第22話 僕の罪とはそういうものなのだ。

 朝と昼のちょうど境に目を覚ます。朝食をとり、ゆったりとした足取りで森を抜けるとおおよそ正午になっているので、そのまま僕は地下鉄秋羅原駅の改札を通る。天井に吊り下げられたややホコリっぽい電光掲示板がの二文字を示すと、椅子に腰かけていた僕はおもむろに立ち上がる。満員電車というわけではないが、乗客はまばらながら散見されるので、僕はお口チャックという言葉を頭の中で黙読する。……まあ、人が居ないからといって一人でぺらぺらと喋るわけではないけれど。社会規範っていうかマナーっていうか騎士道精神っていうかレディーファーストっていうか、はたまた空気を読むっていうことなのか、それをなんというのかは分からないけれど、そういうことも僕が最近学んだことの一つだ。


 そんなこんなで起きてからおよそ三時間、僕はようやく食堂に辿り着く。正午を過ぎたあたりに着くので、ランチタイムを迎えた食堂の熱気には圧倒される。僕は若干の人酔いを感じながら決まってある人を探すのだが、よほど目敏いめざといのか、たいてい彼の方が先に僕を見つけてしまう。なんでも食堂の平和を守るため、常時入口を見張っているらしい。


「おーい、こっちこっちー」


しゃがれた声がする方に視線をやると、人混みの中でとりわけ低い金髪頭が目に入る。彼は決まって屈託のない笑顔を覗かせるので、僕も自然と口元を緩めてしまう。


「おはよう、兄分」

「もう昼過ぎだっつーの」


 軽口を叩かれながら兄分が占拠していたテーブル席に腰かけ、そのまま二人で夕方までああでもないこうでもないと話をする。内容は様々だが、兄分の友達の話が多いかもしれない。なにしろ兄分は友達が多い。先日食堂の厨房を貸してくれた女性の話とか、どこぞのコワモテ外国人の話とか、実に沢山の人の話をする。もちろん、僕が知っている彼女たちの話も。


 彼女たちは食堂の学生がおおかた散り散りになった夕方頃にやってくる。僕たちは終日まで食堂でたむろするので、はたから見たら結構タチの悪い集団なのだが、それでいて真面目に大学の講義を受けているのは一人だけなのだからなおさら悪質である。もちろん僕は大学の講義を理解する頭脳は持ち合わせていないし、大きな声では言えないが、それはおそらく兄分も同じであろう。夏希に至っては木之本さんの迎えの為に来ているらしい。本当はもっとメイドカフェに長居したいそうな。そんな自堕落な僕たちとは正反対に、木之本さんは朝から夕方まで毎日講義を受けている。彼女は三年前から大学に通っているそうだが、三年前というと僕らはまだ十六か十七のはずだから一般に大学に行く年齢ではない。


「いわゆる飛び級ってヤツだよ、えっへん」

「違うわ。入場料さえ払えば誰だって通える。ここはそういう大学だもの」

「でも講義分かんなきゃ意味ないじゃん。それどころか教授のミスを指摘しちゃったりするんだから、生意気ちゃんだよねー」


 夏希がさも自分のことのように誇らしげに言ったが、僕は正直なところ、飛び級という言葉の意味がよく分からなかった。しかし知的な木之本さんのことだから、そして木之本さんが大好きな夏希が誇らしげに言うことだから、きっと名誉なことなのだろうと思った。


 そんなこんなで日が暮れると、僕らは小さな嘘に騙されることとなる。それはさようならとか、またあしたとか、最近はそういう意味なのだと思うようになった。挨拶ってそういうものだ。どうでもいい、些細な言葉。でも僕らが明日も友達同士であることを証明するような、そんな言葉。この大っぴらな嘘が、僕らの挨拶。


 そんな日々が十日ほど続いた。僕が初めて外出したあの日から、地下鉄で自殺未遂をしたあの日から、魔術師とかいう胡散臭い呼称の女子大生(仮)に助けられたあの日から、およそ十日。


 新生活が板についたようで、僕はひとまずホッとしていた。でも、それだけじゃない。心の隅っこで暗い蟲がうごめいているような、そんな気分をずっと抱えている。どうして? 僕はみんなと一緒に居れるだけで、それだけでいいのに。……いや違う、むしろ逆だ。僕はみんなと友達であることをかたっている自分が大嫌いなんだ。何も出来ないくせに、何も知らないくせに、みんなと肩を並べている自分が許せないんだ。


 あの日、僕は気付いてしまった。僕はみんながいないと文字通り死んでしまう。それほどに、無知は罪なのだと知った。自分は無知という名の罪人なのだと知った。


 この十日で、僕は知ってしまった。みんなはどこまでも良い奴だということを。みんなはとんだ地雷原である僕を助けてくれるほどに良い奴で、僕を仲間として受け入れてくれるほどに良い奴だ。


 だからこそ許せないのだ。みんなに付け入って、己の罪を認めない自分が。醜悪な罪人が、みんなの優しさを搾取することが。もし僕がこの感情を打ち明けたら、きっとみんなは僕の窮愁きゅうしゅうを否定してくれるだろう。みんなは僕の悩みを解決してくれるだろう。だからこそ許せないのだ。僕の罪とは、そういうものなのだ。


 かといって忽然こつぜんと姿を消すことほど恩知らずなこともない。いったいどうすれば恩を返せるのか検討は付いていないけれど、みんなと居ても返すべき恩を増やしてしまうだけかもしれないけれど、僕はみんなと離れることはできないし、僕自身そうしたくない。僕は、みんなと一緒に居たい。


 そんなポエミーなことばかり考えていると、また夏希に冷やかされてしまうだろうな。結局、どれだけ悩んでも答えがでることはなかった。というより、それどころじゃなくなった。答えが出るより先に、この世界が再び僕らに牙を向いた。


 その日、僕の掴みかけた新たな日常が、再び非日常へと姿を変えた。

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