第7話 電車さんはがたんごとんだよー
二次元少女、電脳少女、メイド少女。全ての萌えが生まれる町、
布一面にでかでかと少女がプリントされた少女Tシャツを着る男性、リュックサックに親指サイズの少女をぶら下げる男性、親指サイズの少女をぶら下げているリュックサックにすら、これまた少女が描かれている男性、町行く人々は、みな己の萌えを抱えて歩いているように見えた。
ここはありとあらゆる美少女と、ありとあらゆる紳士たちの町である。
秋羅原から西部大学へは地下鉄で五分ほどだ。地下鉄秋羅原駅に到着した僕は、忌々しき漆黒の門、カイサツとやらに何度か通せんぼされつつ、エキインさんとやらに怪訝そうな顔でキップを手渡されつつ、なんとかホームまで辿り着いた。
「ピーンポーンパーンポーン、電車が参ります。危険ですから――――」
アナウンスと共に、暗闇から獣の唸り声が轟いた。頭上の電光掲示板には到着時刻の横に小さく、快速の文字。
…………あれ、快速、って何だっけ?
――――その時だった。
ギイヤアアアアアアアア! !
大地が二つに割れたかのような凄まじい轟音。鉄の壁がものすごいスピードで左から右に流れていく。十秒ほど続いた衝撃映像に、僕は目を白黒させることしかできなかった。
「これが、電車……」
吐息に埋もれるような声でぽつりと呟いた。……全身がじんわりと汗ばむのを感じる。
な、なんだよこれ⁉ 電車がこんなに恐ろしいものなんて聞いてないぞ!
「ピーンポーンパーンポーン、電車が参ります。危険ですから――――」
や、やばい。もう次の電車が来るのか。頭上の電光掲示板には小さく新快速と書いてある。…………だから新快速って何なんだよ⁉
新快速の下には普通と書いてあるが…………くそっ、しかし普通の意味が分からない。あんな危険な鉄塊におよそ普通と呼べるような特徴は一つとしてないのは確かだった。
ダメだ、考えていてもキリがない。電車一つ乗れなくてどうするんだ。うじうじ考えるヤツは男じゃないというのは爺ちゃんの言葉である。得体の知れない恐怖に飛び込んでこそ、一人前の男というものだろう。
暗闇に包まれたトンネルに、ぼんやりと光が瞬く。次第に大きくなる獣の咆哮に物怖じしそうになりながら、僕は走りだす。
時は満ちたり。い、行くぞ……! 三、二、一、――――ゼロッ!
「だめぇぇぇぇぇ!」
ドンッッ!
――――全身に衝撃が走る。あれ、どうなったんだ、僕は。電車、乗れたのかな。目の前は真っ暗だ。ビビって気絶でもしちゃったのかな。
左腕にズキズキとした痛みと、それから腰にずっしりとした重みを感じながら、僕はゆっくりとまぶたを開いた。
「だめ、ですからっ! とにかく早まらないで、落ち着いて、落ち着いてくださいっ……!」
この人、僕に話しかけているんだろうけど、いくらなんでも距離が近いんじゃないだろうか。もちろん、他人との距離感を気にした経験などないので分からないが、鼻先に彼女の荒い息がかかって、なんともこそばゆい。
「え、えっと……ごめんなさい?」
オーガットの人間は困ったときにはとりあえずテキトーに謝まって誤魔化すものだというのは爺ちゃんの言葉である。緊急時にこそ冷静なマニュアル対応が肝要なのだ。
「ごめんなさいじゃないですよ! 話なら私が全部聞きますから、どうか、どうか考え直してください!」
なぜか怒られてしまった。謝罪をして怒られるのは生まれて初めてだ。謝罪を封じられてしまっては、僕は一体どうすれば良いのだろう。
「あれ?」
彼女の顔のすぐ後ろに、さっきの電光掲示板が見える。ということは、僕は電車に乗れなかったのか? というより、なぜ頭上にあるはずの電光掲示板が正面に見えるんだろう? それに、彼女は僕の両耳のすぐ横に両手をついている。
「……なんで僕、床に押し倒されてるんですか?」
僕がそう言うと、彼女は漫画のように耳までかあっと赤くなり、慌てて僕から離れた。ずっしりとした腰の重みから開放される。
ゆっくりと体を起こし、僕はようやく自分の状況を理解した。
僕はどうやら電車に乗り損ねたらしい。年頃の男女がホコリっぽい地下鉄の中で、そして立派な公共の場で床に揉み合いになっているのだから、周囲の人々はみな僕らを静観するのに必死だった。彼女はというと、やっぱり真っ赤な顔をそのままに、あたふたおどおどという具合である。
「と、とりあえず場所を変えましょう! ここに長居するのは良くないです! あなたにとっても……私にとっても!」
彼女は強引に僕の腕を掴み、ほとんど走って地上に出た。僕はもうされるがままだ。
カイサツを走り幅跳びの要領で飛び越えた僕らは、先程のエキインさんに鬼の形相で追いかけられながら、そのまま駅前の路地を百メートルほどダッシュした。ある小さな飲食店の前で急ブレーキをかけた彼女。まるで軽犯罪を目撃したような表情で追ってきていたエキインさんは、どうやら振り切ったようである。
「は、はあ、はあ、ふぅぅぅぅーー」
息も絶え絶え、という風に両膝に手をつく彼女。毛先から首筋へと丸っこい汗が伝っている。
「だ、大丈夫ですか?」
「あなたに、心配、されるの、は、なんだか複雑、だけど、ひぃぃふぅぅぅ……。もう大丈夫です。とりあえず入りましょ。赤の他人だからこそ話せることもありますよ。きっと」
「え、はあ」
綺麗な生返事を返した僕のことをスルーして、彼女は薄桃色の扉に手をかけた。傍の看板には、これでもかというほどの丸文字で「めいどみとりぃ♡」と書かれている。
…………ここ、メイド喫茶ってヤツじゃないのか?
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