11話 応援した

 日曜日の朝。カーテンの隙間から差し込む光がまぶしくてアラームより先に目覚めた。


 あんな夢を見たせいか寝起き早々気が重い。一度思い出すと次から次へと昔の記憶がよみがえり、未熟な言動をとっていた自分に顔をしかめながら、やるべき事をこなしていく。


 コーヒーメーカーから良い香りが漂い、フライパンにベーコンを敷いた時に遠くからアラームが聞こえて、すぐに止まった。翔太の寝起きは良いが今日はいつも以上に止めるのが早い。


 ベーコンの上に卵を落とすとジュウジュウ音を立てて油が跳ねた。蓋で封じ込め、火力を弱めたところで翔太が現れる。いつもなら着替えているのにパジャマのままだった。


「おはよう! いい天気だね!」

「そうだな。先に着替えてくるといい。それまでに用意しておく」

「うん!」


 翔太はバタバタと洗面所に向かい、俺はトースターに食パンをセットして皿と箸を並べる。手を動かしながらも思考のリソースは過去の振り返りに割り振られていた。


 田上の件は明らかに俺の対応ミスだ。しかし、どうすれば良かった? 資格試験に合格してたものの、自己採点はギリギリだった。文化祭の準備で時間を取られていたら受かっていなかったかもしれない。


 つまり、準備に参加する余裕はなく、手伝わないと田上が孤立する。まさにデッドロックだ。


 いくら考えても打開策は見つからずに思考は無限ループのように繰り返すだけ。そのせいでサニーサイドアップは俺と翔太の好きな半熟を通りすぎてしまった。


 朝食を取りながらも思考は続く。体操着に着替えて正面に座る翔太がチラチラと俺を見ているのに気付いて顔を上げた。


「どうした?」

「何か嫌な事があったの? ずっと怖い顔をしてるよ」

「少し考え事をしてただけだ」


 顔に出てたのか、と思いながら明るい声で答える。今日は翔太が楽しみにしていた運動会だ。気を使わせたくない。


「それより練習の成果は出せそうか?」

「勝ちたいとは思うけど……」

「結果が全てじゃない」


 言った言葉が自分に返ってくる。結果だけ見て過程をないがしろにしていたのが俺だ。翔太はそんな風になって欲しくない。


「たくさん練習して速く走れるようになっだろ」

「うん」

「大切なのは成長したという事実だ。翔太は見違えるほど速くなっている。すでに達成できたといっていい」


 翔太は言葉に込められた意味を汲み取るべく真剣な顔をしていた。その表情には見覚えがある。プロジェクトミーティングで結論を待つ部下のような目だ。


 しかしこれ以上付け加えることはなにもない。ただ、翔太の真っ直ぐな目が俺の口を開かせた。


「だから精一杯楽しんでくるといい」


 たったそれだけの言葉なのに、気持ちの整理がついたようだ。翔太はトーストを口に押し込む。そして野菜ジュースを一気に飲み干して立ち上がった。


「うん! 幸二さん、お弁当、楽しみにしてるね」


 タオルを首に巻いて玄関に向かう翔太に赤白帽子を投げた。


「忘れ物だ」

「ありがとう。行ってきます!」


 一人残された家で洗い物を済ませ、冷蔵庫から食材を取り出す。初めての弁当作りは並列作業が大変だったが、母の手腕を知る事ができた。フライパンや鍋を管理しながら包丁を扱い、にこやかに鼻歌を口ずさむ。俺には出来そうもない。


 あまりにも忙しくて過去の事など考えている余裕はなく、全て作り終えたのは予定していた時間を過ぎていた。一息つく暇もなく準備を済ませて車に乗る。


 学校に着いても慌ただしさは終わらない。今日の主役は翔太だというのに俺がこの様では目も当てられない。


 臨時駐車場で車のエンジンを切り、バックパックを担いで走る。卒業してから一度も来ていないのに懐かしさを感じないのは夢で見たからだろうか?


 現在と夢の光景がオーパラップする感覚に戸惑いつつも走る。校舎の向こう側にある校庭から歓声が上がり、増設されたスピーカーから子供の声ながらも熱が込もった実況が聞こえた。


 まずい。三年生の80メートル走はすでに始まっている。翔太のレースがまだだといいが。急いで校庭に行った時に、ピストルが白煙を上げてスタートを知らせた。


 トラックを囲む人だかりの隙間からのぞき込むと、先頭を走っている大智だいちが見える。三年生にしては恵まれた体格が砂を蹴り上げ、あとを追う五人をぐんぐん引き離し、テープを切った。歓声と拍手の中をウイニングランのごとく拳を突き上げ、笑顔でゆっくり走る。


 大智は小学生とは思えない堂々とした走りをして、一着でゴールした。翔太は? 背伸びして探すと次の次に走るらしく、スタートライン近くに体育座りをしている。


 スマホをビデオ撮影モードにして、よく映せる場所を探しているうちにスタートピストルが鳴りテープが切られる。翔太たちが前に出て構えた。


 もう時間がない。仕方なく腕を伸ばしてスマホを掲げる。録画を示す赤いサインが点灯すると同時に、パン! と大きい音が鳴った。


 若干、翔太のスタートが遅れ、しまった、という顔をしたのがわかる。湧き上がる声援が大きくて届くはずがないと知りつつも叫ばずにはいられなかった。


「がんばれ!!」


 ゴールで待つ大智も両手を口元にそえて叫ぶ。俺ももう一度、がんばれ、と叫んだ。


 翔太はゴールだけを見つめて腕と足を大きく振って走った。ぐんぐんと速度を上げ赤白帽子が脱げる。最後尾から一人抜き、二人抜き、先頭に迫ったところでゴールラインを越えた。


 思わぬデッドヒートに暖かい拍手が少年たちをたたえ、肩で息をする翔太は大智とハイタッチする。その顔はやりきったようでもあり、悔しそうでもあった。


 勝てはしなかったが良いレースができたな、と思いつつ見守っていると競技が終わった。くるみ割り人形が流れる中を選手たちが退場を始め、紅白のポールで作られた入退場門を出て思い思いに散っていく。集団の後方を並んで歩く翔太と大智が、俺に手を振りながら駆け寄ってきた。


「二人とも頑張ったな」

「大智君、すごかったよね!」


 自分の事のように喜ぶ翔太に、珍しく大智が照れてみせた。


「翔太も、すごい追い上げだったって。おじさんも見てただろ?」

「ああ。素晴らしい走りだった」

「でも一着じゃないよ」


 眉を寄せてはいたが、打ちのめされてはいない。それなら心配しなくてもいいだろうと肩に手を置いた。


「悔しいと思えるなら大丈夫だ。次に活かせばいい」


 俺の言葉に大智もうなずいた。


「そうだって。ちょっと練習しただけなのに、すっごい速くなったしな。昼からのリレーは活躍できるって」

「そうかな?」

「当たり前だろ。がんばって俺に楽させてくれよ」

「じゃあ、ドベでバトン渡すよ」


 二人はじゃれ合いながら笑っていたが、俺が背負うバックパックを見た翔太は首を傾げた。


「幸二さん、お弁当を食べる場所はあった?」

「いや、これから探す、と言いたいところだが空いてるスペースがなさそうだ」


 俺が小学生の頃はここまで人が多くなく、スペースの確保は簡単だと思っていた。それとも俺が知らないだけで父や母が場所取りで奔走ほんそうしていたのだろうか。


 なんにせよ、困った。どうすべきか考えていると、大智がこの小学校の習わしを教えてくれた。

 

「うちの学校、校庭が狭いから教室で食べてる人もいるぞ。たぶん、あの辺の教室は使っていいんじゃないか」


 大智は校舎の一階を指差した。教室が解放されているのは知らない。俺は校庭の隅、木陰になる場所で食べていた。ということは、父が朝早くから場所取りしていたのか。今の今まで、あそこで食べるのが当たり前と思っていたが苦労と引き換えだったらしい。


「翔太。教室でもいいか?」

「うん。お弁当作ってくれただけでもうれしいから」

「そう言ってもらえると助かる」


 問題は美味いか、だが。不安を気取らせないためにほほ笑むと、翔太もつられて白い歯を見せた。


「じゃあ、またあとでね」

「わかった」


 二人はクラスの待機場所へ走って行き、その姿は人混みに紛れて見えなくなる。


 昼まで時間があったが、とりあえず教室を確認しておくべきだと思い、校舎に向かった。人混みを避けて校舎と花壇に挟まれた狭い道を進んでいると、正面から同い年ぐらいの男が来た。


 道を譲ろうとして足を止めると、その男も立ち止まる。その顔は驚いているように見えた。恐らく俺も同じ顔をしているだろう。


「勇人か」

「……久しぶりだな、幸二」


 袖をまくったTシャツ、短パン、サンダル姿。首から下げたソニーの一眼レフカメラからすると、運動会の応援に来た父親にしか見えない。


「良いカメラだな。子供の応援か?」

「それはお前もだろ。結婚したんだってな。弥生はどうした? 一緒じゃないのか?」


 勇人の声色は重い。あの自転車置き場で言葉を交わしてから俺たちの時は止まったままのように感じた。翔太が近くにいるのに揉め事を起こすつもりはなく、慎重に言葉を選ぶ。


「来ていない。それより、よく知っているな」

「狭い町だ。それに、文化祭でトラブルを起こしたやつと犠牲ぎせい者が一緒になったなんて、うわさになるに決まっているだろ」

「それもそうだな。応援、頑張ってくれ」


 話を適当に切り上げて勇人の脇を通り抜けようとしたが立ち塞がれる。ポケットに両手を突っ込んで胸を張る姿は、高校の駐輪場で俺に詰め寄ってきた時と何も変わっていないようだ。


「待て。お前、何が目的だ?」

「目的? 何の話だ?」

「他人を面倒事の種としか考えていないお前が、弥生とその子供の面倒を見ているなんてありえない。裏があるんじゃないか?」


 昔の俺はそうだった。いや、今も大して変わらないか。


「だとしてもお前に話す必要はない」

「幸二!」


 詰め寄ってくるのも昔と同じ。人間はそう簡単に変われない。ただ、対処がうまくなるだけだ。


 手の平を向けて押し留める。


「ここで騒ぎを起こせば通報されてもおかしくはない。子供にそんな姿を見せたくないだろう」


 勇人は自制を保とうとしているのか、握りしめた拳をゆっくり開き、大きく息を吸って吐いた。校舎にもたれて俺が通るだけの隙間が空く。通り過ぎ様に足を止めた。


「田上の件については思うところもある。しかし悪いようにするつもりはない」


 それに対して返事はなく、俺は校舎の入り口に向かう。


 勇人と交わした会話は久しぶりだったが、俺たちの溝は深まっただけだ。


 当たり前か。俺は何も学んでおらず、正しいやり方を見つけていないのだから。

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