ラン・アウェイ

5話 翔太は家を出た

 どうやって連れて帰ればいいんだろう? 大智だいち君と一緒に電車に揺られながら考えたけど、何も思いうかばなかった。


 隣に浅く座っている大智君は怒っていて、話しかけるな、って顔をしている。僕が見ているのに気づいたのかチラッとこっちを見た。その目の下が赤く腫れていたのはたたかれたからだと思う。


翔太しょうたまでついてこなくていいんだぞ」

「一人で行かせられないよ」

「俺の事なんてほっとけばいいんだ」


 大智君は顔を背けて、黙ってしまった。


 どうしていいかわからず、窓の外を見ると田んぼが凄い勢いで流れていって、お母さんと海に行った時を思い出す。またお母さんと海に行けるのかな? それどころか、もう会えないかもしれない。そう考えると胸が苦しくなった。


 だから家出なんて絶対に駄目なんだ。でも言ったところで大智君は聞いてくれない気がする。


 幸二さんなら何て言うかな? スマホを見ると、送ったメッセージに返信があった。


<田上翔太:大智君と出かけてきます>

<佐藤幸二:わかった。暗くなるまでには帰るように>


 暗くなる前って言ってるけど、今は遅くまで明るい。日が落ちても働いているから気づかないんだろうけど。ちょっと抜けてる幸二さんを思うと気分が軽くなった。


 大丈夫。幸二さんみたいに論理的ロンリテキに話せばわかってくれる、はず。


「大智君、おばあさんの家に行くのはいいけど、それから先は?」

「……ばあちゃんの家に住む。たぶん、翔太みたいに転校するんだろうな」

「おじさんとおばさんは? 後を継いで、お米作るんじゃなかったの?」

「頼まれたって後を継いでやるもんか!」


 大智君の家に遊びに行った時に食べさせてもらったご飯は本当に美味しかった。驚く僕を見て、俺も米作りするんだ、もっとウマイ米を作るんだ、ってうれしそうにしていたのに。


 そこまで言うなんて、よっぽど怒ってるんだと思う。叩かれたぐらいだから大智君が悪いと思うけど、何をしたんだろう?


 思いきって聞いてみると、ぽつりぽつりと答えてくれた。おじさんの手伝いがしたかったらしい。草刈機を使おうとして叱られたと言っていたけど、意味がよくわからなかった。


 正直に言うと、やっとこっちを向いてくれた。


あぜってわかるか?」

「うん。田んぼと田んぼの間にある細い道だよね」

「あそこの雑草を刈りたかったんだよ。父ちゃん、忙しくてそこまで手が回らないみたいでさ。畦って除草剤をけないから機械で刈るんだよ」

「へー。その機械が草刈機? どんなの?」


 エンジンで丸いノコギリを回すんだ、と大智君は指をクルクル回した。


 なんとなく、叱られたのがわかった気がする。


「それって、危ないんじゃない?」

「そんなヘマするもんか! 代わりにやってやろうと思ったのに父ちゃんは!」


 また怒り始めたけど、ちゃんと言わないと駄目な気がした。


「子供が使っていい機械じゃないと思う。おじさんは心配してたんだよ」

「翔太まで、父ちゃんの味方するのかよ!」


 勇気を出して言ったら、今度は僕に怒り始める。とても怖い目だったから目を反らしそうになったけど、買ってもらったばかりのリュックサックのベルトを握りしめてにらみ返した。


 それに、叱られただけで家出したのが許せない。


「危ないって叱ってくれたなら謝るべきだよ」


 僕が強く言ったのが意外だったのか、大智君は目を丸くしたあと、ニヤリと嫌な笑い方をした。

 

「お前、母ちゃんが出てったから、うらやましいだけだろ」

「そんな事言ってないだろ!」


 思わず、かっとなって立ち上がってしまった。車両には数人しかいないのに注目されてるのがわかる。顔が熱いのは恥ずかしいからじゃない。僕も腹を立てていた。


 本当は怒鳴りたくなかったのに、何でこうなったんだろう? 幸二さんみたいに言いたかっただけなのに。隣ではげましてやる、って。


 それなのに、僕の口から出てくるのはヒドイ言葉ばかりだった。


「そんな機械、危ないに決まってるのに、なんでわかんないのさ!」


 大智君も頭に来たのか、立ち上がって僕を押した。揺れる車内で倒れるかと思ったけど踏ん張って耐える。


「偉そうに言うな! 翔太に何がわかるんだよ!」

「わかるよ! 大事だから怒るんだよ! 大事だから心配するんだよ! そうじゃなかったら何もするもんか!」


 大智君に怒ってたはずなのに、思い浮かぶのはお母さんの顔ばかり。自分で言った言葉が跳ね返ってきた気がした。


 あ、わかっちゃった。お母さんが帰ってくるかわからないって、幸二さんが言っていた理由が。お母さんが僕に怒りも笑いもしなかった理由が。


 僕が大事じゃなかったんだ。


 今まであった熱がすっと引いていき、すとんと椅子に座った。不思議とショックはなくて、ただ力が抜けた。まわりが静かで電車が線路を踏む音だけが大きく聞こえる。


 僕の様子が変わったのが伝わったのか、大智君は何も言わずに隣に座った。


 二人とも黙って電車に揺られ、色々考えるけど言葉にならない。いくつもの駅に止まり、発車し、ドアが開いて閉まった。そのうちお客さんはどんどん増えていく。太陽の光を反射してまぶしい川を渡り、カーブを回り、地下に潜っても二人とも口を開かないまま。そして大きな駅につく。僕たちが買った切符はここまでだった。


 ほとんどの人がここで降りていき、僕たちもその波に流されていく。改札を出たところで、先を行く大智君が足を止めた。背中を向けたまま早口でしゃべる。


「とりあえず外に出ようぜ。どっちだと思う? それと、さっきはごめん」

「え、えっと、あっちかな」


 おまけみたいに付け加えられた言葉に驚いたけど、平気なふりをして歩き出す。たくさんの人が行ったり来たりする広い通路を進みながら、思った。


 しまったな。すぐに謝ればよかった。でも、僕もごめん、って言うだけなのにとても難しい。タイミングを探してチラチラ見るけど、どんどん言いづらくなった。


 大智君は珍しいお店や柱の広告映像が次から次へと切り変わっていくのをキョロキョロ見ているけど、時々こっちに向いた。それが面白くて余計に謝りづらくなる。仕方がないから脇をつついて、明るい声で話しかけた。


「はぐれちゃうよ」

「そうは言うけどさ、都会ってすげーな。人がいっぱいいるし、こんなに歩いてるのにまだ外に出ないんだぜ」


 僕に合わせて軽く答えてくれるから、ぎこちなかった会話も自然に話せるようになってきた。たぶん大智君が気を使ってくれてるからだと思う。それがちょっとうれしかった。


「そうなのかな? 前住んでたとこはこんな感じだったけど」

「へー。都会育ちなんだな。田舎者の俺とは大違いだ。お! やっと外が見えた! 行こうぜ!」

「待ってよ!」


 大智君を追いかけて僕も走り、リュックサックが背中で跳ねる。やっぱり都会とか田舎とか変わらないんじゃないかな。どこにいても走り回るのは変わらないし。


 外に出ると、近所の駅とは比べ物にならなく、色々なにおいと熱気が混じってまとわりついてきた。駅のあるビルはどこまでも高く、まわりに建つビルはもっと高い。大きなロータリーにはたくさんのタクシーやバスが入ったり出たりしていた。


 ビルを見上げて口が空きっぱなしになっている大智君の横に立って、同じように上を向く。夕焼けを背負ったビルは縁が赤くなって輝いて見えた。


 いつまでもそうしてそうだったから先に切り出す。


「ちょっと座って話さない? これからどうするか、とか」

「わかった。……あそこにしようぜ」


 大智君が辺りを見回して、また走り出した。通路脇のベンチに勢いよく座り、僕も隣に腰を下ろす。リュックサックと一緒に買ってもらった水筒を見せると、大智君の目がまん丸になった。


「翔太、用意いいな!」

「計画と準備は大切だって幸二さんが言ってたから」


 蓋に注いで全部飲む。麦茶は頭に響くほど冷えていて気持ちよかった。また注いで渡すと、ひったくるように取られて一気に飲み干していた。


「くー! うめぇ! 生き返ったぜ!」

「大げさだよ」


 笑いながら水筒をしまっていると大智君がじっと僕を見ていた。


「翔太、ごめん。ひどい事言ったよな。俺のために一緒に来てくれてるのに」

「もういいよ。僕もごめん。うまく言えなかったけど、一緒にいてあげたいんだ。何もできないけど」

「そうでもないさ。ついて来てくれてうれしかった」


 謝ったらスッキリした。それは大智君もみたいで、顔を見合わせて、へへ、って笑う。


 リュックサックに入れておいた、じゃがりこを二人でボリボリ食べながら聞いてみた。


「それで、おばあさんの家はどこ?」

「ここからは地下鉄だな」

「え! この近くじゃないの?」

「歩いて行けないと思うな。道も知らないし」


 ちゃんと聞くと、前に来た時は地下鉄に乗った。降りるとイオンがあった。すぐ近くのマンションにおばあさんが住んでる、らしい。


 わからない事だらけで驚いた。大智君は、わからなかったら誰かに聞けばいいんだよ、と言ってるけど本当に行けるのかあやしい。


「おばあさんに電話したら? 駅の名前を教えてもらうだけでもいいし」

「スマホ置いてきた。どこにいるのかすぐばれるしな」

「じゃあ、ここから行き当たりばったりなんだ」


 大智君を送ってから帰ればいいと思っていたけど、夜になっても着きそうにない。幸二さんが帰って来るまでに戻れると思っていたけど、無理そうな気がする。


 今から帰れば間に合うけど、大智君を一人にするのは心配だった。幸二さんに電話した方がいいか悩んでいると、軽く肩を叩かれる。


「ここまででいいぜ。あとは何とかするからさ」

「でも……」


 どうしていいかわからずにいると、僕たちの前で足を止める人がいた。その女の人は幸二さんみたいな黒のスーツを着ていて、首を傾げている。


「君たち、こんな所で何してるの? 迷子?」


 その声は優しそうだったけど、知らない人に話しかけられて僕たちはどうしていいかわからなかった。

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