第7話~科学者は哲学の夢を見るか~散々の我がまま
<18>
積読の棟崩れに隠れていた本棚最下部に、古ぼけた冊子が数冊、軽い音と共に倒れ落ちていた。
二度の涙でじくじくと痛む眦の先、星明りに僅か浮かび上がるそれは、使い古された跡だろう、既に表紙の擦り切れた、大学生の使う様な安いノート。
君は優秀だなどと買って、今夜に至ってはお礼だ等と流星群を見せ、自分にとっては禁忌の私室にまで招きこんで慣れない気づかいまでしておいて。
そこだけは駄目だ、なんて。そんな事言わないで。
持ち運ぶ蒲団は、嵩に対して随分と軽い。
最高級羽毛布団というのはどうやら本当だったらしい、とあらぬ事に思考を巡らせ、ケルッツアは今、もらい物の蒲団類一式を持ち、全く灯りの無い暗道、国立図書館最上階から、第八図書館の間の空間の何処かを小走りに移動していた。
右、左、真っ直ぐ行って三つ目を左、等と迷いも無く視界無き迷路を突き進む彼はしかし、先程足の爪先を角にぶつけている。出発時にぶつけた右側のおでこがまだ痛む、と両手で持っていた荷物を片手に持ち替えて、速度を弛める事無く、痛む額の箇所に手をやると感覚の鈍りを自覚、苦く笑った。
気付けば、何時からか腰の辺りが軽くなった。本来ならば常日頃身に着けている筈の金細工、一人前と認められた時にもらったあのナイフの柄の重さは、今部屋の何処に転がっているだろう。慣らされた、檻のような環境に不満は無いけれど。
彼はそっと歩を止め、天を仰ぐ。
風が欲しい。
荒涼と乾いた、紅い砂漠を吹き渡る声なき声。脳裏に浮かぶは、今や、記憶の断片にすら遠く霞んで見える彼の故郷だった。
蒼き流砂は嵐の前兆。頬を痛くなぶる熱風は、常に厳しく、しかし優しさに満ち溢れている。
ラクダを常使うなど堕落の象徴。徒歩こそに誇りあれ。蒼い装束は風にはためき、砂つぶては容赦なく手足にまとわり付く。死者に守られた、美しい砂の園を行く。
我は、流れ行く者。
蒼き。
「今でも最低限、立ってラクダ位は乗りこなせないと…」
流民の名が泣く。たん、と勢い良く歩を踏み出し、そのまま彼は階段を四段一気に飛び降りた。
「・・・・・・・・・」
大して音も立てずに着地したが、しかし足が痺れて痛みを訴えている。
「………なまった」
これじゃあ宙返りは愚か、大男の首筋にも飛び上がれない、等と頭の片隅で思い、軽く息を吐くと、僅かに頭を掻いて。
また、更に急ぎ足で目的地を目指す。
後ろを向いていた間、時折鼻をすする湿った音がしていた。振り向いた彼女の眦には紅く擦った後が鮮明。
顔色も悪く、艶のあった深い栗色の髪は、思えば惑星周期観測が始まってから日を追う毎に傷んでぱさついていた気がするが、更に酷い状態だった。
おまけに焦点の定まらない目は暗く重く影って、栗色に近い紫の色をぼやけさせていた上光を映しこまず。
先程少し目を止めて観察した助手の姿が目に浮かぶと、その足取りは更に速くなる。
一体。
角を右に曲がって。
一週間と言う時間は結構な疲労を体内に蓄積させる。
それが分かっていながら、ここまでつき合わせてしまった僕も悪い。
反省を動力に変え、自身の私室に残してきた助手の元へと急ぐ彼は、蒲団を探し出した時掛かったロスを短縮する為、最後の階段を二段飛ばしで下り、目の前に自室の扉。そのドアを開けて。
「ただいまソフィーレンス君。…調子は・・・・・・・・・」
結局、苦笑いで彼女の様子を見るしかなかった。時計を確認して、只今夜中三時二分前。
・・・・・・・・・手遅れたか・・・
寝不足、過度の疲労で少々不安定だった彼女は、その感情を爆発させたらしく、ぺたり、と積読の棟崩れのあったと思しき場所に、後ろ向きでへたり込んで、ハンカチで鼻を押さえて知恵者を振り返っている。
「…へるっつ…は、ど・・・・・」
普段聞きなれたこの国の言語、発音は鼻声交じりだった。絆創膏の沢山巻かれた指がハンカチを支えている。
拭っているのは鼻水だろう。瞼は赤く腫上がり、両の頬も暗闇においてなお赤味を帯びている。その上を幾筋も涙の伝う様は正に、ぼろぼろ、という形容詞が良く似合った。
大変に見っともない事を母国語では何と言ったか。ふとそんな事を考えて、自身も少々暴走気味だと自覚しながら、ケルッツアは首を傾げて記憶を辿る。
確か、僕ら砂漠の民の言語、ムータ語では、見っともない、がトルッティだから、トルッティ ダラ …ダレス、物凄く、でもいいか、トルッティ ダレス…何て見っともない。
どこかのん気に階段を上り、何故か肩をビクつかせて縮こまった助手に近付いてゆく。
助手は何故か、知恵者が近づくにつれて怯えを増していった。その事を不思議に思いながら、彼女が今、後生大事に抱えている物を覗き込んで。
「それ!」
か、と、彼にしては珍しく、頭に血が昇った。
「ッ!」
思わず怒鳴ってしまった声に驚いたか、助手は座り込んだまま後退って勢いよく残りの積読崩れと積読に隠れていた本棚にぶつかって、しかし件の物だけは後生大事に抱き締め、俯いて震えている。
大方は、菌類図鑑か何かだろうと。
ケルッツアは怒りの収まらない体を精一杯鎮めて、一つ、苦々しい息を吐き出した。
のん気に構えていたら、よりにもよって異世界に行く前の、絶不調のノートを見られていた。
よりにもよって、今。感情の押さえが効かない時に。
カル ダレス。…なんて最悪。
しかし、彼女はあんまり悪くない、と助手の様子を見やれば、目の前で震えて、しかしノートばかり曲がるほどに抱き締めて俯いているばかり。
幼児退行したかのような振る舞いは、返って彼には、呆れを通り越して驚きですらあった。
本当に、限界値だったらしい…。
平和的にノートを取り返そうと、まだ収まらぬ憤りを優しげな声音で抑えて。
「君はいつから、言語失語症になってしまったの?」
「ッ…!」
滑り出た言葉のきつさに、ケルッツア自身驚き、助手に至ってはもう一度肩を大きく震えさせて、更に縮こまってしまった。
ああ、これじゃあいけない、と眉間に寄った皺を指の腹で解すと、彼は笑顔を心がけてもう一度。
「…それ、返して?」
「い、・・・・・・・・・嫌です。」
今度は比較的上手く行ったはずの声のコントロールに、しかし返ってきたのは随分と強情な一言。
「…何故?」
と聞いても。
「嫌なものは嫌です。」
子供の駄々に等しい言葉が返る。
これにはさすが、温厚と謳われる知恵者も優しげな態度ではいられなかった。
「…理由になっていない。」
トーンの一段下がった声に、しかし彼の目の前、今度は肩をビクつかせる事なく、彼女は相変わらず俯いて言葉を紡ぐ。
「自覚しています。でも、理由は言いたくありません。」
返ったそれには、今までにない理性の強い響き。
開き直りと呼ばれる現象に、今度は僅か困惑しながら、賢者は少々情けなく。
「ソフィーレンス君?」
名を、といってもあだ名に等しいそれを呼ばれた助手は、俯きながらも強情だった。
「今日の私は可笑しいんです。知ってます。でもあなたが悪いからこれは渡せません。」
助手の声は落ち着いて、やけの響きを巧く隠している。
どうやら、腹は決まっているらしい、と確認の意味も込めて。
「・・・・・ちなみに・・・・君の理論が破綻している事について、も?」
問うた返事も潔い物だった。
「承知の上です。」
だろうね、と、不満げな息を漏らし、知恵者は頭の中で手法を変えてゆく。
「・・・・・・・・・君はそんな、聞き分けの無い子だったかな」
助手の年齢は今年で二十一。顔と背の事もあってだろう、殊更子ども扱いされる事に抵抗を感じている、そのコンプレックスに訴えた問いは、思惑通り彼女を傷つけるに相応しかった。
「ッ」
無言で、しかし殺しきれなかった息を呑み込んで。助手は相変わらず俯いてノートを手放そうとしない。所か、益々頑なに握りこんで決して奪われまいと胸元に押し付けている。
「・・・・・・・・・」
その姿を見。まあ、少々汚い手だった、と、胸の内でわだかまる罪悪感を吐き出して、ケルッツアは少し視線を外すと、彼女の頑なな原因を探ってみる。
そこに、世紀の大発見が眠っているとでも、錯覚している…?
それは本当に詰まらないものだ、と嘯くと、助手に僅かな反応。責めるべき箇所を見出した知恵者は、覚悟を決めると自身の感情を吐露した。
「そんなもの…ッとても、…とても君の有益になるとは思えない…。猿に書かせた方がまだマシだ。
正直ね、君の目に映るに値しないものなんだよ…?
…寄越しなさい。」
自嘲交じりの本音にも、しかし尚彼女は応じない。
ただ、息を呑み込み、何か言葉を押し殺したような音だけが、小さく、本当に小さくその場に消えてゆく。
知恵者は目を瞑って、開くと、厳しい表情でてのひらを差し出した。
「寄越して」
声にも親愛の情は見られず。
怒りが彼を突き動かしているのか、有体に言えばそうだろう。
しかし同時に、歯がゆさにも、彼は突き動かされていた。
返った彼女の声は。
「・・・・・・・・・い、や・・・…」
一等弱弱しく、音に混じった息の掠れが鮮明だったが、綺麗な発音で感情を伝えている。
フェイルッ ダレス! 何て強情か!
強く彼女を心のうち、非難した後。そんなものに、本当に何もないのに。と、ここで半分だけ、彼は怒りとは違うものを感じて眉を寄せる。
異世界に行く前の、てんで誰にも相手にされなかった、天才崩れとまで馬鹿にされた自身の覚書を、固くなに抱き締めて離そうとしない助手の姿は、彼にとって。
しかし、憤りはまだ駄々を捏ねて、彼女からノートを取り返そうと躍起だった。
余り、得意ではないのだけれど、と眉を眇め、知恵者は流民、殊に彼の部族特有の説得方法を試みる。
「…君は、泥を抱え込んでいるだけに過ぎない」
ゆっくりと、今までの感情のこもった声音とは違う音が響いて、彼女はとっさ、俯いた視界の中で唇を噛んだ。
朗々と響く声は、彼の生まれ、流民に特有の説得方法の特徴と良く似ている。比喩を用いて相手に説く説法と呼ばれるもの。
「一片足りと、その中に砂金等無い」
一定の間隔で、言葉を積み重ねてゆくやり方、その声に反論すれば忽ち、言葉の上げ足を取られて理論の上で勝てなくなってしまう。例え。
「在るのは砂粒ばかり。取るに足らないものばかり」
どれ程反論したくとも、どれ程、彼が空しい事を彼自身の過去に思っていても、それにどう思おうとも。
「君が抱いている物は、その実何の役にも立たない氷でしかないんだよ?」
彼女はただただ、黙って意志を貫き通す他無かった。
ノートを抱き締める手や腕にばかり、力を込めているだけで。
「間違っても、稀代の宝珠になりもしない。硝子にすら、劣る汚物でしかない…」
とうとう、知恵者の折れるまで、彼女は一言足りと言葉を発っせずに。
「効かないか……。そんなにそんなもの、欲しいのかね?」
諦めたらしい彼の声は、どこか困ったように、優しく響く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・欲しい・・・・・・・・・です。」
ここで初めて、彼女は主張を口にした。そこだけは、どうしても譲れない、とばかり、強情な声に、知恵者の声は僅か、窺うような雰囲気を見せる。
「・・・そんなに・・・・・・どうしても?」
どことなく浮ついた、掠れた声。照れた時出ると、彼女はしかし、この時はその音の掠れ具合にすら気付かずに。
「・・・・・・どうしても」
落とすような助手の響きは、昼間、国立図書館一階、地下の関係者専用食堂に響いたものとは違い、酷く静かだった。
そんなに、そんなもの、でも…欲しいかい…。
これだけ言って、そこに素晴らしい物があると信じるほど彼女は愚かではない。知恵者は、清清しく呆れたように、鼻から息を吐き出して少し笑う。こんな時、流民の間で往々にして行われる解決策を思い、それもいいか、と僅か楽しげに声を弾ませて。
「じゃ、物々交換だ。」
「・・・・・え・・・?」
思った通りの答え、俯いていた顔を驚いた様に上げて自身を見る己の助手に、自信満々とばかり、彼は腕を組んでみせた。
「何、簡単な事だよ。それをあげる代わりに、僕は君からノートをもらう。」
にっこりと笑ってやると、途端、彼女は焦り出す。
「…わ、たしのノートなんて、大した物じゃあ」
しかし、一旦何かの箍が外れただろう知恵者は、おっとりと顎を上げて、揶揄するように小首を傾げてみせる。その様が、背中に背負った天窓の光によって、随分と悪徳さを増している。
「僕のソレだって有益ではないといっているだろう? でも君はきかない。
そして僕は君のノートを見てみたい。
最良の妥協案ではないかね?」
子供じみたその顔に、ソフィレーナはその実、勝てる気がしなかった。
「…わ、解りました。・・・近いうちに何か一冊持っ」
話のズレを意識しつつも、のみ込んだ彼女は、しかし知恵者としてみれば全く。
「ふむ? 分かって無いねソフィーレンス君。君ばかり選ぶ権利があるのは可笑しいと思わないの?
君に与えられた条件は全て公平に。目には目を。感謝には感謝を。ノートにはノートを。
君はそのノートを選んだ。なら当然僕にだって選ぶ権利が生じる。
と、なれば週末かな…。ここ五年は大人しくしていたし・・・ばれる事もないだろう…」
感情を抜かした全ての条件において、僕と君は公平でなくちゃ。そう笑う悪魔に、ソフィレーナは嫌な予感を、というよりも、予想、仮説を頭の中に描き、今度こそ身を乗り出して異を唱えた。
「ちょ、ちょっと待って!? あなた、まさかウチに来る心算」
言葉を遮って、バケモノ、否、悪魔の笑みは容赦がない。
「さすが、のみこみが早いね。近いうちに第二館長辺りから君の仮部屋に大きな壷が届けられると思うけど、くれぐれも受け取り拒否はしてくれるなよ?」
楽しげ、と言うよりは、やけくそと言いたげに目の前の悪魔は笑っている。
週末、壷、五年は大人しくしていた、と言う単語から、知恵者の外出には絶対不可欠の許可証を取らずに、お忍び、その実不法で海を渡って彼女の仮部屋を訪ねてくるらしい事が窺えて、彼女は頭痛に頭を抱え込んだ。
「ああ、他に欲しい物は無い? こうなったらお互い、恥の切り売りといこうじゃないか」
頭上から降ってくる声は、翻訳するなら
何でもやるから同じ物寄越せ。
と言う事に他ならない。
つまり…それは何か? もらった分だけ取られるのか? 色々?
余りに余りで涙も疾うに引っ込んだ、とばかり、ソフィレーナは勢いハンカチで顔を拭うと、その案に便乗して、そもそもの発端となった写真を取り出す。
「じ、じゃあ、・・・・・・・・・これも下さい」
「なに? …って!」
知恵者の驚いた顔に、引っ込みが付かなくなってしまった彼女は俯いて、写真だけ前に突き出す格好になった。その腕の震えと、写真を持つ手の酷さに、彼は呆れと驚きと、何か温かな感情に任せて結局は頬を弛める。
フォルソフォ…よりにもよって、は、あまり良い意味じゃあないけど…。よりにもよって…まあ…。
目の前にあるのは、卒業式の後、酔っ払って痴態を曝していた、彼としてみれば恥ずかしい思い出のともなう写真。けれどそれを支え持つ彼女の手もぼろぼろ。
こんな助手は見た事が無い、と。
「・・・・全く・・・・・酷い有様だ・・・」
ポケットを探り、黒いズボンのそれから目当ての物を数枚取り出すと、彼は剥き出しにされて僅かに血のこびり付く傷口に、丁寧に簡単な医療行為を施してゆく。
「…ぁ…ばんそう…こう…」
突き出した手の違和感に恐る恐る顔を上げた助手を見るともなく見、傷口へと視線を戻す彼は穏やかだった。
口許に笑みまで浮かべているが、それがまた、彼女には温かく映る。
通る声も、全て。
「…僕も良くやるから。でもこんなに酷い手は見たことが無い。
………そっちもだろう? 貸して」
掠れた声は照れている証。
心の何かを剥ぎ取られ剥ぎ取られ、矜持も演技も出来なくなった彼女は、言われた通りに、おずおずともう片方の手も差し出した。
差し出した手は、暖かな素手に包まれ、傷んで割れてしまった傷には、丁寧に絆創膏が巻かれてゆく。
ソフィレーナとて、人である限りは紙で手を切る事位ある。しかし、有能だなんだと褒められている手前、そういった傷はなるべく人には見せない様に努めて来た。
けれど、もしかしたら、そういった事も全部、お見通しだったのかもしれない。
高鳴る鼓動を緩く、素直に受け止めて、彼女は楽しげに絆創膏を巻いてゆく知恵者の顔を見つめていた。頬が紅いだろう。瞼だって少しは腫れているだろう。顔だって、酷いに決まっている。
けれど。
見つめられている事に気付いたか、合わせられた視線は柔らかに微笑んでいた。その眼差しも合間って、彼女は。
「ありがとう…ございます・・・」
喉の奥から滑り出た声は、少しだけ不明瞭に響く。
知恵者は驚くと、いいや、と緩やかに首を振って、可笑しそうに笑った。
「・・・・・・・・・本当に、今夜は散々だ・・・君も、僕も。」
少し驚いたように首を傾げた助手に対し、今まで包んでいた手を放すと、彼は可笑しそうな笑みを少しばかり苦笑に変えて、散々な話をしようか、と切り出した。
「…もう、隠したって今更は今更なんだ…。この際…むしろ、いい機会かもしれない」
君と同じでぼろぼろだった、とある学者崩れの話だ、と、小首を傾げて、少し疲れたような眼差しをすると、彼は彼女の前に腰を下ろした。
<19>
時と場所をはくるりと変わって、王都の高い時計台は、夜の十一時と十五分を差していた。
オペラ座三階、喜劇と悲劇の間の休憩時間、お手洗いに立ったら、カーテンを一枚仲良く被ったダリル家縁、と名乗る怪しい三人の女に取り囲まれ、自身の友人へと脱力の念を送ったレティシアは、国立図書館ご一行様席へと舞い戻っていた。
青い顔で俯く彼女の横、彼女としては耳障りな館長たちの盛り上がる話し声が聴こえているが、その煩さをとがめる気にもならず、レティシアは件の荷物、品の良い造りの金色の小箱を見るとも無し、ドレスの膝の上に上げて見。
「せんぱぁーい。…それなんですかー?」
甘ったるい声で後ろから覆いかぶさってくる後輩、第二図書館所属職員メルティシアに、疲れた様な面持ちで視線をやった。
若草色のドレスに、大きく左右で巻いた、やや薄く赤みがかった黒髪を揺らして、お化粧が崩れてますよ? と、可愛く指を立てている後輩の忠告にお座成りに返し、重い口を開く。
「ソフィーに、って・・・・・・・・・仲良くカーテン被った怪しい女三人組に渡されたのよ…。
ダリル家縁って言ってたけど。
って、テェレル館長? グルラドルン文化庁長官? って、え、ラナシルア館長まで…何一斉に笑ってんの?」
話し始めた途端、隣であれだけやかましく話していた館長たちの声が止まった。所か、急に館長たち、正確には二人の館長と、文化庁長官が口許を押さえて肩を揺らしている。
その一人、テェレルと向き合う形で座っていた薄い茶髪の老人、国立図書館第六館長、ラナシルア・ド・パートマンドは、落ち着いた焦げ茶のタキシードを僅か崩した格好で、彼女に視線をやって説明を試みた。
「だ、だりる家ゆか、ゆかり…ぷっ! い、否、否、なになに、恒例なのだよ…か、仮面を被ってたりな、着ぐるみだったりな、…共通点は三人の女性、ということなんだが。
くくっそうか…今年はカーテン…」
何が可笑しいものか、息も絶え絶えの笑いから言葉を紡ぎ、次いで少しばかり懐かしそうな顔で空を見る。
反対に、ツボに入ったか、収まりがつかない文化庁長官は、誰がどう見ても馬鹿笑いをしていた。
「あ、あは! ははははは! か、カーテン?! かーて、ぶっ!
だ、だめ! ぼくもうだめ!! ちょ、ちょ、っと抜ける」
どうも本当に収まらなくなったらしい、周りの視線を受けて、グルラドルンは濃い緑色のタキシード胸元に付けられた文化庁長官のバッジ、その銀の飾ひもを揺らして席を立ち、レティシアの上司、テェレル第二館長も、馬鹿笑いはしていないものの、明らかに可笑しそうに、その巨体を僅か揺らして、二人に比べるとやや上品に笑っている。
「相変わらずだよねぇダリル家縁の人…。そうーか今年はカーテンねぇ…レパートリー困ってる感じだよねぇ」
何のレパートリーだ、と、呆れて更に化粧の崩れた顔で見つめるレティシアを無視。残った館長二人は内輪話だろう、彼女と、後輩のメルティシアが怪訝そうな顔をする中で盛り上がっている。
「いやいやいや…なかなか…。
俺はきっと何かを被った男性二名もその内出没すると踏んでるんだがね…?」
第六図書館館長のバッジをつけたラナシルアの意地の悪そうな顔に、テェレルは軽く手を振って。
「えー? ティーチャー・ラナシルア流石にそれは…」
二人の可笑しな雰囲気を壊したのは、ラナシルアの後ろに立った、第六図書館職員、ウィルバード・ド・トーティスだった。
その手には、レティシアが受け取った小箱とよく似た、銀色のそれが握られている。
「ラナシルア館長。すんませんけど、どんちょうかぶった怪しい二人組みの男から、ダリル嬢に預かり物預かったんですが…。
残念な事に自分、暫く休んじゃうんで、代わりに・・・・・・? …て、え? 何か悪い事言いましたっけ? 」
ラナシルアの肩と、大柄なテェレルの肩が同時に揺れた事に動揺した彼は、あきれ果てているレティシアと、困ったように首を傾げるその後輩を見やったが、首を振られてきょとん、とされるのみ。
そんな部下の心情などやはり構わず、ラナシルアはつっかえひっかえ何とか言葉を搾り出した。
「…ど、んちょう…?」
答えるテェレルも可笑しさに顔は呆けているものの、肩は揺れている。
「どんちょうって、あれ?」
返すラナシルアの声は、年の甲か、落ち着きを取り戻していた。
「あれですなぁ、緞帳…遂にですかな?」
ラナシルアに比べれば若い、ケルッツアと同期のテェレルは、しかし時間差で。
「遂に? あ、だめだボクも抜けたい…ちょっと、これは…うぷ、ブッ! くくくくくくッ!」
馬鹿笑いをかみ殺し、グルラドルンの抜けた方向へと立ち上がり、会場を後にする。
その巨体を見るともなし見やったレティシアは、その金の長髪、結い上げたそれを幾筋か乱していた。
困ったウィルバードは、館長が当てにならないと察したか、第二館長の消えて行った扉を睨みつけているレティシアの方へと向き直り、次いで。
「お疲れ様です…トーティス先輩」
精一杯厳しそうな顔を作るメルティシアに右肩を叩かれ。
「トーティス先輩…。あの子…ダリル嬢には、私が届けますから…。
まあ、心中お察し致しますわ…」
沈痛な面持ちのレティシアに左肩を叩かれ、その手から、銀色の小箱を抜き取られた。
自分の横に居る二人は、実は国立図書館第二図書館所属職員の中では、一、二位を争う美貌と華の持ち主、とここでウィルバードの男心がくすぐられる。
「・・・・・・・・・まあ、悪い気はしないよね」
本当はここにダリル嬢でも居ると、三人揃って結構なハーレムになるんだけど、と心の内で呟き、何とも立ち直り早く理由はどうであれ両手に花、とばかり、彼女たちの腰に手を回して勢いよく己の側へと引き寄せた。
が。
「何処を触っておられますのかしらぁ?」
左肩に抓るを通り越してもぎ取る様な力を加えられ。
「そーですよ? ウィルバード先輩のエッチ!」
右肩に加えられた、全体重を乗っけられたかのような圧力に苦しげな息を漏らし。
「ごめ! も! しな!」
結果、肩を痛めたとか、何とか。
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