第9話 えっ、ばりぞーごん……?

長い長い話し合い、もとい追及を終え、僕は知った。電車はフツーに停車してくれることに。


そして、彼女は知った。電車がフツーに停車することを知らない大馬鹿野郎がいることに。


「……十年間昏睡状態で目が覚めたら記憶喪失、ですか。……恩着せがましいようですけど、私が止めてなかったらあなた、死んでましたからね? 私、めちゃくちゃ怖かったですからね⁉ 」

「わ、分かってます! その件はホント、助かりました!」


怒るのも最もである。彼女は身を呈して僕を救ってくれたばかりか、彼女なりに僕を気遣ってくれたっていうのに、僕はそれに気付いてすらいなかったんだから。


「さて、と」


 彼女はふう、と一息ついて僕にほほえみかけた。でもメイドさんと飛び跳ねていたときの笑顔とは、なんだか種類が違う気がする。張り付いたような笑顔、と言えばいいのだろうか。


「じゃあ誤解も解けたところで、私は君にどんな罵詈雑言を吐いたら気が収まるのか、これを考えなくちゃだね」

「えっ、ばりぞーごん……?」


 僕はそこでようやく気付いたのだ。彼女は一番怒らせてはいけないタイプの人間だということに。


「あれ、口答えするのかな? 先に言っておくけれど、もし私がものすごーくイライラして、ものすごーく口が悪くなっちゃっても、ぜんぶ君のせいなんだからね? そこんところ、履き違えないでね?」

「滅相もないです……」


 依然として、彼女は張り付いた笑顔をみせている。僕の気分はさながら猛禽類もうきんるいに狙われるハムスターだった。


「あ、もしかして君、記憶喪失ってことは、年齢分からないの?」

「えっと自分では覚えてないですけど、医者によると十九らしいです」


 なるべく無難に、彼女の気に触れないように、頭の中はそれでいっぱいだ。彼女の口から銃弾が飛び出すことだけは避けたい。


「なんだ、私と一緒じゃん。じゃあ初めからタメでおっけーだったのね」

「そ、そのようです」

「だーかーらー、君もタメで話すんだよ。じゃないと私がいじめてるみたいになっちゃうじゃない。分かった? 分かんないとぶん殴るよ?」


 ――――マシンガン炸裂で、それもクリティカルヒットである。実力行使も辞さない姿勢に、全身の毛穴が震え上がるのを感じる。僕はもうほとんど白旗をあげかけていた。しかし僕の内に眠る小動物的本能が、無様に足掻くことを強制する。


「わ、分かりま……分かった。えっと、そういえば君の名前」

水無月夏希みなづきなつき、夏希でいいよ」


艶やかな黒髪を弄りながら凛として言った。それが、彼女の名前。僕が一生忘れることのない人の名前だった。

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