12話 俺が悪かった

 昼の休憩時間になり、翔太と一緒に入った教室は十人ほどが家族単位に分かれて机を寄せ合っていた。開け放たれている窓から時折風が入ってきてカーテンを揺らす。


 窓際の机を二つ寄せて椅子に腰を下ろすと想像以上に低く、体は大人になったと実感した。


 バックパックから出した濡れタオルを翔太に渡し、タッパーを並べて蓋を取る。弁当箱がないと気づいたのは料理ができたあとだった。中身にばかり気が向いていて、容器の事をすっかり忘れていた。


 翔太はそんな事などお構いなしに色とりどりの昼食に目をかがやかせる。ピーマンとパプリカのピクルスは作り置きを入れただけだが、豚冷しゃぶの胡麻ドレッシング和え、卵サラダ、ブロッコリーとカリフラワーをでたやつ。どれも翔太の好きなものばかりだ。


 そして甘辛唐揚げ。思った以上に大変で事前に試して良かった。最初は揚げ時間がさっぱりわからず、生が残っていたり、火が通り過ぎて固かったりした。唐揚げなんて粉を付けて揚げるだけと思っていたが、実際やってみると難しさがよくわかる。


 翔太はピクルスに箸を伸ばしてから、唐揚げを頬張った。目を丸くして俺を見る。


「美味しい! ちょっと辛くて甘い! こんな唐揚げ、初めて食べた!」


 その言葉を聞いて、ホッとした。


「それは良かった。これは俺も好きだ」


 そう言いながら、俺も唐揚げをひとつ取る。母のを食べた時のような感動はないが、悪くない。あの頃の俺と同じように喜んでもらえて笑みがこぼれた。


「そうなんだ。でも、家で作らないよね」

「ああ。これは特別な時だけ作るらしい」

「特別な時?」

「これを作ってくれた母が言っていた。特別な料理は思い出になると」


 なるほどだね、と翔太は言って次の唐揚げに箸をのばす。


「なるほどって、わかるのか?」

「風邪をひいた時のミカンの缶詰めと同じだよね。僕が熱を出すと、お母さんはいっつも買ってきてくれたんだ。でも元気な時に食べた事ない」


 訳知り顔で語る翔太がおかしくて声を出して笑ってしまった。確かに同じかもしれない。そんな俺を見て翔太も笑う。


「幸二さん、元気になったみたいだね」

「俺は風邪ひいてないぞ」

「そうじゃなくて、朝はつらそうだったから」

「ああ、そうだったな。しかし気にする必要はない」


 心配させないように言ったが、翔太は悲しそうに見えた。表情は曇り、箸が止まる。何かを言いたそうに感じたので聞いてみた。


「言いたい事があるなら遠慮しなくていい」

「僕じゃ頼りないかもしれないけど、ちゃんと話して欲しいな。幸二さんの力になりたいんだ」


 俺を気遣ってくれるのか。しかし話したところで過去の問題は解決しない。それなら話す意味はなく、嫌な思いをさせるだけだ。


「これは俺が抱える問題だ。翔太に負担をかけさせたくない」

「僕なら大丈夫だよ。それに……」


 翔太は言いよどんでいたが、かすかに聞き取れる声で続けた。


「今日の幸二さんはちょっと怖い」


 強く吹き込んできた風でカーテンが大きくなびき、翔太の姿を隠す。


 俺が怖い? 怖がらせるような事はしていないはずだ。いや、何も話さないからか? 考えがわからなければ行動が読めず、不安に思い、溝が生まれる。それを怖いと感じていると考えられる。


 まだ納得していないだろうが、再び箸を動かし始めるのを見て、俺も唐揚げに手をのばす。母ならどうしただろう? 何があっても向き合おうとするに違いない。


 立場も考え方も違うが、俺もそうするべきだと思った。


「気持ちのいい話じゃない。それでもいいか?」

「うん」


 両親を失い孤独になった事、文化祭でトラブルが起きた事、勇人と決別した事、全て話した。どうすれば良かったのか答えが見えない事も。


「話してくれてありがとう。大変だったんだね、幸二さんも、お母さんも」

「俺は平気だが、田上はつらかっただろうな。母に嫌な思いをさせた俺に幻滅したか?」

「そんな事ないよ。うまく言えないけど、みんな笑えるようになるといいね」

「そうだな」


 答えが見つかったわけではないが、翔太の顔から曇りが取れたのを見ると話して良かったのだろう。


 言葉を交わすだけで解決するものなのか。あの時もそうすべきだったのかもしれないと思った。


「礼を言う」

「僕は何もしてないよ」

「そんなことはない。俺の話を真剣に聞いてくれただけで十分だ。さあ、しっかり食べろ。リレーでいいところを見せてくれるんだよな。楽しみにしてる」


 翔太は、任せて、と元気よく答えていた。


 昼食後、翔太と別れた俺は空になった弁当を車に置き、のんびり校庭に戻る。トラックは活気に満ちていた。ちょうど学年ごとのクラス対抗リレーが始まろうとしている。


 80m走がいい位置で見られなかった事を思いだした。今のうちから場所を確保しようと、父兄の集団に混じる。


 一年生のレースが終わり、見終えた父兄が下がったおかげでいいポジションにつけた。


 二年生の第一走者がスタートラインに並ぶ。すぐ近くの、がんばれ、と叫ぶ声に聞き覚えがあって横を向くと勇人だった。俺に気付いたようで場所を変わってもらい隣に立つ。


「弥生の子もでるのか?」

「三年生だからこの次だ」

「そうか、俺の娘はこれからだ」


 第二走者たちがトラックを回り、勇人はカメラを構えた。スナイパーのような視線でバトンを待つ第三走者を狙う。


 後ろを確認しながら走り始め、バトンを受けとると全力で駆ける。その間、勇人のカメラはカチカチとなりっぱなしだった。


 カメラを下ろすと校庭中に響き渡りそうな声で、がんばれ、と叫ぴ、またカメラを構えて連写を始める。


 三番手を走る女の子が勇人の娘だと、熱のこもった視線でわかった。女の子は髪を額に張り付けながら差を縮めてバトンを渡す。そして去っていく背中に、がんばれー、と叫んでいた。


 娘の活躍に満足したのか、勇人は拳を固めて顔を綻ばせている。ここにいるのは学生時代の旧友ではなく、子を持つ父親だ。


「勇人の趣味がカメラだとは知らなかった」

「娘が生まれてからだ。いいぞ、カメラは。被写体が良いのもあるが成長や思い出、俺の思いを残しておける」


 優しく見守る視線を追ってランナーに目を向ける。レースはアンカーに委ねられ、勇人の子のクラスは一番でテープを切った。


 歓声が落ち着いた頃、スタートラインに並ぶ三年生を見ながら勇人は静かに口を開く。


「さっきは悪かった。頭では理解できているんだ。文化祭の時、お前の対応に問題はない。自分の目的を優先させ、担任に根回しをして大義もあった。ただ、クラスで一丸になろうとする連中は納得しきれない。だから矛先を弥生に向けたんだろう。俺はそれが許せなくてお前を責めた。クラスの連中と同じことをしてしまった」

「気にするな。俺もずっと考えていた。あれで良かったのかと」


 レース準備が整い、教師がピストルを空に向ける。四人の走者が合図を待って構えた。


「やっと答えが見えた気がする。翔太のおかげだ」


 皆がスタートを見守って静かになった時、ピストルが鳴って白煙を上げた。一斉に走り出しコーナーに向かう。


「どの子だ?」

「4組、赤いバトンの第五走者だ」


 4組の女の子は三番手で第二走者にバトンを渡す。


「それで、答えって何だ? 聞かせろよ」

「担任に説明を丸投げしたのが過ちだった」


 第二走者はトラックを半周してバトンは第三走者に渡る。4組は三番手のまま。トップとの差はわずかに広がった。


「俺は自分の言葉で話すべきだった。担任の言葉は対話ではなく、通知だ。疑問やわだかまりが生まれてもぶつけられない。俺が話していれば直接気持ちをぶつけてきたはずだ。そうすれば悪い空気がまる事もなく、田上が矛先に立つ必要もない」


 選手はクラスの代表だけあって、みんな走るのがうまい。翔太は大丈夫だろうかと考えている間に第四走者がバトンを受けとる。4組の位置は変わらない。


「幸二が担任に頼るのは正しいだろ。それが教師の役割だ」

「それは大人の考え方だ。実際、納得できなかったから駐輪場で俺に詰めよってきたのだろう」

「それは……」

「勇人とも向き合うべきだった。……翔太にバトンが渡る。あれが田上の子だ」


 スマホを構える。動画ではなく、連写で撮ろうと思ったのは昔馴染なじみに影響されたからかもしれない。


 バトンを受けとるところを連写する。スマホがカシカシ鳴り、隣で鳴るカチカチと言う電子シャッター音とシンクロする。


 スマホに映る翔太はいいスタートを切った。腕を大きく振り砂を蹴り上げる。クラスメイトが応援する中、ぐんぐん加速し一人抜く。クラスメイトの歓声がさらに大きくなった。


 俺と勇人にフォーカスされ続ける翔太は一位との差を詰めてバトンを大智に渡す。俺たちの目の前でバトンを渡し、受けとる二人の声が響いた。


「大智君!」

「任せろ!」


 肩で息をする翔太が見守る中、大智は風のように走る。差を詰め、並び、先頭に立ち、追い抜く。そのまま白いテープを切った。


「よし! よくやった! さすが俺の子だ!!」


 トラックの反対側で大声を出しているのは大智の父だ。精悍せいかんな顔立ちの男が子供みたいに顔を綻ばせながら太い腕を振っている。


 翔太を肩車した大智はトラックを飛び出し、チームメイトを引き連れてクラスメイトが待つ児童席に走る。二人を歓声が迎える。担任がはしゃぎすぎだと叱り、歓声は大きな笑い声に変わった。


 ようやくカメラを下ろした勇人が俺に向き直る。その目を見返しながら言った。


「俺が悪かった」

「今さら過ぎる」

「そうだな。しかし、これですっきりした」

「お前だけすっきりしてどうする。まあ悪意がないのはわかった。弥生とあの子に対してもな」


 勇人の表情は柔らかい。がんばれよ、と拳を突き出してきたので俺も拳で応える。ブレザーを着ていた頃に戻ったような気分になった。


「またな、幸二。そろそろ戻らないと嫁に怒られる。下の子の面倒も見ないとな」

「ああ。またな」


 人混みに消えていく背中を見送り、話して良かったと思った。翔太が教えてくれなければ、俺たちはこじれたままだっただろう。


 まだまだ俺は半人前だと実感して運動会は終わった。


 後日、届いた封筒には写真が一枚入っていただけだった。バトンでつながる翔太と大智は躍動感にあふれ、いきいきとしている。


 悔しいが俺が撮った画像とは比べ物にならない、良い、写真だった。




【次回予告】


 坂木ひとみは出張で家を離れなければならない幸二に代わり、翔太の世話を引き受ける事にした。環境の違いに戸惑いつつも楽しむ坂木。ともに過ごす最後の夜に来客がおとずれる。それは翔太の母だった。


 次回

『お前らの存在が重すぎて俺のタスクが破綻する』

<マザー>

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