14話 ひとみはご飯を作ります

 翌朝、いつも通りの時間に家を出た。パンツスーツではなくパーカーにジーンズ、スニーカーというラフな格好かっこうで車に乗る。中古で買った黄色のジムニーはエンジンを掛けるとブルブル震えた。スムーズとは言えないがゆっくり走りだし、通勤する車が多い幹線道路をのんびり進む。


 この時間に車に乗るのは初めてだけど、思ったより渋滞していない。狭い市街地を抜けて広域農道に入ると流れが速くなった。


 低い太陽をさえぎる建物はほとんどなく、田畑に囲まれて走るのは気持ちがいい。窓を全開にしてオーディオのボリュームを上げた。まだ冷たい空気に車内がかき回され、カーリーが歌うグッド・タイムのリズムにのりながらアクセルを踏む。


 歌いたくなるのを我慢してこれからの三日間に思いをはせる。


 翔太君の世話って何をすればいいんだろう? ご飯を作ってあげるのはいいとして、それ以外は? あの子はしっかりしてるから全部ひとりでやっちゃいそうだしなあ。私が小学三年生の時は母にべったりで、家にひとりきりとか絶対に無理だったと思う。


 まあ、何も問題が起きなければいいか。そんな事を考えているうちに幸二さんの家が見えた。速度を落として庭の駐車スペースに止める。幸二さんは車で出張に行ったらしく、白のSUVはない。


 砂利を踏み玄関に向かうと、翔太君が出てきた。


「ひとみさん、おはよう」

「おはよう。今から学校?」

「うん。今日からよろしくお願いします」


 翔太君はペコリと頭を下げた。背中のランドセルが朝日を反射する。やっぱり、しっかりしてるわ。大人の私が恐縮しちゃいそう。


「こちらこそ、よろしくね。幸二さんは?」

「僕が起きた時にはいなかったよ」

「そうなんだ。朝ごはんは?」

「パンを焼いたよ。あと野菜ジュース」


 ニコニコしながら話す姿を見ていると私まで楽しくなりそうだ。


「偉いわね。じゃあ勉強がんばって」

「うん。いってきます」

「いってらっしゃい」


 ランドセルを揺らしながら走っていく後ろ姿が見えなくなり、家に入る。幸二さんは、書斎で仕事するといい、と言っていた。たしか玄関から右に行って突き当りのドアだったわよね。年期の入った床板とリフォームできれいになったらしい壁に挟まれた廊下をきしませながら進む。


 目的のドアを開けて踏み入れると書斎で間違いなさそうだった。フローリング六畳間の三分の一を占めるリビングテーブルにはモニタが二枚あり、足元に自作したであろうタワー型のPCがある。きれいに束ねられたケーブルが幸二さんの性格を表しているように見えた。


 背負っているカバンからノートPCを取り出し、遊んでいるLANケーブルを刺す。


 ついでにモニタも借りちゃおう。HDMIケーブルも手繰り寄せる。電源を入れてVPN認証を通すと会社のネットワークにつながり、仕事できる環境になった。


 幸二さんに連絡を入れておこうとスマホを取り出すが、発信より先に震え始める。タイミングの良さに驚いて落としそうになった。


「おはようございます。ちょうど幸二さんに電話しようと思ってたんですよ。社内ネットにつながりました。今から作業始めます」

『おはよう。俺も今から客先に入る。出るまでスマホが使えないから、何かあった時は社内ネット経由で連絡してくれ』

「あー。カメラ付きだと持ち込みできないんでしたね。カメラなしの携帯に換えるって言ってませんでしたっけ?」

『止めたんだ』


 だと思った。身をよじって壁に貼られたスター・ウォーズのポスターの隣にあるコルクボードを見る。そこには翔太君の学校行事や仕事の予定が書かれたメモが多いが、翔太君を写した写真もたくさんあった。


「スマホのカメラを活用してるみたいですね」

『ああ。友人の話だが、子供が生まれてからカメラが趣味になったそうだ。その気持ちはわからないでもない』

「え。幸二さん、友達いるんですか?」

『失礼なやつだな。まあいい。とにかく作業も翔太もよろしく頼む』


 はい、と返事をして通話を切った。


 それにしても写真を印刷して飾るなんて、本当の父親みたいだ。たぶん撮影する時に真剣な顔でスマホを構えていたのだろう。どの翔太君も直立不動で固い表情だった。思い出というよりログデータのようで笑みがこぼれる。


 一枚一枚見ていると、運動会のリレーを走る翔太君が写された写真の下にもう一枚あるのに気づいた。

 その写真の幸二さんと翔太君は、真夏の日差しを受け、コンビニ前の車止めに座ってアイスバーをかじっている。遠目に写された二人は足元に垂れたアイスの滴を見て笑っている。そんな風に見えた。


「いい写真なのにもったいない」


 この写真は好きだな。日常のひとコマって感じで。


 コルクボードの空いている隙間を探し、隠れないように貼り直した。


 これでよし。さて、仕事しないと。


 セーフモードで真っ暗な画面のノートPCに手を置き、目を閉じて深呼吸を三回。仕事の思考に切り替えてからパスワードを打ち込む。ゴシック体のアルファベットと数字の羅列を目で追いかけ、私の指はキーボードの上を軽快に走り始めた。




 作業は順調のまま昼を過ぎ、昼食を作って食べ、また仕事を進めた。そうしてるうちに玄関が開く音が聞こえて、元気な足音が近づいてくる。時計に目を向けると16時を過ぎていたようで、窓の外は西日に照らされていた。


 足音はドアの前で止まると軽いノックの音に替わる。


「ひとみさん、ただいま。入っていい?」

「どうぞー」


 ワーキングチェアごと回転してドアを開けた翔太君に体を向けた。真っ直ぐここに来たらしく、ランドセルを背負ったままだ。


「おかえりなさい。ノックしなくてもいいのに」

「でも人の部屋に入る時はちゃんと確認しろって幸二さんが言ってたよ」

「あー。言いそう。それで学校はどうだった?」

「普通? なのかなあ」


 特に何も思い付かないといった顔をしていた。


「普通が一番だよ。いつもは帰ってから何してるの?」

「いつもは遊びに行くけど、今日はひとみさんいるから宿題する」

「偉いね。それなら宿題終わったら教えて。晩御飯の材料を買いに行こう」


 私の言葉に翔太君は首をかしげた。


「ご飯は冷凍庫にあるよ」

「幸二さんが作ったのが冷凍してあるの?」


 まさか作り置きしてるの? そこまで家事をしているとは思わなかった。あなどれないなと思ったが、翔太君の答えは違った。


「違うよ。買ってきたやつ。いっぱいあるよ」

「なんだ、冷食かー。びっくりしたよ。ご飯は私が作るね」

「え! ひとみさん、料理できるの?」


 驚きで目を丸くする翔太君に私は口をとがらせる。


「失礼ねー。バーベキューの時、ピーマンの肉詰め持っていったでしよ」

「あれ、作ったの? 買ったんじゃなくて? 売ってるのみたいにきれいだったよ」

「そう? まあ私にかかればあれぐらい楽勝よ。だから宿題を済ませておいで。私もそれまでに仕事終わらせるから」

「うん」


 背を向ける翔太君に向かって言葉を続ける。


「どっちが先か競争ね。翔太君が勝ったら好きなもの作ってあげる」

「本当に?」

「本当よ」

「じゃあ、頑張る!」


 部屋のドアが閉まり、駆ける足音が遠ざかっていく。ふふ、素直な子供はかわいいわ。


 気持ちを切り替えてノートPCに向かった。だいたい30分ぐらいかな? それまでに区切りの良いところまでやってしまおう。遅れた分は夜やればいい。


 何を作ってと言われるかな、と考えながらの作業ははかどらず、勝負は私の負けだった。



 翔太君はスーパーでウロウロせずに私について歩く。本当に良い子だと再認識した。お菓子を買ってあげようとしても遠慮するなんて驚き。


 料理中は邪魔しないし、お母さんは楽だろなと思いながら夕食の用意は進む。


 出来上がった料理をテーブルに並べると、翔太君は口をポカンと開けていた。


 いただきます、と私が言い、翔太君も慌てて手を合わせる。


 リクエストされたハンバーグを箸で割るとふわっと湯気が上がった。食べてみると閉じ込められていた肉汁が口の中に広がる。


 翔太君の口にあうかな、と顔色をうかがったが手をつけもせず、じっとながめているだけだった。


「どうしたの?」

「あの変なお肉がハンバーグになるんだね」

「ひき肉の事? お母さんは作ってくれなかったの?」


 軽率だったと思った時は言ったあとだった。ごめんなさい、と頭を下げる。だけど翔太君は気にしていないようだった。


「平気だよ。ご飯はあまり作らなかったかな。でも仕事は一生懸命してたと思う」

「まるで幸二さんみたいね。他には?」


 翔太君のお母さんがどんな人が知らない。立ち入ってはいけないと思うけど、聞かずにはいられなかった。


 翔太君は顎を押し上げるように指を当てて、考えをまとめてから答えてくれる。


「仕事が大変だったんだと思う。いつも疲れてたから一緒に遊んだ事はあまりないかな」

「寂しいかったよね」

「それが普通だったからそんな事ないよ。でも優しいんだ。僕が風邪ひくとミカンの缶詰めを買ってきてくれるし」


 他にも汗を拭いてくれたり、冷えピタを貼ってくれたりしたよ、ってうれしそうに話していた。


 愛情持って育てていたんだ。でも、それならなんで置いていったんだろう?


「いいお母さんね。一緒に暮らしたくはない?」

「お母さんの邪魔をしたくないよ。たぶん、時々話ができればいいんだと思う」

「どういう事?」

「幸二さんと二人で住んでても、最初はぜんぜん話さなかったんだ。邪魔しちゃ駄目って思ってたから僕から話しかけなかった。幸二さんからも話しかけてくれなかった。それって一緒に住んでるだけだよね」


 なんとなくわかった気がした。子供なのに適切な距離感がわかっているのは邪魔したくないと考えているからだ。スマホを持ったばかりの時にメッセージを連投してたけど、それはメッセージでの距離感がわからなかったから。


 距離感を把握した今、たどり着いた答えが知りたかった。


「そうかもね。それで?」

「でも、幸二さんが話しかけてくれるようになってからは僕からも話すようになったんだ。たくさん話してるわけじゃないけど、僕を見てくれてると思うとうれしい。だから、お母さんには僕が話しかけるんだ。そうしたら喜んでくれるんじゃないかな」


 子供ならではの真っ直ぐな言葉がまぶしい。でもやろうとしてる事は大人だ。つかず離れずの距離でコミュニケーションを取るなんて子供のする事じゃない。


 それを翔太君はやろうとしている。幸二さんから向き合う大切さを学んだからだろう。不器用な思いやりがちゃんと伝わっているんだ。私が求めている父と子の関係はこれかもしれない。


 何も言えずに感動していると、翔太君は首を傾げた。


「僕、間違ってる?」


 私はあわてて首を振る。


「そんな事ない。私は応援したいな」

「本当に?」

「本当よ」


 良かった、と顔をほころばせる翔太君の純粋さがうらやましい。向き合う事ができなくて今まで避けてきた私には、まぶしすぎる笑顔だ。


 これは負けてられないな、と手をたたいて箸を持った。


「すっかり長話しちゃったね。冷めないうちに食べようか」


 手作りのハンバーグを喜ぶ翔太君と食事を楽しみながら父の顔を思い出す。


 私も父に話しかけたら何か変わるかもしれない。それはとても勇気がいりそうだけど頑張ってみてもいいかもしれない。


 今年の年末は久しぶりに帰ってみようか。そう思った。

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