第15話 オレはずっとここに居るからよ。
無礼を承知で頭を下げる。僕にとって幻の辻斬り丼は、今回の旅の目的そのものだ。その丼を食べることは僕の旅が完遂するということであり、それは爺ちゃんと幸にとって、なにより僕自身にとって大きな意義がある。二人に証明したいのだ。僕はこの世界を、我が身一つで渡り歩いて行けるということを。
「おう、任せろや! ……と言いたいところだけどよ、弟。今日は帰りな。ほら」
「え?」
兄分が両手の人さし指をちょこんと右に折って、くいっ、くいっ、とそちらを見やるよう催促した。
「あ……」
遠くに見える小窓の奥は、深い群青に染まっていた。食堂にいたはずの大勢の学生も、すっかりまばらになっている。
「急ぐ必要はねえぜ、明日でも明後日でも、てめえの好きなときに来いや。オレはずっとここに居るからよ」
兄分はニシシッと白い歯を見せて僕の頭をぽんぽんした。僕は頭を撫でられるという行為が、こんなにも心がぽかぽかするのかと驚いた。そして、まるで本当のお兄ちゃんみたいだと思った。
「土方君、本当に毎日ここに居るものね。その暇人ぶりは私が保証するわ」
分かりやすい嫌味を言う木之本さん。構ってくれというアピールに見えないでもない。
「ああん、てめえさっきから生意気言いやがって、いいぜ。ちょっと表で楽しいことしようや」
「私、手加減できない性質だと何度も言っているはずよ。確かに私も一度は救急車に運ばれたわけだけれど、その後私は土方くんに七回襲われて、七回救急車を手配している。土方くんの心肺を蘇生するためのね」
「んぎぎ、たしかに病院送りはもう嫌だ……」
な、七回救急車って……。
「私、病院の方にこっぴどく叱られたもの。救急車をタクシー代わりに使う迷惑な人間もいるが、あんたのところは患者がちゃんと死にかけているからもっと迷惑だ、とね」
そんな救急救命士の涙なしには語れないエピソードにあてられた僕は、ついありのままの言葉を口にした。
「この二人、ひょっとして仲が良すぎるんじゃ……」
「あっ、遠矢くんもそう思う? えへへ、梓、翔と出会ってからめちゃくちゃ明るくなったんだから。そこだけはあのバカに感謝しなきゃなんだよね」
夏希はさぞ感慨深そうに、しかし無駄口も忘れずに付け加えた。あまり湿っぽい空気を好まないのだろう。実に彼女らしい言葉だと僕は思う。
「じゃ、そろそろ帰ろっか。秋羅原までは送っていくよ。私、まだ遠矢くんのこと信用できないし」
「……ありがとう、正直また一人で電車に乗ることを考えるとゾッとするよ」
「あはは、君はようやく私の必要性に気付いたみたいだね」
横でガミガミ口論している二人に別れを告げて、僕たちは食堂を後にした。こうして僕の激動の一日が、人生初めてのお出かけがようやく終わりを告げた……はずだった。
――――僕は今日という日を一生忘れることは無いと断言できるのだが、それがどうしてかって聞かれたら、僕の初めてのお出かけの日だったからでも、あわや電車に轢かれて死んでいたからでも、まして、たまたま面がいいだけの性悪女とメイド喫茶に行ったからでもなく、この後の出来事について語るだろう。僕が密かに夢想していた彼女らとの胸躍るキャンパスライフは、僕らの日常は、一筋の閃光がなにもかも連れ去ってしまった。僕はどこまでも無知だったのだ。身をもって思い知ることになる。
この世界は、僕が想定していたよりも遥かにファンタジーで、運命的で、そして残酷だということを。
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