バーベキュー・パーティ

7話 バーベキューやるぞ

 さて、どうしたものか。


 客先との打ち合わせ議事録を表示しているモニタから顔を上げるとデスク越しに坂木さかきが立っている。その顔は不服さを隠そうともしていない。気持ちはわかるが、この際はっきり言っておくべきだろう。


「設計からやり直しだ。客先の要求と異なる以上、仕方ない」

「納得できません。この機能で問題ないと了承してもらってます」


 確認しているだけに、話と違うと言いたくなる気持ちはわかる。


「現に求めている機能と違うと言ってきている」

「確かに言質を取りました」


 これでいいと言われて進めて、そうじゃない、と手のひらを返されれば頭にきて当然だ。通常なら要求変更によるスケジュールの再調整をすれば済む話だが、口頭のやり取りだけで証拠が残っていないのが問題だった。つまり、こちらの落ち度となり金がもらえない作業が増えた事を意味する。


 坂木はまだ言い足りないのか口を開くが、騒ぎ出す前に言葉を被せた。


履歴りれきを残しておくべきだったな。規模の大きいシステムだ。認識のずれは仕方ない。次からはメールか質問票で再度確認するのを忘れないように」

「はい」


 言葉では了承しているが、納得できてないのは縦じわが刻まれた眉間でわかる。これはフォローするべきだろう。しかし、感情的になっている坂木へどんな言葉をかければいい?


 今までなら、感情に振り回されるな、客先の求めるシステムを作るという目的を忘れるな、と言っていたところだが、それでは気が収まらないだろう。


 先日に交わした翔太しょうたとのやり取りがヒントになるかもしれないと思い起こす。


 俺が仕事に行っている間に書斎へ入り、ガンダムのプラモデルを壊した時だ。なぜ無断で入った、と問い詰めた時だ。


 部屋の掃除のついでに書斎にも掃除機をかけた、と言っていたが仕事の資料もある。まだ被害がプラモデルだけで良かった。たとえ何万もするもので、作るのに何カ月もかかったとしてもだ。細かいパーツが多くて苦労したり、塗装やLEDの配線が大変だったのはどうでもいい。


 問題は、それを話していた翔太の態度だ。俺は質問していただけなのに、ふて腐れていたのが疑問だった。辛抱強く聞いてみると、どうやら良かれと思っての行動で叱られたと思い、わだかまりになっていたらしい。


 目の前で視線をそらしている坂木も同じなら……かける言葉も同じだ。


不明瞭ふめいりょうな要求に対して確認を取ったのは正しい。俺たちの仕事はコミュニケーションが大切だからな。これからもよろしく頼む。それと、管理しきれなくて悪かった。俺もしっかりしないとな」

「……いえ。すみませんでした」


 坂木が頭を下げ終えた時には、眉間のしわは若干浅くなっているように見えた。どこまでフォローできたかわからないが、済んだ事より、これからの話だ。


「とりあえず、この件は客先と調整する。未着手の機能変更があっただろ。そっちを先に進めてくれ。あと詳細が知りたい。作った資料とソースはサーバに上げてあるな?」

「はい」


 話している途中でデスクに置きっぱなしのスマホが振動を始めた。表示からメッセージを送ってきているのが翔太だとわかる。


「少し大変だと思うが、うまくやって乗り切ろう。出来る限り手を貸す」

「ありがとうございます」


 坂木が自分の席に戻ってから、スマホに手を伸ばしてメッセージを確認、返信した。


田上たのうえ翔太:大智だいち君は土曜日で大丈夫だって>

<田上翔太:ひとみさんに来れるか聞いてね>

佐藤さとう幸二こうじ:わかった。伝えておく>


 少年二人の計画は実行できそうだがタイミングが悪い。どうやって切り出すべきか? 二枚あるモニタの隙間から坂木の様子をうかがうと、気持ちを切り替えようとしているようだった。両手は忙しなくキーボードとマウスを操り、時折ペンに持ち替えて付箋ふせんにメモを書き込みモニタ脇に張り付けている。


 そんな坂木を俺が邪魔するわけにはいかない。今はサポートに専念しよう。


 もしかすると打開策があるかもしれないと、坂木の書いた資料とソースをモニタに呼び出す。なんとなくだが良い方法がある気がした。そんな確実性のない勘を頼りに客先の資料と見比べる。


 そうしているうちに、俺の意識は深く、とても深く、構築中のシステムに沈み込んでいった。



「これでよし、と」


 作成した資料を保存して顔を上げた時に首と肩がギシギシと痛んだ。PCの時刻を見ると19時を回っている。3時間以上も動かずにいたせいか、あちこちの筋肉が強張っていた。首をほぐしたくて回しながらメールの文章を書き、出来立ての資料を添付して客先の担当者に送信する。


 提案に乗ってくるかは客先次第だが、俺は手応えを感じていた。しかし、ここで気を緩めるわけにはいかない。もうひと押しする材料を用意するため、作業を続けようと思いつつもスマホに手を伸ばした。


 帰りが遅くなると言わないと。何かあれば連絡しろと言った俺が率先するのは当然だ。


<佐藤幸二:今日は遅くなる>

<佐藤幸二:夕食は冷凍食品で済ませてほしい>

<佐藤幸二:すまない>


 俺からの連絡を待っていたのか、返事は早かった。


<田上翔太:大丈夫>

<田上翔太:ひとみさんに聞いてくれた?>


 しまった。あわただしかったせいか完全に忘れていた。顔を上げたが坂木のデスクは空で、それどころかフロアには数人が残っているだけだった。


 自分の落ち度にため息をつきたくなるのをこらえて、スマホに指を走らせる。


<佐藤幸二:まだだ>

<佐藤幸二:明日には確認する>

<田上翔太:うん>

<田上翔太:仕事がんばってね>

<佐藤幸二:ああ>


 他愛のない短いやりとりで頬がゆるむ。今、俺を取り巻く状況の厳しさなど知らずにの、がんばれ、の一言がうれしかった。


 つらい仕事でも家族のために働く父親の気持ちとはこういうものかと、スマホを置いた時、漂ってきたコーヒーの香りにひかれて顔を上げる。湯気を上げる紙コップを両手に持った坂木がモニタ越しにいて驚いた。


「幸二さんでもスマホを見てニヤニヤする事あるんですね」

「まだ帰ってなかったのか。話があるなら見ていないで声をかけろ」

「いやあ、何か楽しそうだったんで。コーヒー飲みませんか? 私のおごりです」


 受け取った紙コップから熱を感じ、疲れているのが自覚できた。口をつけただけでいやされたのがわかる。椅子を転がしてきて隣に座った坂木が柔らかい声で問いかけてきた。


「まだ帰らないんですか?」

「あまり時間がないからな。やれる事はやっておきたい」

「あまり無理したら駄目ですよ」


 本来は俺が気を使うべきなのに、これでは逆だ。まったく大変なのは坂木だろうに。


「問題ない。それよりも昼の件だが、気落ちしてないか?」

「そりゃあ私にもミスがあるのでこたえてます。でも、ちょっとです」

「本当か?」

「はい。何が悪かったか理解できてますし、対策も簡単です。今回は勉強になったと思っておきます」


 坂木は口の端を上げてサムズアップする。前向きに考える事で意識をコントロールするようなったのか、と感心する。


「それならいい。今後の対応方針が決まったら連絡する。大変だろうが、よろしく頼む」

「はい」

「あと、今週末の土曜日は空いているか?」

「大丈夫です。休日出勤ですよね。がんばります」


 坂木の顔が引きしまり、両手が固く握りしめられていた。気合を入れているところで悪いがそうじゃない。


「違う。翔太と大智の二人が坂木に礼をしたいそうだ」

「お礼? 何のです? 働けって話じゃないんですか?」


 話を切り出し方が悪かったのか、坂木は混乱したようで目をはためかせる。礼と言っても、二人が坂木を気に入って会いたがってるだけだが。


「この間の家出騒ぎの件で、だ。坂木の都合さえ良ければうちでバーベキューしないか? もちろん、座って飲み食いするだけでいい。最高待遇だ」

「そこまでしてもらうような事は……」

「なら止めておくか」

「そういうところですよ! そんな事を言わずにって引き止めてくださいよ!」


 坂木は、ビシッと俺に指を突き付けるが、押し戻しす。


「人を指差すな。それで、どっちなんだ?」

「行きます。でも、何でバーベキューなんですか?」

「大智の父親に肉屋の友人がいるらしい。安く上等な和牛が買えるそうだ。肉、好きだったよな?」


 まだ鼻息が荒かったが、身を乗り出してきているところを見ると、違う意味合いだろう。


「好きです! A5ですか?」

「無茶を言うな」

「でも高級和牛かー。楽しみです」

「そうだな。翔太のピーマン苦手を克服させるにも良いタイミングだ」


 何度か工夫して試したが全敗。しかし今度のには自信があった。そんな俺に坂木は当たり前のように説明を求めて来る。話してやると、坂木は楽しそうに白い歯を見せた。


「なるほど。これは勝負ですね。負けませんよ」


 その笑みに、俺も笑いで返してやりたかったが我慢した。こちらには秘策がある。笑うのは勝ってからでいいだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る