お前たちの存在が重すぎて俺のタスクが破綻する
Edy
リコーダー
1話 距離感がわからない
自分の家なのに違和感がある。半年ほど在宅勤務を混じえてわかったのは、騒々しいオフィスの方が静かな自宅より集中できるという事だ。窓の外に目をやると、職場のある高層ビル群が夏の熱気で揺らいでいた。
俺のデスクがある広いフロアでは、熱のこもったやりとりが会議卓で飛び交い、キーボードを
書斎として使っているフローリング六畳間の三分の一を占めるリビングテーブルにはPCモニタが二枚。その片方が何十キロも離れている画面を共有して勝手にスクロールし、ソースコードが流れていく。それを操作している部下の坂木が女性らしい落ち着いた声で説明を続け、その音声は光となってネットを伝い、ヘッドフォンで音に戻る。
『そんな感じで可読性を重視したんですけど……
「ああ。大筋は問題ないが上を見せてくれ。もう少し上。そこだ。破損したファイルを食わせると異常終了しないか?」
マウスポインタがフラフラとうろついて、俺が見つけた穴を指して止まる。どうやら理解してくれたようだ。
『本当ですね。ガード処理を追加します。あ、そうなると、直後に動く処理とだぶつきますね。そっちも変えないと。ちょっと時間ください』
「わかった。続きは修正後にしよう。ちゃんと動作確認しろよ」
『はい。ところで何が鳴ってるんです? ピーピー聞こえますけど』
俺には聞こえない……そうかヘッドフォンをしているからか。片耳だけ外すとセミの鳴き声と共にリコーダーの音が聞こえてきた。
夏休みの宿題だろうか。あいつは何も言わないし、俺も聞かない。血のつながりがない親子のせいか、距離を測りかねていた。
「息子が笛を練習しているんだろ」
『あー。
まったくストレートにしか言えないのか? 腫れ物扱いされるよりマシだが。
「問題ない。しかし坂木は言葉を選べ。俺じゃなかったら機嫌をそこねているぞ」
『幸二さんだから言えるんですよ。どうせ接し方がわからないとかで、ろくに相手していないですよね?』
「そんな事は――」
『ありますよ。私が幸二さんの下についた時がそうでしたから』
しおらしかったのは入社した時だけだったか。五年も経つと初々しさは欠片も残ってない。どうやって反論しようか考えてる内に楽しげな声で畳みかけられた。
『私の扱いに困っていたのは知ってます。大人なんで自分から話しかけに行きましたけど、小学生には難しいと思いますよ。傷ついているなら尚更です。歩み寄ってあげないと』
「それは血のつながった親の役割だろう。俺では力不足だ」
坂木の声は徐々に優しいトーンへと変わっていき、ヘッドフォンのせいか耳元でささやかれているように感じた。
『私のフォローに何日も深夜まで付き合ってくれた幸二さんなら大丈夫です。仏頂面だけど本当は優しいんですから。子供はそういうところに敏感ですよ』
「買い被りすぎだ。指導役の仕事をこなしていたにすぎない」
『そういうことにしておきます。そうだ! 仲良くする方法、教えましょうか?』
急に大きな声を出されて思わずのけぞり、ワーキングチェアがきしんだ。
「言ってみろ」
『美味しいご飯食べるんです。一緒に料理するのもいいですね。なんなら私が手伝いますよ。三人で楽しく食卓を囲めば一発ですって。ついでに住まわせてください。二人で大きな家に住むなんてもったいないです。部屋、余ってるって言ってましたよね? 家事を受け持つんで家賃なしで――』
「全部不要だ。切るぞ」
コミュニケーションアプリの通話切断をクリック。直後にチャットメッセージが飛んできた。
<坂木ひとみ:ちゃんと話しかけてあげてくださいね>
<坂木ひとみ:翔太君には幸二さんしかいませんから>
<坂木ひとみ:あ、奥さんに逃げられた幸二さんには私がいますから安心してくださいwww>
いい加減にしろ、と入力しようとして、止めた。ヘタクソなリコーダーの音色が悲鳴のように聞こえたからだ。思えば、翔太とは事務的な会話しかしていない。
あいつは、翔太をお願い、と言った。坂木は受け身では駄目だと言った。となると、やることは一つ。翔太と向き合うべきだろう。問題はどうアプローチするかだ。わからないなら試すしかない。仕事でもそうだ。資料がなければ模索する。よくある話だ。
キーボードに指を走らせてエンターを叩く。
<佐藤幸二:少し離席する>
<佐藤幸二:急用なら携帯に頼む>
立ち上がった瞬間にメッセージがポップアップした。それに返事は書かなかった。
<坂木ひとみ:頑張ってください!>
書斎を出て、きしむ廊下を歩く。翔太に当てがった部屋をノックすると笛の
入っていいか、との問いかけに少し間をあけて、うん、と返ってきた。ドアノブに手をかけて思い出す。最後にこの部屋に入ったのは、あいつが去った日だ。
ゴミだらけになっていないか心配したが、そんな事はなく定期的に掃除しているらしい。それよりも熱気で目がくらみそうだった。
南向きの大きな窓は全開だが入ってくる風はなく、扇風機の正面に座り、風で譜面のあるページがめくれないよう足で押さえている。
その手にはリコーダーが握られ、その額は汗で髪が張り付いていた。
「なんでエアコンを使わない?」
「電気代、高いから」
汗を吸って色が変わったTシャツを見て、記憶に引っかかりを覚えた。同じ屋根の下でも一日に数度しか顔を合わせない。昨日の夕食時も汗をかいていた。昼食の時も。その前日もだ。
「電気代って……まさか、ずっと使ってなかったのか?」
「うん」
なぜだ、とは聞けなかった。恐らく、翔太にとってこの家は自分の家ではないからだ。ここは母親が迎えにくるまでの仮住まい。俺に遠慮しているという事に他ならない。
俺が何もしなかった事が重圧となっていたと思うとショックだった。いや、つらいのは翔太か。
冷静を装いつつリモコンを操作すると、翔太は急いで窓を閉めた。次第に室温が下がり、湿った空気が入れ替わっていく。
「言っていなかったが自由に使っていい。ここは俺の家だがお前の家でもある。気は使わなくていい」
真っすぐ見つめてくる目から逃げたくて、譜面が載っている冊子を拾う。足で押さえてたところが汗でふやけてヨレヨレになっていた。
「夏休みの宿題か?」
「そうだけど、うるさかったね。もう止める」
「そうは言ってない」
翔太は顔を伏せて黙った。言い方がまずかったか。応答だけではなく、自分の意思を言わせるにはどうすれいい? 力技だが話したくなるまで押す。それぐらいしか思いつかない。
「見てやるから吹いてみてくれ」
「幸二さん、仕事中だよね」
「いいんだ。どうしてうまく吹けないか気になったからな。それに、この曲はファミマの入店音だろ。ちゃんとしたのが聞きたい」
床に転がるリコーダーを拾い、翔太に受け取らせると、おずおずと吹き出す。心なしか、さっきより音が小さい気がした。
たった十二個のオタマジャクシしかない曲だが、ミスするのは大体同じ場所。穴をたくさん押さえなければならない音だった。アドバイスしようにも小学校以来触ってないから大変さがわからない。
「どこが難しい?」
その問いに翔太は答えずに、また顔を伏せた。仕方がないのでしゃがんで見上げる。その目はおびえているように見えた。
「責めていない。対策を考えたいんだ」
答えは沈黙。さて、どうしたものかと頭を働かせ、いい方法を思いついた。
確か残っていたはず。すぐ戻る、と言い残して部屋を出る。目的の物を見つけるのに時間はかからなかった。両親が死んでからそのままにしている和室。その押し入れの段ボールに、俺が子供の頃に使っていたリコーダーがあった。母がこれを捨てたがらなかった理由は知らない。聞いておけばよかったと、少しだけ思った。
ヘタクソな曲が流れる部屋に戻って、翔太の頭にタオルを被せる。
「先に汗を拭け。風邪ひくぞ」
「うん」
わしわしと顔と頭を拭いているのを横目で確認して、床に腰を下ろした。どこを押さえるかは鉛筆で書かれた絵でわかるし、オタマジャクシの下には音名も記入されている。これなら俺もできるだろう。
リコーダーを構え、絵の通りに押さえて吹く。一つ目の音をちゃんと出すに何回もトライが必要で、奇麗な『ラ』が出た時は自然と口端が上がった。
そんな俺を翔太は突っ立ったまま見下ろす。
「何で幸二さんがやってるの? 僕の宿題だよ」
「やりたいからだ。壁を乗り越えた時の気分は最高だからな。俺はそれを味わいたい。お前はどうだ? 諦めるか?」
「……やる」
翔太は俺の隣に腰を下ろしリコーダーを吹き始めたが、不整合な二人の音が残念すぎる。
一つだったノイズは二つになり不協和音として響いた。
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