スマートフォン

3話 仕事に集中したい

 久しぶりの出社で集中して仕事に取り組める。その目論見は外れた。家のマウスと微妙に感度が違う。サブモニタのコントラストがしっくりこない。使い慣れている環境のはずが、二週間ほど離れていただけで他人のPCを触っているみたいだった。


 集中できない原因はまだある。これだ。デスクに置いてあるスマホが振動を始め、じわり、と動いた。表示されたメッセージ送信者名は見みるまでもなく、ため息をつき肩を下げる。


 そんな俺の気持ちなどお構い無しに、坂木さかきが椅子に座ったままフロアを滑ってきた。床を蹴るたびに縛った髪が跳ねる。


「評価仕様書できましたよ。チェックお願いします。って、どうしたんですか? ものすごい顔してますよ」

「何でもない」


 そう言いながら眉間をんだ。縦じわが入っているのは鏡を見なくてもわかる。


「後で確認しておく。ざっとでいいから作業工数をだしてくれ」

「はい。幸二こうじさん、大丈夫ですか? 在宅ワークだったのに遅くまで仕事してたみたいですし」

「夜中でないと専念できなかったしな」

「へー。ずいぶんと仲良くなったみたいですね」


 ニヤニヤした表情でわかる。翔太しょうたにかまけて仕事の時間を作れていないのはお見通しのようだった。


「そのせいでペースがつかめん。凡ミスも増えた」

「大丈夫ですよ。すぐ慣れますって」

「だと良いがな」


 空返事をした直後に再びスマホが震え始めた。


「翔太君ですか?」

「ああ、しばらくはこっちで仕事だからな。前に使ってたスマホを渡しておいた」


 それを聞いた坂木が目を丸くする。


「お! 凄いじゃないですか! 幸二さん、成長しましたねー。まあ、普通なら奥さんが出ていってすぐに渡すべきだと思いますが。で、見ないんですか?」


 一言多い、とくぎをさしつつスマホをつかんだ。午前中だけで何度目か数える気もおきなくなるぐらい飛んできているメッセージは、読書感想文が大変だったとか、翔太用にカットしておいたスイカが美味しかったとか、連絡が必要と思えないものばかり。


 最新のものは、庭でセミの脱け殻を見つけた、だ。しかも写真付きで。そいつは車のタイヤを羽化する場所に選んだようだった。


 些細ささいな割り込みで、これ以上、仕事を遅らせるわけにはいかない。短く返信するとすぐに既読になった。1分も経たないうちに帰ってきた文面を見て満足する。


「これで集中できる」

「ん? どういう事です?」


 晴れ晴れとした俺と逆に、坂木の顔が曇った。


 説明代わりにスマホを渡そうとすると引ったくられる。直後、曇っていた顔は怒りの形相となり、その怒りは雷となって俺を襲った。


「最低です! ほめて損しました! 撤回です、撤回!」


 坂木が大声を出し、勢い良く立ち上がったせいで椅子が転がっていき、隣の島のデスクにあたった。在宅勤務の社員が多いとはいえフロアにはそこそこ人がいる。彼らの視線が集まっているのがわかった。


「おい、仕事中だ。騒ぐな」

「関係ありません! 早く謝ってあげてください!」


 俺に突き付けられたスマホには翔太とのやり取りが映ったままだ。


田上たのうえ翔太:こんな大きいセミのぬけがらがあったよ!>

佐藤さとう幸二:仕事中だ。不必要な連絡はやめてほしい>

<田上翔太:ごめんなさい。もうしません>


 仕事に支障をきたすからやめろと伝えて、翔太は納得してくれた。問題は解決、なにも懸念はない。それなのに坂木が怒る理由がわからなかった。


「いいですか。このままだと取り返しがつかなくなりますよ」

「待て、俺の対応にミスがあるなら謝罪でも何でもする。しかし間違っているとは思えない。何が駄目なのか説明しろ」


 いいですよ、と坂木が腕を組んだと同時に昼休憩を知らせるチャイムが鳴った。


「その代わり、お昼、おごってください。ざる蕎麦そばがいいです。プラス海老二本で手を打ちましょう」

「ふっかけ過ぎだろ」


 坂木は立ったまま、俺を見下ろして鼻を鳴らす。


「何でもするっていいましたよね」

「納得できなかったら自腹だからな」

「ふふん。逆におごらせてくれてありがとうって言わせますよ」


 坂木はついて来るのが当然と言わんばかりに背を向けて歩き出す。俺は黙って追うしかなかった。


 ビジネス街近くの寂れた商店街に、たまに足を運ぶ蕎麦屋がある。古い店内に不釣り合いな新しい壁掛けテレビがバラエティ番組を垂れ流している中、坂木が二匹目の海老の天ぷらにかぶりついた。人の気も知らずに目を細めて堪能しているのを見ていると、俺ももう一本頼むべきだった気がした。


 物足りなさを感じながら蕎麦湯をすすり、本題を切り出す。


「それで何が間違っている?」

「えっと、簡単に整理しましょうか。幸二さんにとっては集中して仕事したかっただけなんですよね」

「ああ」

「翔太君にはどう伝わっていると思います?」


 小学三年生なら文面を読み違えないだろう。


「そのままじゃないのか?」

「そこです!」


 坂木はビシッと俺を指差した。


「仕事の文章なら文字通りの意味しか読み取りませんけどね。普通は違うんですよ。感情を拾おうとするんです」

「言われてみればそうだな。最近、仕事以外でやり取りをしてなかったから忘れていた。それで、翔太はどう読み取ったというんだ? あと、人に指を突き付けるな」


 目の前にある指を押し戻す。坂木は少し驚くがせき払いをし、順を追って推測しましょう、と言った。


「翔太君に話しかけられるようになったって言ってたのは先週ですよね。リコーダーのあと」

「そうだな。それまでは最低限の会話しかなかった」


 どう扱っていいかわからず、要求があれば言ってくるだろうと任せていたら、ほとんど話をしていなかった。それが急に話すようになったのはなぜか? 俺が歩みよったように見えたからだろう。それは言われなくてもわかる。


「うれしかったんですよ。衣食住を世話してもらっていても、それだけじゃ家族じゃありません。逆に自分が負担になってると思っていてもおかしくないです」


 リコーダーを練習してた時はそうだったかもしれない。あの暑さでエアコンを使わなかったぐらいだ。しかし今は普通に使っている。負い目は解消されているはずだ。


 視線を伏せて蕎麦湯をすする坂木を見て思う。こいつはどうだったか? 最初はおどおどしていた気がする。それが慣れるに従って遠慮えんりょが無くなり、はっきりと自分の意思を言うようになった。


 翔太も同じだろうか? しかし何かが違う気がする。その答えを知りたかった。


「続けろ」


 坂木は俺を真っすぐ見つめ、器を置いた。


「お母さんがいなくなって一人きりだったところに幸二さんが手を差し伸べたんですよ。その手を取った時に世話だけしてくれてた人が家族になったんです。今まで話せなかった分、たくさん話したいに決まってるじゃないですか」

「……見てもいないのによくわかるな」


 つい強がってしまったが、すじが通っている。しかし本人の真意がわからない以上、否定も肯定もできない。確信を持つためには、もうひと押しほしい。自信満々な坂木なら、判断する材料を提示してくれるかもしれないと思った。そんな俺の心を読んだかのように坂木は胸を張る。


「もちろん。私の言葉を聞いて、次に幸二さんが何て言うのかもばっちりですよ。その通りだ、です」

「大きくでたな。言ってみろ」


 坂木は一呼吸置いてから言った。とても優しい表情と声で。


「リコーダーの日から、よく笑うようになったんじゃないですか?」


 それは翔太が俺に心を開いた証明といえる。両手を上げて降参するしかなかった。


「その通りだ。よく気がつくやつだとは思っていたが、ここまでとはな」

「ふふん。もっとほめてください」

「それはいいとして――」

「よくないですよ! ほめてくださいってば!」


 身を乗り出してきた坂木から逃げるようにのけ反る。


「あとにしろ。翔太がよく話しかけてくる理由はわかった。離れていても話す手段を得た事で頻繁にメッセージを送ってきたのも理解できる。だからと言って、俺の送ったメッセージが……」


 問題あるとは思えない、しかし……。


「再び拒絶されたと認識したのか」

「そうです。きっと悲しかったと思いますよ」

「よくわかった。釈明すべきだな」


 スマホを取り出し、メッセージを送信した。


<佐藤幸二:悪かった。強く言い過ぎた>


 既読マークがつかないのでテーブルに置き、坂木に向き直った。


「とりあえず送ったが……どうした?」


 なぜ坂木が口をポカンと開けているのか気になった。まだ何かあるのか?


「いえ、行動早いなーと思って」

「教えただろう。検討は慎重に――」

「そして対応は迅速に、ですよね。覚えてますよ。でも、なかなかできないです。過ちを認めるって。特に年を取ると」

「俺はまだ30代前半だ。まあいい。約束通り、ここは俺のおごりだ」


 おごりと聞いて小さくガッツポーズを取る坂木はまだまだ青臭いが、ずいぶん頼れるようになった。これは俺の指導が良かったからではないだろう。本人の資質だ。むしろ人の機微に関しては俺が教わってばかり。翔太と向き合うようになって、それがよくわかった。


 負けてられないな、とぬるくなった蕎麦湯を飲み干した。しかし考え事をしていたせいか蕎麦を楽しんでない。また坂木を誘って来るか。そうぼんやりしていると、その坂木が身を乗り出してきた。


「ところで奥さんってどんな人なんです? 幸二さんに愛想をつかして出て行ったのはわかりますけど、翔太君を置き去りなんてひど過ぎです。そこに関しては私、怒ってます」


 口調は柔らかいが、本当に怒っているのは目を見てわかった。


「そう言うな。あいつ、田上にも色々ある。そうするしかなかったんだ」


 家に招き入れた時の二人を思い出す。田上は心が疲弊しきっていた。


 去り際、涙を流しならがら息子の寝顔に背を向けたあいつに、翔太の笑い顔を見せてやりたい。二人で笑ってもらいたい。それが俺の落ち度で遠ざかろうとしている。


 スマホを見ると、まだ既読マークがついていなかった。


「あいつ、見てないな」

「電話したらどうです?」

「そうだな」


 30秒ほど呼び出してみたが応答はない。首を振ってスマホをテーブルに置くと、その手を坂木がつかむ。細い指だがとても力強く握られていた。


「行ってあげてください。これ以上、一人ぼっちにしちゃ駄目です」

「わかってる。仕事が遅れ気味なところ悪いが、必ず挽回ばんかいする。坂木にも負荷をかけるが許してくれ」

「いいんです。私は幸二さんの部下ですから。でも貸しですからね」

「すまない」


 これで支払いしておいてくれと、金を渡して席を立つと、もう一つだけ教えてください、と引き止められた。


「どうして奥さんを名字で呼ぶんですか? どんな関係なんですか?」


 他人に話す事でもないし、質問は二つになっている。しかし親身になってくれている坂木になら、いつか教えてもいい気がした。


「ただの昔なじみで、大きな借りがある。今はそれで勘弁してくれ」

「わかりました。頑張ってください」


 坂木を残して店を出た。夏はこれからだと言わんばかりの熱気だった。

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