起こしていると田上たのうえの顔が浮かぶ。あいつにも迷惑をかけたと思いつつも、今の俺を見たら何と言うか気になった。


 ぼんやりしていると翔太が笑顔で俺の腕を引く。


「美味しい! もっと焼いてよ!」

「わかった。まだたくさんある。慌てなくていい」

「うん!」


 そうして焼き続けていくうちに本題を思い出した。腹が膨れる前にやっておくべきだろう。


 肉が減ってきた網の上にアルミホイルの塊をいくつか置くと坂木が首を傾げた。


「なんですか? これ」

「ピーマンだ」

「あー。翔太君の苦手を克服させる秘策ですよね。じゃあ私のも。負けませんよ」


 トングを奪われてホイル焼きの横に置かれたものは定番中の定番。ピーマンの肉詰めだ。


「もしかして、もう試しました?」

「いや」


 作ろうとしたが上手にできなかっただけだが。


 開けていいか、とホイルに箸を伸ばす大智を押し留め、複雑な顔をしている翔太に笑いかけた。


「俺はこれ以上のピーマン料理を知らない。安心していいぞ」

「え、う、うん」


 そわそわしている翔太と、肉を食わせろと騒ぐ大智、自信満々な坂木の前で、その時は近づいていた。


 十分、火が通ったと思われ、トングと箸でホイルを破ると、三人がのぞきこむ。オリーブオイルの香りが広がり、しんなりとしたピーマンが現れた。


「ヘタも種もそのままですよね?」

「そうだ。ピーマンを丸ごとホイル焼きにしたもの。旨味が閉じ込められている最高の食べ方だ」


 粗塩を振って、そのまま口に放り込む。むたびに閉じ込められた水分があふれだし、甘味を感じるほどだ。


 食べてみろと差し出すが、翔太は微妙な表情は変わらず箸も動かない。見かねた坂木が翔太の皿にピーマンの肉詰めを置いた。ケチャップソースがたっぷりかけられていて、これでは調味料の味しかしないだろう。


「丸ごとは無理ですって。翔太君、こっちは食べやすいわよ」

「そんな事はない。俺のは絶品だ。間違いない」


 二つを見比べるだけで手が出ない翔太の代わりに大智がホイル焼きをつまみ上げ、一口に頬張る。


「ピーマンじゃん!」

「当たり前だ。しかし美味くないか?」

「んー。ほんの少しだけ」


 大智は人差し指と親指を近づける。その隙間はくっつきそうなほど狭い。気になったのか坂木も手を伸ばした。


「あ。思ったより美味しい」

「だろう?」

「でも上級者向け過ぎますよ。苦手なものをより強調してどうするんですか」

「美味さに気づけば苦手意識がなくなるだろう」


 食い下がる俺に対して、大智と坂木は辛辣だった。

 

 これ料理じゃないだろ。見た目がそのまま過ぎますって。味が薄すぎるんだよ。私は鰹節かつおぶしと醤油の方が好きかも。もうおじさんの負けでいいから肉を焼こうぜ。


 二人が騒いでいると、ようやく翔太が動いた。ピーマンの肉詰めを半分ほど口に含み、ろくに噛まずに飲み込んでいる。


 どうかな、とたずねる坂木に対して、美味しい、と答えてはいるが表情は固い。


 そしてホイル焼きに手を伸ばし、ほんの少しかじった。


「……大丈夫」


 即座に麦茶で流し込み、光を失なった目で言われると作戦が失敗したのを認めるしかない。なにより気を使わせているのが心苦しかった。


「無理させて悪かった。肉詰めなら食べられるのか?」

「がんばれば」

「何が苦手だ? 苦味か? それとも匂いか?」

「どっちもかな」


 ホイル焼きをもう一つ食べてみるが、苦味も匂いも強いとは思えない。苦手意識がそう感じさせるのだろうか。考え込んでいると、坂木が思い出した、と人差し指を立てた。


「子供は苦味を強く感じるらしいですし、成長するまで待つのもありですよ」

「なるほど……いや、待てよ」


 名案が浮かんだ。今すぐは試せないが俺にも作れるだろう。それに、あれは好きだ。


「翔太。アプローチに問題があった。俺が一番美味いと思う料理ではなく、苦手意識を取り除くところから始めるべきだった。また試してくれるか?」

「うん」


 新たに決意を固めていたが、坂木の言葉は厳しい。


「そういうのは最初に試しましょうよ。それで何を思いついたんですか?」

「ピクルスだ。あれなら苦味がほとんどない」

「あー。なるほど。でも、あれはあれで癖が強いですよ。かなり酸っぱいですし」

「それは大丈夫だろう。翔太。好きな食べ物は何だ?」


 俺の問いに翔太は勢いよく答えた。


「もずく酢!」


 思い出しただけで表情が明るくなったように見える。逆に顔をしかめたのは大智だ。


「お前、よくあんな酸っぱいもの食えるな」

「美味しいのに」


 どんなに素晴らしい食べ物なのか伝えようとする翔太に大智が圧倒されているのを笑っていると、坂木が感心したように言った。


「やっぱり幸二さんの思考は不思議ですね。抜けてますけど、機転の働かせ方というか、トラブルの対応力というか、時々さえてますよね」

「何が言いたいのかわからないが、ほめていないのは、わかる」


 俺がそう言うと、坂木は慌てて両手を振る。


「ほめてますって! 普段は空気みたいな感じでも、困った時には力になってくれる安心感? そういうのって良いと思いません?」

「まるで父親だな」

「それ、しっくりきます。とりあえずピーマンはもういいから肉を焼いてください。お父さんの仕事ですよ」


 誰がお父さんだ、と笑いあいながらクーラーボックスを開けた。


 それからも肉や野菜を焼き、網から鉄板に替えて焼きそばを平らげた時にはすっかり腹がふくれた。


 少年たちは水鉄砲を手に走り回り、キンモクセイの木を盾にして撃ち合っている。その様子をキャンプチェアに身を預けてぼんやり見ていると、眠くなってきた。


 最近は忙しくて夜遅くまで起きていたから当然かもしれない。話していれば耐えられそうだが、坂木は手洗いに家へ入っていったばかりだ。


 まあいい。戻ってくるまで少しだけ休ませてもらおう。


 俺は長く息を吐いて、まぶたを閉じた。

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