その4 ゴン
我が家には一匹のゴールデンレトリーバーがいた。
名前はゴン。子犬の時にやたらと物に頭をごんごんぶつけるので、そういう名前が付いた。
初めて犬を飼うという事もあり、当時の私もなかなか目を輝かせてゴンを可愛がった。ぬいぐるみのごとく抱きしめ、くしゃくしゃと撫でまくり、正直鬱陶しがられても仕方がないくらいだったが、人懐っこいゴンはそれを受け入れてくれていた。
だが、言ってもゴールデンレトリーバーだ。犬の成長速度は早い。半年くらいすると、ゴンの身丈は当時小学1年生だった私の背丈ほどにもなり、可愛いというよりやや怖さのほうが勝っていた。如何せん、飛び掛かられたら自分の目鼻の先に大型犬の顔があるわけだ。怖くないわけがない。
その上、ゴンは甘やかしすぎた結果、わがままな性格になっていた。
餌を寄こせ、散歩しろ、おやつ寄こせ。そのたびにワンワン吠えて、ひどいときには噛みつかん勢いであった。現にうちの身内は全員、ゴンに嚙みつかれて流血沙汰になっている。それだけゴンは、食に関しては貪欲であった。
このままではさすがに躾がなっていない、と判断した両親は、ゴンを連れて犬の訓練所に向かった。犬の訓練所からはシェパードだかなんだかわからないが、とにかく大型犬が頑強なゲージに入れられており、よそ者である私たちを見つけると、我がテリトリーに入るなと言わんばかりにわんわん吠えまくった。その様相はさしずめ、囚人たちが牢からがなり立てているかのごとくであった。
訓練所に着くと、開口一番トレーナーの方から言われたのが、「ゴン君、ずいぶん甘やかされてますねぇ」だった。口調は穏やかだが、目は笑っていなかった。犬を育てるとはそういう事だ。甘やかされまくった犬に愛想を尽かした飼い主が保健所に飼い犬を連れて行き処分させるというペット問題は当時から話題になっており、ひとつの命を預かることの大切さを遠回しにトレーナーの方から責められた。
それでもトレーニングに来るだけまだマシだという事で、ゴンはしばらくその訓練所にお世話になることになった。
訓練所で訓練を受けたゴンの成長具合は見事なもので、半年も経てば飼い主である私たち家族に無用に吠えたり噛みつこうという事はなくなった。狂犬呼ばわりされていたあの時の犬と同じとは到底思えなかったくらいの激変ぶりだった。ひょっとして、訓練所に預けている間に替え玉を用意したのではないかと、疑ったりもしたものだ。
しかし、ゴンは間違いなくゴンだった。私たちの顔を覚えていたのだから間違いない。いったい、犬の記憶力とはどれほどのものなのだろうか。三日受けた恩は忘れない、というが、それが事実だとすればゴンはその時、大なり小なり私たちに恩を感じてくれていたという事なのだろうか。
恩を感じると言えば、ゴンは子犬の時、ジステンバーという病にかかっていた。それも、飼った矢先にペット病院に罹ってわかったことである。
ジステンパーは致死率が非常に高い犬の病であり、ペットショップにいたときから罹っていたものだと思われた。
当然、両親はその時のペットショップに猛抗議した。するとペットショップの店員は「すぐに他の犬と取り替えますので」と頭を下げたが、その時に父は言った。
「取り替えて済む問題じゃない! 私たちはこの子の面倒をみると決めたんだ。他の犬と取り替えて済む問題じゃない! ゴンじゃないと駄目なんだ!」
それは今にして思うと、ゴンを一匹の犬としてではなく、ひとりの家族として迎え入れようと決めたからこその言葉だったのだろう。
結局、ジステンパーにかかる医療費をペットショップが請負う事となり、仮にゴンが治療の結果死んだとしても、私たちはペットショップを責めるようなことはしないという形で落ち着いた。
その時、ゴンが一緒にいた。
犬が人語をすべて理解しているとは思っていない。せいぜいわかるといえば、ご飯か散歩か自分の名前くらいだろう。
それでも、心はあると思っている。言葉は通じなくとも、心の通じ合いはきっとあっただろう。ペットを飼ってきてはいる中で、私はそう思うのだ。
ゴンは自分を死地から救い出してくれた両親に恩を感じていたのだろうか。だから顔を覚えてくれていたのだろうか。今となっては定かではない。
ともあれ、訓練所から我が家に戻ったゴンは見間違えるほどに賢くなった。
待てができる。お座りができる。お手ができる。おかわりができる。主要な躾がすべてできた。子供である私にも吠えなくなった。おかげで散歩も一緒に行けるようになった。万々歳である。あのトレーナーの方には本当にお世話になり、感謝しかない。
そんな順風満帆だった我が家庭に、とある異変が訪れる。――私だ。
大学1年生の頃、私はうつ病となった。
うつ病となった私は大学に通えなくなり、しばらく休学と復学を繰り返していた。
私は家から出ようにも出られず、死んだマグロのようにリビングで寝転がる日々だった。何かしようにもできず、自分自身に嫌気が差す日々だ。それはきっと、今でも変わらない。時折自分が情けなくて憎くて仕方がなくなるのだから。
そんな大学時代の休学していた時期に、ゴンはいた。齢にして十歳を過ぎていた。犬の十歳と言えば立派な老犬である。若い頃は外の裏庭で飼っていたが、老犬になると外にずっといる体力はもうありはせず、屋内で飼われるようになった。
何もできずリビングで横になっていると、ゴンはよぼよぼと歩いてきて寝ている私の背中にピッタリとくっついて同じように眠るのだ。横になった伸びたゴンは私の背くらいあり、一匹の犬というよりかはひとりの人間が背中越しにいるようだった。私が寝ている間、ゴンは背中合わせになって眠り、私が起きると、ゴンは元の自分の寝床に戻って行った。
私が読書をしている時は、気がつけば隣で丸まって眠っており、私が「散歩に行く?」と訊けば、ゴンが尻尾を振って後ろをついてきた。老犬になったゴンは白内障が進み、目がほとんど見えなくなっていたはずだが、それでもついてきてくれた。私も、ゴンがものにぶつからないように、扉の角などは手で塞いで直撃しないようにしてあげていた。
リビングで家族が机を囲って団らんしているときも、ゴンは自分も仲間だと言わんばかりに私たちのそばに寄ってきて、自分の存在をアピールしていた。
「こいつは自分を犬とは思っていないな」
父親は笑ってそう言ったが、きっとゴンもそうだったのだろう。
そんなある日、ゴンに癌が見つかったことが定期検査でわかった。手術をすれば取れるだろうが、老犬であることを考えると体力的に厳しいとのことだった。
確率は五分五分だと言われた。このままだと間違いなく死ぬが、手術すれば助かる。私たちは後者の賭けに出た。
手術は成功した。ゴンは老いた体をよぼよぼとよぼつかせながらも、私たちの姿を見ると尻尾を振って手術室から出てきてくれた。
それからもゴンは、手術などまるでなかったかのように平穏な日々を過ごしていた。私はうつ病ではあったが、ゴンの普段から変わらないマイペースさに、どこか救われていたような気がする。私が落ち込んでいるときはさりげなく傍に寄りかかってき、寝ているときは近く寄ってきてともに眠る。ちょっとした弟のような存在だったのかもしれない。
それは私が体調を崩し、幾度目かの休学に差し掛かるときだった。
ゴンの様子がおかしい。気づいたのは私だった。
舌が紫色になり、呼吸が乱れて動こうとしないのだ。ただ事ではないと思い、私は親にメールをした。その時は夕方で、両親ともに仕事から上がってくる時間帯だった。
親から「急いで帰るからそれまで面倒をみていて!」と返信をもらい、私はゴンの様子を見守った。
しかし、私は直感で気づいていたのだろう。これはもう助からないと。
死――私の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。浮かぶと同時に怖くなり、足が震えた。
やがて私は怖くなり、あろうことか当時の私は自室に逃げようとした。
二階へと階段を上ろうとすると、その足が止まった。
走馬灯のように甦るのは、ゴンとの思い出だった。
私がうつ病に罹り、家に籠りっぱなしの私の傍に、彼は常に傍にいてくれた。
言葉はなかった。だけど態度で示してくれていた。犬は三日受けた恩は忘れないという。私が彼から受けた恩は三日どころの話ではない。それなのに見捨てるつもりなのか……。
そう思うと、自室へ逃げようとする私の足は止まり、ゴンがいるリビングへと向かっていた。
親が帰ってくるまで時間がまだかかると思った私は、せめて帰ってきたときに車に運べるようにとゴンを抱きかかえて玄関まで向かった。
それからしばらくして、母親が戻ってきた。母親と一緒にゴンを車に乗せると、急いで動物病院へと向かった。
あらかじめ動物病院には連絡を入れていたので、担当の先生がすぐに駆け付け、ゴンは手術室へと運ばれた。私と母親も同席した。
「……ありがとうございます」
手術室に入って一時間程だっただろうか。母親が先生にそう頭を下げた。
十三歳。ゴンは亡くなった。
母親が泣く横で、私はじっとゴンの遺体を見つめていた。私の傍で寝ていた、あの時と同じ姿だった。
家にゴンの遺体が戻ると、両親も姉も泣いていた。家族が泣いている最中、私は涙が一滴も流れなかった。どうしてだろうと、私にもわからなかった。
次の日、ゴンの葬式が行われた。火葬され、ペットの共同墓地に遺灰は行くらしかった。
葬式が終わった後、家族はゴンの話をしていた。昔はああだったよね、と話に花を咲かせていた。
その日の夜。私は風呂から上がったときのこと。
ふと、無意識に体が避けていた。
そこにはなにもない。
なにもなくなった場所。
何かがあった場所。
昨日まで居た場所。
ゴンが寝床にしていた場所。
私は無意識のうちに、彼が寝ているのではないかと思って、足をのけていた。
だけど、そこにはもういない。
その時になって、私は無意識のうちに涙を流していた。
今まで泣けなかったのは、現実を受け入れられていなかっただけだ。
たとえ遺体でも、そこにいただけでゴンは生きていると、死んではいないと認めていなかったのだ。
1日遅れで私は泣いた。うつ病と宣告されても平坦だった心が揺らいだ。
ゴンの死に際、私は逃げようとした。
だけど、逃げなくてよかった。
あの時逃げていたら、私は一生の禍根を自分自身に向けていただろう。自分で自分を見捨てていただろう。
あの時、逃げようとした思いを踏みとどまらせたのはゴンとの思い出だった。最期の最期まで、ゴンは私のことを見捨てなかった。
お盆が近い。
今度、ゴンのお墓参りにでも行こうかと思っている。
あの子が好きだった、ジャーキーを供え物に持って行くために。
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