最終話 シャルルの夢

 どれくらいの時間が経ったのか分からない。いつの間にか寝てしまっていた。部屋のドアを叩く音で目が醒めたようだ。シャルルは返事をしたが、寝起きも影響していつになく力無い声になる。


「具合でも悪いのかい?」


「……ううん」


「さっきね、街の人があなたに会いに来たわ。馬車の事故があったんだってね。大丈夫、男の人は助かったそうよ」


 シャルルは応えない。

 セシリーは持ってきたトレイを床に置く。


「食事ここに置いておくから、ちゃんと食べるのよ」


 足音が遠くなり、消える。


「……ごめんなさい」


 シャルルは呟く。

 誰に対して謝ったのかは、自分でもわからなかった。

 一階におりたセシリーはガインに向かって首を振る。椅子に座って神への祈りを捧げてからどちらともなく食事に手をつけはじめる。


 久しぶりの静かな食卓に、二人は寂しさを感じた。

 シャルルは二階に閉じこもったまま、翌日の朝になるまで一階に下りてくることはなかった。


 怒声が響く。

 ガインが引き抜いた鉄板のパンはどれも黒焦げになっていた。


「す、すみません」


「これで今日二度目だぞ! 真面目にやる気はあるのか! 体調が悪いんなら部屋で休んでろ!」


「もうしません、続けさせてください!」と、シャルルは、ガインの迫力に負けじと大声を出すが、その表情からは疲れがうかがえた。


「次やったら、承知しねえぞ!」


「はい!」


「パン焼きはオレがやるから、お前は鉄板を運べ!」


 売り物にならなくなったパンをまとめて捨てる。

 新しい鉄板を用意してガインに手渡し、代わりに湯気の立った熱い鉄板を受け取るシャルル。


「気をつけろよ!」


 シャルルは、その言葉に振り向く。


「バカ、前見て歩け!」


 と叫んだ時には遅かった。

 バランスを崩したシャルルの手から鉄板が離れる。鉄板は、一回転してシャルルの上に──金属がぶつかり合う激しい音が鼓膜を叩く。シャルルが目を開けると、ガインの横顔があった。


「怪我はないか」という言葉にシャルルはうなづく。


「そうか」


 額に大粒の汗を浮かべながら微笑むガイン。

 中空には煙が充満している。


「……親方?」


 しゅうしゅうという微かな音とともに、服と人の肉が焼けるイヤな臭いが混じり合い漂う。ガインは背中に大やけどを負っていた。

 背中の皮膚が何箇所も捲れあがり、血が流れ、ところどころ水ぶくれのようになっていた。


「親方っ!」


 ガインは苦笑いする。


「ごめんなさい、私のせいで……」


「……なに……いってんだ……オレの注意不足……だろ」


 ガインは口を動かすたびに顔をしかめる。背中はもう真っ赤だった。床には血溜りができている。と、その時、


「すごい音がしたけど、いったいどうしたの?」


 セシリーは倒れているガインを見るなり顔色を変える。


「……すまねえが……医者を呼んで……くれないか」


 駆け出そうとしたセシリーの腕を掴み、


「待って!」


 シャルルは目を閉じる。

 心の中で、ほんとにいいの?という声がする。

 死んでしまったバートの生まれた街で、大好きなパンの職人になる。パン嫌いのバートが美味しいって言ってくれるようなパンを作る。


 残された最後の夢。

 目標を失った私の、生きる希望。

 魔法の存在を許さない街、アンジーク。

 正体がバレて。

 みんなを騙していたのがバレて。

 街を追われて、あなたは何を支えに生きていくの?


 シャルルはその自問には答えず、

 代わりに、

「ごめんなさい」と言った。


 シャルルの手のひらが光を帯びはじめる。


「二度と魔法を使うつもりはなかったから……」


 焼けただれた背中に手を当てると、みるみるうちにやけどの傷が癒えていく。


「少し我慢して下さい。すぐに治ります」


 シャルルの言ったとおり、すぐに血は止まり、傷口も癒え、背中には古ぼけた地図のような痕が微かに残っただけだった。

 ガインもセシリーも驚いてはいたが、なにかを口にすることはなかった。


「……あとは、半日くらい安静にしていれば大丈夫」


 ガインは体を起こす。


「まだ、立ち上がっちゃ、」


「シャルル、悪いが二階にいっててくれ」


 うなづく以外の選択を許さない、強い口調。


「セシリーと話がしたい」


 シャルルは黙って自分の部屋へと向かった。後悔はしていなかったが、ガインからありがとうの一言もないのは悲しかった。



**********



「あの人が呼んでるわ。降りてきて頂戴」


 シャルルとセシリーは、言葉を交わすことなく一階へ下りる。外からは昨日から降り続いている雨音が聞こえた。


「なにか俺たちに言いたいことは?」


 ガインは言った。


「……明日……ここを出て行きます」


「なぜ隠していた?」


 シャルルはしばらく黙っていたが『嫌なら話さなくていい』とガインが言うと、ゆっくりと話しをはじめた。


 魔法士の学院で魔法を身に付けたこと。

 宮廷魔法士としての道が決まっていた自分の前に現れた剣士のこと。

 数々の冒険をしたこと。

 新しく加わった二人の仲間のこと。

 楽しいこと、苦しいこと、悲しいこと。街の暮らしでは味わえなかった、生の実感──シャルルは話しつづけた。


 ガインとセシリーは、お世辞にも上手いとはいえないシャルルの話を、時には相槌を打ち、頷きながら聞いてくれた。

 話が最後に近づいていくと、二人の表情は真剣になっていった。

 仲間の死。

 自らを襲う死の恐怖。

 己の無力さ。バートの死。

 一番好きだった人の最期の言葉が聞けなかった事への苦悩。


 そして、冒険の終わり──


 話が終わると、ありがとうと言って、ガインは優しく微笑んだ。なぜか、セシリーは目に涙を溜めていた。


「さて、もう寝るか」


「……でも、」


「嫌なのか?」


 首を横に振るシャルル。


「看板娘がいなくなるとウチの店も困る。せめてお前が一人前のパン職人になるまで、ここにいてくれないか?」


 ガインはシャルルの小さな頭の上に手をのせ、


「夢なんだろ? アイツが食べてくれるような美味しいパンを作るのが」


「……え」


「難しいわよ。あの子、この人に似て頑固者だから。でも、シャルルの作ったパンなら、きっと美味しいって言ってくれるわ」


「……う、嘘よ……ね」


 この二人がバートの両親だなんて。


「アイツのパン嫌いは俺のせいなんだ。俺がまだ見習いで、不味いパンばかり作ってた頃にアイツに試食させてたから」


「……わ、私……バートを……死な……」


「お前のせいじゃないさ」


 セシリーもあなたのせいじゃないわと言ってシャルルを抱きしめる。

 シャルルは泣いた。止めどなく涙が溢れてきて、悲しみが溢れ出してきて、どうしようもなかった。


「あまり泣くなよ、アイツが怒るからな。自分が命を懸けて守った女の子を泣かせるんじゃない、ってな」


 ガインの気遣いの言葉も今のシャルルには逆効果だった。

 シャルルは泣きつづけた。どれだけ泣いていたのかわからない。いつの間にか眠ってしまっていた。

 翌日からまた忙しい毎日がはじまった。



『──バートへ

 遅れてごめんなさい。前回の続きです。私はまたここで働く事になりました。親方は相変わらず厳しいけど、セシリーさんと一緒に最近は食事の時にバートの話をしてくれます。それを聞くのが私の一番の楽しみです。昨日、凄く嬉しい出来事がありました。親方が、私の作ったパンを『おいしい』と言ってくれたんです。私は一人前になったら、この街を出るつもりです。バートのようなパン嫌いに、私の作るパンを食べさせてあげたいから。それと──』


 部屋の扉が叩かれ、ペンが止まる。


「まだ起きているのか? 明日も早いからもう寝たほうがいい」


 ガインがドア越しに言う。


「はい。すぐ寝ます」


「眠れないのなら、温かいミルクでも……」


 その言葉にシャルルは笑みを浮かべ、いいえと返事を返した。


 しばらくしてから、再び、ペンを走らせる。


『バート、あなたへの手紙を書くのは、今日で最後にします』


 シャルルは、書いた手紙をきれいに折り畳み、ランタンに放り込んだ。手紙は、瞬く間に燃えて、灰になり、消える。


 薄明かりの中で、シャルルは手紙に付け加えるように言った。

 さよなら、と。

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雲の上への手紙 白河マナ @n_tana

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