第10話 水無月夏希、夏希でいいよ。
「
「そうか、夏希か。僕は
「別に感謝されるために助けたんじゃないよ。なんか怒るのも面倒くさくなってきたし」
あれ、怒ってないのか? 不気味な笑みこそやめてくれたものの、今度はあからさまに不機嫌な顔でイジイジと手遊びしている。僕はそんな彼女に、表情豊かな人だな、とか他人事のように思った。
「マジメな話さ、電車の乗り方も分からないくせに一丁前に一人で外出した遠矢くんと、それをあっさり許可した、育てのお爺さんって人がムカツクんだよ。君は、自分がどれだけ不安定な人間なのか分かっていない」
「そ、それはその通りかもしれないけれど、爺ちゃんのことまで悪く言うなよ」
「だから爺ちゃん爺ちゃんって言ってるあいだは、見えている世界が狭すぎるんだって。そうだなあ、例えば君、信号渡ったことある?」
「し、信号くらい渡れるよ! 青が進めで赤が止まれ、だろ?」
僕は躍起になって答えた。たしかに渡ったことはなかったが。
「そーですねー。信号が青色になれば、の話ですけどねー」
「え、ど、どゆこと?」
「ふーんだ、教えてあげませーん。私が教えなかったことで、遠矢くんは交通事故でも起こして死んじゃえばいいと思いまーす」
ムッと頬を膨らませていじけている。怒ってないとは言ったけど、拗ねてはいるじゃないか。そう指摘したらまたマシンガンを食らいそうなので、僕はすんでのところで自重した。
「そういえば君、どこに行こうとしてたの? わざわざ電車に乗って遠出しなくてもいいじゃん」
「……大学。西部大学に行きたかったんだ。都市伝説みたいな話だから、真に受けた自分が今では恥ずかしいんだけど、超非常勤婆ちゃんっていう――――」
「――――ちょ、ちょっと待って。君、ソイツに会いに行こうとしてたの?」
僕の言葉を遮った彼女は、なぜか吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。
「そ、そうだよ。悪いかよ」
「じゃあ君は、つまるところソイツに会おうとして死にかけたってこと?」
「そういうことになる、けど」
彼女はついに耐えきれなくなったようで、途端に腹を抱えて笑い始めた。机をバンバン叩くものだから、他の客がチラチラとこちらを見ている。
「ああダメだ、お腹痛いよお。遠矢くん面白すぎ」
「なんだよ、別にいいだろ⁉」
「そっかあ、超非常勤婆ちゃんかあ、懐かしいなあ。えへへ、なんだか怒ってたのもどっかいっちゃったよ」
懐かしい? 超非常勤婆ちゃんを知っているのか? そう尋ねようとしたが、僕の言葉を遮るように、彼女が意外なことを口にした。
「うん、分かった。そういうことなら、この夏希さんが君を大学まで連れていってあげよう。きっと面白いことが起こる、と思うよ」
「えっ、連れていくって、夏希が、僕を? そんなのだめだよ。これ以上君に迷惑かけられない」
「良いったら良いんだよ、私も大学に行くつもりだったんだし。それに、実際今の君を野放しにしたら、本当に事故って死んじゃいそうだしね。そしたら君を轢いちゃった人が不憫でしょ?」
僕を心配してくれるわけではないのかと思ったが、付き添ってくれるならこんなに心強いこともない。僕は一言お礼を述べて、手付かずになっていた萌え萌えおむらいすを口に掻き込んだ。
「あ、そうだ。そんなにお礼したいならオムライス奢ってよ。ね、いいよね? 私、命の恩人なんだもんね?」
「萌え萌えおむらいす二つで三千円、か」
それが高いのか安いのか、僕に判断できるはずもなかった。
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