①震霆編―火傷遠矢の非日常―

第16話 誓約、震霆

 なんの因果か、事件の舞台となったのはまたしても秋羅原駅だった。彼女は電車を降りるや否やトイレに行きたいと言ったので、僕は改札を通って、駅前広場で待った。もうすっかり日も暮れており、既に当番が変わったのか、エキインさんとの四度目の邂逅とはならなかった。


「兄ちゃん、ちょっといいかな」


 ドスの効いた声に慌てて振り返ると、そこには筋骨隆々とした男が五人並んでいた。ドデカいサングラスをかけて耳にはピアスホールが四つ。頭には巨大なリーゼントが乗っかっている。


噂には聞いたことがある。もちろん幸からの情報だが。僕は全てを理解し、己の不幸を嘆いた。……なんで外出初日にヤンキーに絡まれるんだよ。


「兄ちゃん、駅でごっつ可愛い子連れてたやんか」


 一歩、また一歩と詰め寄ってくる。


 ああ、そうか。この人たちはたまたま面がよかった彼女の、面の部分しか見ていないのか。


「ワイら、カノジョに一目惚れしちゃったんやわ」


遠慮なく僕の目の前まで顔を近付けてくる。可能ならば教えてあげたい。彼女は一目惚れする価値があるほどできた人間じゃないことを。


「いやホンマ、これ一生のお願いなんやけどな」


暗い路地裏に連れられてゆく。そこで僕はようやく気付いた。といっても、遅すぎたが。彼らにとって彼女の性格など微塵も興味がなかったのだ。


「カノジョ、今晩だけワイらに貸してくれへんかいな?」


 僕の頭に浮かんだ選択肢は三つだった。一つは財布ごと有り金すべてを差し出すこと。二つは服を脱ぎ去り、パンツ一丁で土下座すること。三つは有り金すべてを差し出し、かつパンツ一丁で土下座すること。僕は三つ目を選んだ。もちろん、彼らに恐れをなしてのことである。


 こうなってからの僕の行動は恐ろしく速い。僕は一呼吸の間に右の尻ポケットから財布を取りだし、そっと地面に置いた。次に、下着以外の衣類を高速で脱ぎ、キチンと畳み、片膝をついた。


 この時点で人間の尊厳という尊厳はあらかた破壊されたようなものである。が、しかし、パンツ土下座という屈辱的行為だけは、聴き馴染みのある声によって制された。


「やや、これはまたオールドタイプな方たちですなあ」


 狭い路地に彼女の声が響き、五つのリーゼントがクルリと半回転する。秋羅原の電飾が彼女の背後から眩い光を当てている。逆光となって彼女の表情は窺い知れないが、しかしその完璧なプロポーションはむしろ際立っていた。……というか大袈裟に腰をねじらせている。なにあの人、すごいセクシーポーズ決めてくるんだけど。とりあえず叫んだ。


「な、夏希ッ! 来ちゃダメだ! 僕がパンツ土下座で君を守るから!」

「うえへへ、今の遠矢くん、最高にカッコ悪いよ」


 彼女は腹を抱えてゲラゲラと笑っている。彼女を常識人と思ったことは一度もなかったが、今回ばかりは本当に正気の沙汰じゃないと思った。


 相手は大男で、しかも五人。僕を助けに来てくれたのは嬉しいが、彼女の細い腕で闘えるわけがない。


 まるでマトモな神経をしていない。それはきっと、泣く子も黙る恐怖の五つ子リーゼントも同じ気持ちだったはずだ。


「……なあ嬢ちゃん、これはホンマのホンマに素直な疑問なんやけどな、嬢ちゃんはワイらが恐くないんか?」

「うるせーよ焼きそばパン一号! 私は遠矢くんと話しているんだよ?」


 …………は? 思わず自分の耳を疑ってしまう。彼女はあろうことか、彼らのヤンキー精神を象徴しているのであろう巨大リーゼントを焼きそばパンと切って捨てたのだ。


 一触即発の彼らを辛うじて制御していたか細い糸は、そこでぷっつりと切れてしまったらしい。


 彼らは彼女めがけて歩きだした。女性側の同意なんて、もはや必要ない。そういう、人間のクズの顔をして。


「ば、バカッ! 人のこと散々バカバカ言ってたくせに、おまえこそ本物のバカヤローだ!」

「心配しなくても大丈夫だよ、こういう展開になるのは見え見えだったもん」


 ――――一歩、二歩、三歩。のろのろとリーゼント頭が遠のいてゆく。


「遠矢くん、いいもの見せてあげる。君がまだ見たことのない、理性がぶっ飛んじゃうようなちょー気持ちいいヤツを」


 ――――動けない。今すぐ彼女の元へ走らなきゃならないのに、足が震えて動けない。


「あ、でも怒らないでね。別に隠してたわけじゃなかったの。ただ私としては、これ見よがしに披露するのもなんだかなあって気持ちがありまして。ほら、私って奥ゆかしい女の子だから」


 ――――四歩、五歩、六歩。……やめろ。


「まあ、いずれ話すことだったんだし、どうせなら盛大にパーッと、でしょ?」


 ――――動けない? ふざけるな。足が使えないなら這って進めばいい。


「なんかもうティピカルだよね。それっぽーいチンピラが、それっぽーい美少女に襲いかかってどうのこうのーみたいな。お家芸っていうか、セオリーっていうか、ほんと何世紀前から同じことやってんだよ、ってツッコミたくなっちゃうっていうか」


 ――――七歩、八歩、九歩。五つの右手が拳を握る。……やめろ、やめろやめろやめろ。


「でも結局、それがお約束なんだろうね。予想を裏切らない代わりに期待も裏切らない、そういう王道展開。えへへ、私ったらまるでヒロインだね」


 ――――「やっちまえええ!」


 野太い怒号とともに男たちが一斉に殴りかかる。僕は腹がよじ切れるまで叫んだ。…………………………………………やめろ。


「そんじゃいっくよー! 水無月夏希のぉ、超必殺ぅぅ! せーのぉぉぉっ!」


彼女の頬に拳が炸裂する、――――そのとき。

















「誓約、――――――――震霆しんていッッ!」


 けたたましい爆発音と共に、僕は光の世界に包まれた。


 五感も思考も全てを奪い去る強烈な閃光。


 激しい耳鳴りと光の森にたじろぎ、平衡感覚を失う。


 ……十数秒は経っただろうか、いや、もっと長かったかもしれない。その間僕は眩しくて目を閉じていたのか、それとも気絶していたのかは分からない。


 だけど。


「これ、は……」


 パチパチと鳴る火花の中で僕は目を覚ました。彼女に襲いかかったはずの五人の男たちは、彼らの信念の象徴であるリーゼントがすっかり焼けて、真っ黒のアフロ男になって倒れていた。辺りには微かに薫る焦げた匂い。


 これは。


 これは一体。


「夏希……お、まえは……」


 路地一帯に立ち込める白煙の向こうに彼女は居た。僕を指差すように右腕を伸ばし、人差し指と中指を突き出して銃の形にしている。やがて煙が消え、満身創痍の僕の生存を確認した彼女は、今度は両腕を折りこみ、顔の前でピースサインをした。


「ということで……私の正体は最強最カワの電撃少女なのでした! ぴーすぴーす!」

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