4話 謝りたい

 家に帰り、玄関を開けるとサウナのような熱気が待ち受けていた。翔太を呼ぼうと開けた口を閉ざす。あいつの靴がない。


 静まり返る家の中を見てまわったが姿はなく、あいつの部屋に手がかりらしきものはなかった。改めて見みると殺風景だ。フローリングの部屋には勉強机、本棚、ベッド、半透明の衣装ケースしかない。ここに来た時に買いそろえたやつだ。増えた物といえば本棚にある漫画が数冊ぐらいか。


 毎月渡している金を考えると些細ささいな出費でしかない。無駄使いはしていないようだが……。


 勉強机の上にポツンと置かれているスマホを見ると、電源が切れているわけでもなかった。


「どこに行った?」


 つぶやいた声に反応がない事に違和感を感じた。話すようになって、たった一週間だというのに、いるのが当たり前と思うようになったという事だ。


 この部屋も翔太の色に染まっていくのだろうかと見回すと、あるべきものがないと気づいた。勉強机の横にかけられているランドセル。それがない。


 考えろ。翔太にとってランドセルとはなんだ? この家と学校があいつの世界だ。俺に拒絶されたと思い込んでいるなら、残されたものは学校だけ。その象徴たるランドセルを持って家出した可能性は?


 俺ならば、ありえない。いくら避けられていようが、嫌われていようが、気にしない。安定した生活に比べたら人間関係など優先度が低いからだ。しかし翔太がどう考えるかはわからない。


 馬鹿げた思考を振り払うように首を振るが、こめかみに汗が流れた。それは締め切った部屋の暑さだけが原因ではない。乱暴にネクタイを外した。


 とにかく、じっとしていられなかった。いないなら探しに行くしかない。玄関で靴に足を突っ込んで、俺の動きが止まった。


 探すといってもどこを? 翔太の行きそうな場所、仲の良い友人、頼れる人、何一つ思い当たらない。それどころか、今朝、あいつが着ていた服すら思い出せなかった。


 とんだお笑い種だ。少しコミュニケーションを取るようになったが、全然あいつを見ていないと気づく。


 苛立ちをぶつけるように玄関を開けると、翔太と見知らぬ少年が敷地に入ってきていた。突然、玄関が開いたせいか目を丸くして驚いている。固まっている翔太より先に野球帽を被ったタンクトップの少年が口を開いた。


「なんだ。翔太のおじさん、帰ってきてるじゃん」


 思わず翔太に駆け寄り、両肩をつかんだ。


「連絡もせずに、どこに行っていた!」


 その声の大きさと荒々しさに自分でも驚く。それは翔太も同様だった。びくりと体を震わせ、うつむく。


 違う。俺は威圧したくはないんだ。そっと手を放し、数歩下がる。


「大声を出すつもりじゃなかった。俺はただ――」


 野球帽の少年が言葉をさえぎった。その瞳は真っすぐに俺を射抜く。


「おじさん、先に翔太の話を聞いてやってくれよ」

「君は?」

渡部わたなべ大智だいち。翔太の友達だよ。さっきまでオレんにいたんだ」

「わかった。聞かせてくれ」


 しかし、翔太の顔は伏せられたままで、高く昇った太陽が表情を曇らせているように見えた。その両手は背負ったランドセルのベルトを、固く、すがるように、握りしめられている。


 それがメッセージのせいなのか、今、怒鳴ったせいなのかわからない。どちらにせよ、俺が原因だ。


 釈明するにはどんな言葉をかければいいのだろう。俺の言葉はロジカルなものだ。翔太の心に届かせる言葉ではない。エンジニアらしからぬ直情的な坂木なら何と言うだろう。よく笑いよく怒る彼女の顔が脳裏に浮かぶが、言うべき言葉は模倣もほうではない。俺の言葉であるべきだ。しかし、その言葉が、出てこない。


 何も言えずに向き合っていると、大智が翔太を肘でつついて笑う。


「言わなきゃいけない事があるんだろ。大丈夫だって。話せばわかってくれるって。オレの父ちゃんは言っても無駄な時が多いけどな」


 大智の明るさが翔太を後押しする。しかし顔は伏せられたままだ。


「仕事の邪魔をしてごめんなさい」

「いいんだ。俺の言い方もきつかっただろう」


 再び訪れる沈黙。セミの鳴き声が無かったら静寂に包まれていそうな止まった時間を、大智の声で再び動きだす。


「こいつさ、言ってたんだよ。スマホを持たせてもらえて、うれしかったって。でも本当にうれしかったのは、おじさんといっぱい話せる事だと思う。オレだってスマホもらったばかりの時はメッセージ送りまくったし。そのあと父ちゃんにゲンコツされたけどな」


 俺にとってスマホとは情報を得るための道具でしかないが、大智にとっては本来の役割通り、人と人をつなぐものなんだろう。翔太も、俺ときずなを築きたいのだろうか。


「翔太。お前の言葉で聞かせてくれ。正直な気持ちが知りたいんだ。頼むから、教えてくれないか?」


 すぐに返答はない。顔も伏せられたまま。見かねたのか大智が口を開きかけたが止めた。


「いいんだ。答えたくないなら」


 これが俺のいた種ならば仕方ない。時間はかかるだろうが再び積み上げるしかないだろう。翔太が許してくれるなら、だが。


 無理強いすべきではないとわかっていつつも、思いが勝手にもれ出る。


「いなくて心配した。それと、帰ってきてくれて、俺はうれしい。それだけは言わせてくれ」


 背を向けて玄関の扉に手をかけると、翔太の声が届いた。


「僕、幸二さんともっと話したい」


 扉を半分開けたところで俺の手が止まる。振り返り、翔太の言葉を待った。


「何も知らないから、たくさん話せばわかるようになるかなと思ったんだ。でも邪魔しちゃったんだよね」


 そうか。翔太も俺がわからなかったのか。俺と同じ。いや、先に行動したのは翔太だ。まだ10歳にもなっていない子供の方が、俺より大人だと思い知らされた。


 まだうつむいたままの頭にそっと手を置く。太陽の熱と汗を吸った柔らかい髪をなでた。


「すまなかった。俺のせいでつらい思いをさせたな。これからはもっと話そう。俺にも翔太の事を教えてほしい」

「うん」


 ようやく上げてくれた顔におびえは見えない。その隣で大智が白い歯を見せていた。


「良かったな! そうだ、おじさん。これ、母ちゃんからのオスソワケ。たくさん獲れすぎちゃったんだって」


 突き出されたビニール袋にはたくさんのピーマンがあった。形は不揃ふぞろいだが、夏の太陽を浴びた良い色で美味そうだ。


「ありがたく戴く。礼を伝えてくれないか?」

「わかった。じゃ、オレ帰る。それ持ってきただけだしな。翔太、またな!」

「うん。ありがとう、大智君。またね」


 手を振って走って行く少年を見送りながら思った。仲がいい友達がいて良かったと。


「そういえば、なぜランドセルを背負って行った?」

「大智君が宿題教えてって家に来たんだ」


 要点ではなく最初から話し始めるのは子供らしい。これが職場の部下なら簡潔に話せ、と言っているところだが、翔太がどんな過ごし方をしていたのか知りたいと思い、そのまま続けさせた。


「それで、幸二さんに黙って家に入れてあげられないって謝ったら、大智君の家に行こうって言われて」

「なるほど。それで、ランドセルなのは?」

「カバン、他に持ってないから」


 そんな理由だったとはな。あの殺風景な部屋を思い起こすと足りていない物がほかにもある気がした。


「今から買いに行こう」

「え?」

「背負えるやつがいいだろう? 俺のバックパックはサイズが合わないしな。だったら買うしかない」

「いいの? スマホもらったばかりだよ」


 そうは言いつつも目が輝いている。


「買う物は他にもある。お前、帽子持ってないだろ。こんな暑い日だとつらいからな。それとSIMも必要だ」

「しむ?」

「外で電話するのに必要なものだ。使う頻度は少なそうだし格安ので様子を見よう。ついでにメモリも買っておくか。写真撮るのが好きなんだろう? そのうち動画を撮りだす事を考えたら内部ストレージだけじゃ足りない。あとは落とさないように首かけストラップもだな」

「何を言ってるのかわからないよ」


 首を傾げる翔太の肩に手を置いて、ピーマンの袋を渡した。


「これからゆっくり教えてやる。とりあえず、車のエンジンをかけてくるからランドセルを置いてこい。それと、これを台所に……どうした? 嫌そうな顔をして。リュックサック、いらないのか?」


 翔太は勢いよく首を振った。それこそ汗が飛び散りそうなほど。


「ほしい! そうじゃなくて、ピーマンが……嫌いなんだ」


 何とも子供らしい理由で、思わず肩を震わせる。声を出して笑ったのは久しぶりだった。


「もう! 笑わないでよ!」

「ははっ。悪い。もう、笑わない。ははは!」

「笑わないでってば!」


 俺たちはまだまだお互いを知らないが、ゆっくり歩み寄っていけばいい。きっと衝突する事もある。最短距離など見つからないだろう。


 きっと、何もしないより、ずっといいはずだ。


 家の中に駆け込んでいく小さな背中を見ながら、そう思った。




【次回予告】


 翔太は家出した大智を放っておけず、共に町を出た。母と離れている自分の境遇と重ねていたのかもしれない。幸二がしてくれたように大智に寄り添ってやりたかったのかもしれない。しかし自分の意思を貫くには、二人はまだ幼かった。


 次回

『お前らの存在が重すぎて俺のタスクが破綻する』

<ラン・アウェイ>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る