2話 吹き方なんてわからない
一時間ほどノイズを巻き散らすと少しはマシになってきた。しかし、『ド』が安定しない。リズムに合わせるとしっかり押さえられないし、確実に押さえてからだとリズムに置いて行かれる。
翔太も似たようなものだった。小さい手と指では正確に穴を塞ぐのが難しいだろうが、これだけやって駄目なら不慣れでは済ませられない。対策を講じる必要を感じたが、具体的な方法が思いつかなかった。
麦茶を飲む翔太をぼんやり見ていると、ズボンの中で携帯が震える。モニタには『坂木ひとみ』と表示されていた。
「仕事の電話だ。すぐ戻る」
翔太がうなずくのを確認して書斎に戻る。
「トラブルか?」
『いえ、うまくやってるのか心配で』
「人の心配をする前に自分の仕事をしろ」
そう言いつつも俺はサボってるわけだが。ワーキングチェアに座って頭をガリガリとかいた。
『気になって集中できませんよ。それで、どうなんです?』
「『ド』が難しい」
『は?』
かいつまんで説明すると、なるほど、と相づちが聞こえる。
『ネットでコツを調べたらどうです?』
「坂木」
『はい?』
「いいアプローチだ。俺には思いつけなかった」
携帯をハンズフリーにしてキーボードの横に置き、ブラウザを起動、検索するとすぐに出てきた。その中の一つに息の強さを一定に、とある。身構えすぎて強く吹くのはよくある失敗らしい。
「礼を言う。答えが見つかりそうだ」
『いえいえ。そうだ。多分、リコーダーの演奏動画もあると思います。二人で見てください』
「やってみる」
『打ち解けられそうで良かったですね。でも今まで何もしてこなかったのに、なんで動く気になったんですか?』
坂木の声色が冷たさをはらむ。
「お前が歩み寄れと言ったんだろう」
「言いましたけど、手を差しのべたのは幸二さんです」
その時、また笛の音が聞こえてきた。さっきと違い悲鳴には聞こえない。挑戦し、あがいている音だ。
思うまま言葉を組み立てる。それは設計書もなしにコードを書いているような不安があった。
「初めは……笛の音だ。それが、俺の領域に入ってきた。……だから気づいた。知りたくなった。あいつが、何を考えているのかを。……難しいな。うまくまとめられない」
『何となくわかった気がします。先に来たのは翔太君で、幸二さんからじゃないって言いたいんですよね』
「たぶん、そうだ」
電話越しに、フフフ、と笑う声が聞こえた。そこから続く声は優しい。
『きっかけは何だっていいんです。向き合おうとしてれば。それに幸二さんは途中で投げ出したりしませんよね?』
「そうありたいとは思っている」
『知ってます。じゃあ、戻ってあげてください。うまく吹けたら動画撮って見せてくださいね』
何もかもお見通しみたいに言われたが悪い気はしない。少し余裕が戻り、電話口でニコニコしているであろう坂木に強がってみたくなった。
「坂木もやってみろ。案外面白い。三人で演奏するのも良さそうだ」
『え! はい! やります!』
「じゃあな」
通話を切って、ふっと息をつく。嫌がるかと思ったが食いついてきて驚く。坂木が音楽好きとは知らなかった。
俺はまた翔太の部屋に戻った。今度は書斎に招く。連れてきてドアを開けた。その小さい体は数歩進んで止まる。見上げるようにして、ぐるりと回った。
その視線は、壁に貼られたスター・ウォーズのポスターに行き、台に置かれたガンダムのプラモデルに移る。そこから技術書が並ぶ本棚、テーブル上にあるフラワリウムを通り過ぎ、作業中のまま表示されているPCモニタで止まった。
「ここで仕事してるの?」
そういえば、書斎に入れたのは初めてだと思いながら椅子を勧める。
「ああ。そこに座れ」
俺のワーキングチェアに座ると足がつかないようだったので、背もたれを押してテーブルに寄せる。食い入るようにモニタのコードをながめているが構わずにキーボードに手を置く。翔太の視線はキーを叩く指へ移った。
「パソコンで何をしてるの?」
「プログラムを書いたり、色々だ」
「僕もできるようになる?」
「やりたいのか?」
表情は見えないし声にも出していないが、うなずく後ろ姿に自発的な意思を感じた。初めて見た。
「人間、諦めなければ何だってできるし、何だってかなう。必要なのは才能じゃない。折れない心だ。難しかったか?」
「ううん。がんばればいいんだよね?」
「そうだ」
「がんばれば、お母さんも帰ってくる?」
それは別の問題だ。そしてこの質問には答えられない。沈黙を回答にしてもよかったが、答えてやるべきだろう。憶測で希望を持たせる事もできたが、思ったまま伝えた。
「わからない。いくら努力しようが他人の心は変えられない」
翔太の母親、
期待していた答えと違い、翔太の顔が曇った。
どうつなげればフォローできる? 耳当たりのいい言葉か? うつむく頭をなでればいいか? それでは上辺を取りつくろうだけだ。正しくはないかもしれないが、正直に答えるべきだと思った。
「こう考えてはどうだ。いつか子供は親から巣立つ。それが早かっただけだと」
「でも……」
「つらいだろうな。それがお前の人生だ。しかし俺がいる。悩んだら一緒に考えてやる。足が止まったら励ましてやる。俺にはそれぐらいしかできないが、一人よりいいだろう?」
実の親なら手を引いてやれるだろうが俺には資格がない。それでも、戸籍上の親子ごっこでも、成長する手助けをしてやってもいいはずだ。
「僕の……人生?」
翔太は顔を上げる。その真っすぐな目から逃げずに見つめ返した。
「そうだ。俺は手を引いてやれない」
「でも、一緒にいてくれるんだよね。それならがんばれると思う」
翔太の顔は明るくなったが自分の答えに自信はない。まあ、間違っていたら謝って方向修正すればいいだろう。
「よし。とりあえず今はリコーダーだ。ネットの先生に教えを受けよう」
「うん」
二人とも吹かずに動画に合わせて指を動かす。翔太の顔は真剣そのものだった。最初見た時のやらされてる感じは全くない。自分の意思で上達しようとしているように見えた。
負けてられないな、と思うが俺の指は限界が近い。普段使わない筋肉を使ってるせいか今にもつりそうだった。
翔太が振り返る。手応えを感じてるのは見ればわかった。
「できそうな気がする」
「よし、動画に合わせて吹いてみるといいかもしれない」
「うん」
何度目かわからないぐらいループ再生している動画だ。タイミングは完璧だった。
――ラファドファソド ド ソラソドファ――
驚いた。一発じゃないか。そして、もう一つ驚かされた。こいつ、こんなに良い顔で笑えるのか。
「できた!」
「ああ。うまいぞ。やったな」
大きな壁を越えた。それなのにどことなく不満が見える。
「どうした? そうか、俺の番か」
残念ながら一発クリアはできなかった。それどころか十回やっても駄目。それもそうだ。俺の指はガチガチになっていた。
リコーダーを置き、指の筋を一本一本伸ばす。じんわりとした痛みと熱い血の巡りを感じた。
「頑張って。あきらめちゃ駄目だよ」
「ああ。任せろ」
背筋を伸ばしてリコーダーを構えた。気をつけるポイントはわかっている。あとは落ち着いて実行するだけ。
両手を握りしめている翔太は自分の事のように真剣だった。その期待に応えたいと思い、深呼吸。集中。そして、奏でる。
――ラファドファソド ド ソラソドファ――
12個の音を並べただけ。音楽というよりスクリプトを実行したみたいだった。たったそれだけなのに俺は達成感に包まれている。そして、俺も、翔太も、笑っていた。
「やった! 次は二人でやろうよ!」
「いいだろう。しかし、ちょっと休憩しないか。ずっとこの曲をやってたせいかコンビニに行きたくなった。アイスを食おう。翔太も行くか?」
少しためらったが、手を差し出す。その手を恐る恐るだが翔太はつかんだ。その手は子供らしく、しっとりと汗ばんでいるが、不思議と不快に感じなかった。
「うん!」
はじめて翔太に触れて確信が持てた。俺は拒絶されていなかったと。壁を作っていたのは俺だ。
笑顔に応えるつもりで強く握り返す。その手はファミマの自動ドアが開いてもつながれたままだった。
【次回予告】
翔太と話すようになった幸二だが、近づきすぎた関係に振り回されていた。冷静なつもりで送った翔太へのメッセージを見たひとみは言葉の危うさを指摘する。
次回
『お前らの存在が重すぎて俺のタスクが破綻する』
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