祓魔編―火傷遠矢の非日常―

第23話 そうだろう分からないだろうオレは君が分からないということを分かっていたのだよふはははは。

 四月二十六日、僕が彼らに出会ってから十一日目の今日、ひとつの明瞭な異変と、ひとつの不明瞭な異変が僕の頭をもたげた。


「……なあ兄分、こういうことってこれまでにあったのか?」

「いいや、あいつとは一年の仲なわけだが……うん、こんなことは初めてだな」


 その日の夕方、僕らは本日発生した異変、とりわけ明瞭な異変の方について議論する。僕らの、主に僕と兄分の冷やかし担当である水無月夏希が、いつまで経っても姿を見せないのだ。といっても、人が予定をすっぽかす理由なんてそう多くはない。自然と想起されるであろう二、三の理由の中から、僕は一番当たり障りのない理由について述べた。


「風邪でもひいたのかな」

「ガハハッ! あいつに限ってそりゃねえぜ」


 兄分は僕の言葉を冗談か何かと捉えたらしい。そんな変なことを言ったつもりはなかったが。


「どうして言い切れるんだよ」

「弟、俺はな。生まれてこのかた、一度も風邪をひいたことがない。これは俺という人間が証明しているこの世の唯一の真理なのさ。それ即ち、『バカは風邪をひかない』」

「……つまりは夏希がバカだってこと?」


 悩んだ結果、兄分が無意識に自分がバカだということを認めていることには触れないでおいた。そこに触れると兄分がどういう反応をするのかには興味があったが、如何せん兄分とは話がとっちらかりやすい。


「そ、ゆ、こ、と。…………おい、さては信じてねえな? まあてめえもいずれ分かるさ。あいつはあれで結構ぬけてるっていうか」

「そうは思えないけどなあ」


 ともかく兄分は、彼女の体調面での欠席を否定したいようだった。兄分は彼女の所在について、一切の妥協をしないようだ。僕らがいくら考えても無意味だし、そもそも彼女がここに来る義務は全くないんだけれど。一度入ってしまった兄分の探偵モードに、被疑者の事情はお構いなしらしい。兄分は自らに希望を抱かせているその瞳を、普段の三倍は輝かせ、嬉々として語り始めた。いつもよりツートーンは低く、澄ました声で。


「第一に、彼女の体調不良は考えられないだろうね。それは、彼女がバカだから、ということから自明なのさ。第二に、他の用事ができた……なんてこともありえないだろう。なぜだか分かるかね、少年」


 兄分はその小さな拳から人差し指をピンと繰り出して僕に向けた。……ああ、少年とは僕のことなのか。


「えーっと、分かりませ――」

「――そうだろう分からないだろうオレは君が分からないということを分かっていたのだよふはははは」


 すごい早口ですごい失礼なことを言われた気がするが、むしろ微笑ましく感じさせる兄分のお得な性格について、僕は羨望しか感じない。


「それはね、彼女は急用ができるほど忙しい人間ではないからだよ。彼女はね、端的に言うと暇人なのさ。彼女の人生において、僕らにお忍びでメイド喫茶に足繁く通うこと以上のビッグイベントは、胸躍る出来事は存在しないのさ。そんな物寂しい凄みを備えている彼女に、急用なんてものが舞い込む道理はないということだ。全ては自明なのだよ、じ、め、い。自明の理なのだよふはははは! じめーい! じめいじめーい!」


 自明という言葉に強い挑発性を見出したらしい兄分は、新しい言葉を覚えたばかりの子供のように喚き散らしていた。これが、普段夏希に好き勝手言われている兄分の精一杯の反抗なのかもしれないと思うと、なんともやるせない気持ちになった。


 兄分の飛躍的な論理はさておき、彼女にとってメイド喫茶通いは、毎日のように会っている兄分にさえも打ち明けたくない重大な秘密のようだ。彼女のあの日の行動は、自殺未遂を起こした人間を励ますためなら自分の秘密をさらけ出すことも厭わないという優しさに起因するらしかった。


 ……どうも彼女には、その素性を知るたびに心が揺さぶられるような、そんな感覚を覚えてしまう。言動は腹が立って仕方ないのに、根本の筋はしっかり通しているところが、そしてそんな彼女に二度も助けられていることが、僕をなんとも言えなくさせるのだった。


 無性に腹が立つ。なのに感謝しかできない。そんな前代未聞の板挟みを食らっている僕を目撃した彼女は……やっぱりほくそ笑むだろうから遠慮なく腹を立てるべきかもしれない。


 しかしそんな彼女の努力も虚しく、兄分にメイド喫茶通いという恥ずかしい秘密をまるまる看破されているあたりを考慮すると、僕は秋空のように気分が晴れるのだった(秋空を見たことはまだないけれど)。一応、我ながら卑屈な人間だとは思っている。


「それで、結局のところ夏希がこない理由はなんだと思うんだ?」

「ああ、それはズバリだね……って、そんなこと俺に分かるわけねえだろ。バカかてめえ」

「えぇ……」


 呆然と僕を見つめる兄分。どうやら兄分は人よりも熱しやすく、また冷めやすい性質らしい。そして一切の悪気なく人を傷つけることに関して、兄分の右に出る者はいないようだった。驚くほど唐突に裏切られた。もうそこに、探偵ごっこに興じて目を輝かせていた兄分の姿はない。


「まあ、俺が推理するまでもなく、そいつは答えを知っているだろうけどな。さっきからえらくだんまりしているそいつはよ」


 そう言って、兄分はもうひとつの不明瞭な異変へと目を向けた。視線の先にはかれこれ一時間は無言で文庫本をめくっている木之本さんがいる。

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