祓魔編―火傷遠矢の日常―
第20話 まあとりあえず、恥ずかしいから服を着て欲しいかなあ
開いた口が塞がらないとはこのことである。僕は膝からガクッと崩れ落ち、ただ彼女を見つめて口をあんぐりすることしかできない。言うまでもなく、パンツ一丁である。
「て、てめえどうしたんだよその頭。なんつーか、シャバいっつーか……」
「う、うるせえ! てめえの方こそシャベえよ! シャバ僧だよ!」
泡を吹いていたヤンキーたちがいつのまにか目を覚ましていた。彼らの信念であったはずのリーゼントは、大爆発を起こしてパーマ頭になっており、それを互いに顔面蒼白といった風に見合わせている。彼らにとってリーゼントは命の次に大切なものだったのかもしれない。
「いくらオールドタイプって言っても、今どきシャバ僧なんて誰も知らないと思うよ?」
彼女は何らかの超常的能力で丸焼きにした大男達を、ケラケラと笑いながら言う。人生で一番幸せそうな顔をして発する嫌味を制する気力なんて、僕にはなかった。
「……女、てめえどうやってオトシマエつけてくれるんだ?」
男の一人が彼女の胸元に掴みかかった。それでも彼女のほくそ笑むような表情は変わらない。遠目から見てもわかるほど、実に憎たらしい顔をしている。ほんと楽しそうだ。
どうせ大事には至らないのだろう。たとえ彼女が傷ついても、それはあんなに腹が立つ顔芸を披露した彼女の自業自得というものだ。僕はそんな無責任な考えで始終を傍観していたが、僕にできることなんて何もなかったのも事実だった。そしてその予感が外れることは、残念ながらなかった。
「おい待てよ。てめえも見ただろ? こいつ魔術師だぜ。それに、か、雷を……」
男の一人が仲裁する。
「そ、そんなわけねえだろうが。ありえねえんだよ! 雷なんてありえねえ!」
「うっせえ、そんなの分かってるよ!」
ひとまず彼女に暴力が向くことはないらしい。臆病風に吹かれた男たちがやいやいと口論している。
雷なんてありえない、その言葉に僕は少なからず違和感を覚えた。彼らは、彼女が超常的能力、すなわちこのファンタジー世界に本当に実存するらしい魔術という代物を扱える人間だということを認めておきながら、雷を扱えるということは頑なに認めようとしない。僕にはその二つに、大きな差異はない気がするが。
「と、とにかく逃げるしかあるめえよ」
「そうだ」
「それしかねえべ」
彼らの口論に結論がでたらしい。今は亡きリーゼントその一の逃げるという提案に、同じく元リーゼントその二、元リーゼントその三が同意した。
「おい女! ……わ、悪かったな。今日のことはお互い忘れようや」
元リーゼントその四がおそるおそる言った。
「おいガキ! 覚えてろ、ぜってえボコボコにしてやっかんな、リーゼントの恨みは怖ぇんだからな!」
元リーゼントその五が僕を指さして力強く言った。そして、彼らは波のように逃げ去った。覚えてろ、という言葉には主に勧善懲悪物の物語において聞き馴染みがあった。バイキンがそのようなことをよく言っていた気がする。彼らは悪を懲らしめられる側、すなわち小心者の流儀というものを心得ているらしい。パンツ土下座も叶わず夏希に助けられた僕と彼らのどちらが真の小心者であろうか。程度の低さを競っていてはキリがないらしいことを学び、僕はまたひとつ賢く、そして虚しくなった。
「じゃああねぇぇぇ」
彼女は一目散に逃げ出す男達に両手を振って別れを告げた。と思いきや、「雑魚はお呼びじゃねえんだよ! ボケェ!」なんて意味不明な怒号をあげるので、男達はもう涙もちょちょぎれながら蜘蛛の子散らすように逃走した。
「あ、あの……ありがとう」
彼女のヒステリックに僕まで彼女への警戒心が芽生えたが、とりあえずお礼を言っておく。
しかしどういう訳か、そんな僕を見て彼女は口を噤むのだった。
「……いくら相手が遠矢くんだからって、他人に感謝されて嫌気がするほど捻くれてるつもりはないけれど、うーん。まあとりあえず、恥ずかしいから服を着てほしいかなあ」
「ぅあ、ご、ごめん!」
気まずそうに僕の股間を指さして言った。慌てて服を着る。
「うん、それじゃあ、帰ろっか。無知でカッコ悪くて雑草な遠矢くん?」
乱れた胸元を正しながら言う彼女。すっかり夜を受け入れた秋羅原の煌びやかな電飾が、薄暗い路地裏を、彼女の背中までを痛いほど燦々と照らしている。
「……なんで、そんなにカッコいいんだよ」
こんな言葉を聞かれてしまうと彼女は間違いなく有頂天になるし、それから少し照れくさいから、僕は彼女に聞こえないように、でも彼女の目を見つめて言った。
……困ったな。これでは本当に困る。僕は密かに、彼女と肩を並べる自分を夢想していたというのに。彼女はどこまでもカッコよくて、勇敢で、嫌味ばかり言うくせに実は優しくて。そのうえ魔術師とかいうよく分からないトンデモ人間だったなんて、もう追いつきようがないじゃないか。対する僕は無知で、カッコ悪くて、雑草だ。たった一日で、僕は二度も助けられた。これじゃあ釣り合いが合わない。月とすっぽん、月と雑草である。せめて雑草の中でもススキのような品性があれば月との見栄えも良いというものだが、果たしてその実態は半泣きパンツ土下座男である。この四ヶ月、僕は爺ちゃんと幸のために死に物狂いで努力したっていうのに、僕の努力の要因が、僕の生きる意味がまた一つ増えてしまった。
彼女の目を見て、僕は言う。恥ずかしいけれど、今度はよく聞こえるように。最大限の感謝を込めて。
「夏希、僕は君の隣に立てるだろうか」
「うえへへ、遠矢くんってさ、けっこうイタいこと言っちゃうタイプだよね」
「あと、パンイチ男には隣に立ってほしくない」なんて最もすぎるツッコミをしながら、彼女は笑った。その笑顔は、月にも劣らない。
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