6話 翔太は助けられた
人がよさそうに見えるだけかもしれないと思った。大智君が、知ってる人か、みたいな顔をするので首を振る。だけど女の人は気にせずに話し続けた。
「迷子のようね。すぐそこに交番あるから案内してあげる」
「だめだ!」
大智君が大きな声を出しても、通り過ぎる人はチラッと見てくるだけ。それが普通の大人だと思っていたけど、その人は違った。
「その感じだと家出かな? 早く帰って謝りなさい。家の人が心配してるわよ」
「何で俺が悪いって決めつけてるんだよ!」
「わかるわよ。君のような子は自分が正しいと思ったら絶体に曲げないもの。そうね、そっちの子は見かねて付き添ってるんじゃない?」
突然、話を振られて驚いたけど、落ち着いて答えた。
「うん。大智君だけじゃ心配だったから」
「友達思いなのね。あまり心配かけさせたら駄目よ。大智君」
名前を呼ばれた大智君がギロリとにらんできた。名前ばらすなよ、って顔に書いてあるみたいに何が言いたいのかわかった。
「ごめん」
女の人は、大丈夫、と良いながら僕の肩に手を置く。
「名前を知ったところで何もできないから気にしなくていいわ。そうね。不公平だから私のも教えてあげる。ひとみちゃんって呼んでいいわよ」
腰に手を当てて胸を張ってる姿が偉そうに見えたのか、大智君の眉が寄った。
「威張んな、おばさん。だいたい何の用だよ。俺たち、金持ってないぞ」
「くっ! 小学生相手にカツアゲしないわよ! 困ってそうだから声かけたのに!」
「頼んでねえよ!」
「えっと、ひとみさんは助けてくれるの?」
ケンカを始めそうだったから間に割り込んだ。ひとみさんも頭に血が上っていたのに気づいたのか、握りこぶしを口に当てて
「まあ、大した事はできないけどね」
「ほら見ろ。だいたい――」
大智君は言い返そうとしたけど、指を突き付けられて後ずさる。ひとみさんは優しそうだったり起こったりして、表情がころころ変わる人だと思っていた。でも今の顔は真剣で、空気が張り詰めた感じがした。
「大サービスでアドバイスしてあげる。自分のわがままと、ちっぽけなプライドでたくさんの人に迷惑をかけてると自覚しなさい」
「な、なんだよ。みんなって」
ひとみさんの空気がそれ以上話すのをためらわせていた。
「お父さんとお母さん、それから翔太君。それだけじゃない。君が知らないだけで他にもいるわ」
「僕は迷惑だなんて――」
ちゃんと考えずに出た言葉は、正しい言葉で消し飛ぶ。
「そう思っていないかもしれないけど、こんな時間にこんなところにいるって、お父さんに言ってあるの? まあ内緒にしているんだろうけど。友達思いなのはいいけど、できる事とできない事を考えなさい。いくら子供でもわかるはずよ」
何も言い返せなかった。黙る僕たちにひとみさんの言葉は続く。
「大智君は、ゆずれない事か、やりたい事があるから反発している。違う?」
「……そうだけど、何でわかるんだよ」
「そりゃあ、わかるわよ。子供の悩みなんてそんなものだし。もう一つ言わせてもらうけど、それは家出してかなうの? 無理なら考えなしに動くのは止めなさい。考えてもわからなかったら聞きなさい。大人ってね、全部を話さないから」
大智君は下を向いてしまったけど、歯を食いしばっているのがわかった。
「……俺、どうすれば良かったんだ?」
「たずねる相手が違うわよ。真剣に聞けば、ちゃんと答えてくれるわ。誰と話せばいいか、わかるわよね」
突き放すように言っているけど、ひとみさんは正しい。何となくだけど、お母さんの事を正直に答えてくれた時の幸二さんに似ていると思った。
きっと大智君もわかってる。だから何も言わないんだ。少しの間うつむいていたけど、ゆっくり顔を上げた。
「……うん。俺、帰って父ちゃんと話す。謝るかどうかはそのあと決める」
「それがいいわ」
いつの間にか、空は赤から青に変わっていた。僕たちを見下ろすビルの窓から光がもれていて、そんなに暗く感じない。
ひとみさんは手を叩いて明るい声で言った。
「よし! じゃあ帰ろうか。途中まで送ってあげる」
それから僕たちは切符を買い、改札を抜けてホームに立った。ひとみさんの帰る方向も同じだったみたいで、三人並んで電車に座る。
仕事帰りの人たちは電車の中で思い思いに過ごしていた。スマホを触っている人、船をこぎながら寝ている人、本を読んでいる人。誰も口を開かずに、ガタンゴトンと揺られている。
大智君も疲れたのか口を開けたまま寝てしまった。僕も疲れていたけど、聞きたい事があったから我慢する。
眠そうにしているのがわかったみたいで、ひとみさんが小声で言った。
「疲れたよね。翔太君も寝ていいよ。起こしてあげるから」
「それよりも教えて。ひとみさんは誰? どうして良くしてくれるの?」
「通りすがりのヒーローだからよ」
ふふん、と笑ってピースサインを作っているけど、ごまかされない。
「本当は? 僕、名前を言ってないのに知ってるのはなんで?」
ひとみさんは口をパクパクさせて、しどろもどろになっていた。うまい答えを探しているように両手が宙を探り、指がワキワキと動いている。
でも真っすぐに見つめていたら大きく息を吐いて諦めたみたいだった。
「あー。失敗したなあ。正直に言うとね、私は幸二さんの部下。仕事で手が離せないから代わりに行ったのよ」
「幸二さんに頼まれたの?」
「そうよ。大智君のお父さんから電話があったって言ってたわ。息子がどこに行ったか知らないかって。俺が行くまで足止めしてほしいって言われたんだけどね。なぜか一緒に帰ってるし、成り行きって怖いわ」
ひとみさんはそう言って、あはは、と笑う。
「でも、どうして僕たちを見つけられたの?」
「GPSって言ってもわからないか。君のスマホがどこにあるか、幸二さんにわかるようになってるのよ」
「ごめんなさい。僕たちのせいでひとみさんにも迷惑かけてたんだね」
「大丈夫よ。ちょうど帰るとこだったし。それにね、さっきの場所から私たちの職場が近いのよ。だから気にしなくてもいいわ」
笑っているけど、ちゃんと謝らないと駄目だ。そう考えていると野球帽のつばを指で叩かれた。
「君は早く大人に成りたそうだから教えてあげる。大人はね、作った借りは返すの。翔太君は私に借りができた。すぐじゃなくていいから必ず返しなさい。わかった?」
「うん。ありがとう」
帽子を被り直してうなずくと、カッコイイ大人に成りなさい、と帽子ごと頭をかき回される。髪がくしゃくしゃになったけど、いい気分だった。
「期待してるわ。そろそろ着くわね。起こしてあげなさい」
車内のアナウンスが僕たちの駅に着くと教えてくれる。窓の外は暗くて僕の顔を写しているだけだったけど、ゆっくりスピードが落ちていくのがわかった。
寝ていた大智君を起こして、一緒に電車を降りる。次の駅で降りるというひとみさんは、がんばれ、と親指を立ててくれた。
駅を出ると、空は真っ暗で、電車を降りた人たちが薄暗い田舎町に消えていく。都会の大きなロータリーと違って、止まっている車は一台しかない。泥で汚れた軽トラ。その前に立つ大智君のおじさんは腕を組んで渋い顔をしてたけど、僕たちを見つけると一瞬だけほっとしたように見えた。
おじさんはスマホを耳に当て、少し話してポケットにねじ込む。
僕たちが知らないだけで、連絡を取り合っていたんだろう。たくさん振り回したんだと思うと、すごく悪い事をしたと思った。
大智君はおじさんを見て足を止めたけど、真っすぐ歩いていく。
「父ちゃん。何が駄目だったか教えてくれよ。ちゃんと説明してくれよ。俺にもわかるように」
胸を張って見上げている大智君におじさんは驚いていたけど、目を細めてガシガシと頭をかき交ぜていた。
「ガキのくせに偉そうに。わかるまで教え込んでやるから覚悟しろ。翔太君、息子が世話になった。送ってくから乗ってきな」
「翔太。今日はありがとうな。あと、ごめん。本当の本当にごめん」
大智君もおじさんの手から逃げて、真剣な顔で僕に言った。そんなに謝られると返って困る。だから僕は笑った。
「もういいよ。友達だしね」
田んぼ道をのんびり走る軽トラの荷台に二人で寝転がって、背中で感じる揺れは電車と違ってゴツゴツしていた。段差を越えた時に僕たちは、痛い、と言って、顔を見合わせて笑う。
こうして、僕たちの冒険というか、短い家出は終わって、誰もいない家に帰った。
当たり前だけど幸二さんにも叱られて、たくさん謝った。といっても晩御飯を食べながらだったけど。
叱るのも食べるのも終えた幸二さんは水滴がついたコップでアイスコーヒーを飲んで、ふっと笑った。
「ほめるのを忘れていた。友達のために頑張ったのは偉い。だから胸を張れ」
「でも、たくさん迷惑かけたよ」
「それは手段が悪かったからだ。だからといって動機まで否定しない。その気持ちは忘れないようにしたいな」
大人になると忘れてしまう事が多い。俺もそうかもな、と幸二さんはぼんやり遠い目をして言う。だけど、そんな事はないと思う。大智君のおじさんも、ひとみさんも、きっと良い大人だ。
あ、ひとみさんで思い出した。
「そうだ。ひとみさん、幸二さんの部下って言ってたけど、そうなの?」
「それがどうかしたか?」
「なんか、凄い勢いだったから会社で働いている人っぽくないと思った」
そう言うと、幸二さんは少し笑った。
「あいつは感情的だからな。しかし結構頼れるやつだ」
「わかる気がする」
何て言うか……。
「カッコいい大人だよね。僕もカッコいい大人になって、ひとみさんに借りを返したい」
「は? ちょっと待て。いったい何を話してきたんだ?」
珍しく慌てている幸二さんが面白くて、僕は笑った。
【次回予告】
翔太とふれあう生活のリズムがつかめ、余裕が出てきた幸二は坂木に借りを返そうと考えた。翔太と大智を交えたバーベキューに誘おうと考えるが、タイミングが悪い事に、仕事で坂木のミスが発覚する。幸二はフォローすべく動き始めた。
次回
『お前らの存在が重すぎて俺のタスクが破綻する』
<バーベキュー・パーティ >
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