第35話 大好きなんです……!

 立花藍は、昔からあまり人付き合いの上手い人間ではなかった。

 学校には辛うじて通いつつも、自然と引きこもりがちになった日々。

 信頼する家族からも逃げるように、距離を取ってしまった。

 

 しかし、立花少年にとっては自分の殻に閉じこもったその暗闇も平穏ではない。

 

 日に日に降り積もるのは将来への不安。本当にこのままでいいのか? 自問自答は増えてゆく。


 ————このままでいいわけない。


 本当は友達が欲しい。

 女の子とだって話したい。

 カノジョだって出来たらと、切に願う。


 だから、高校からは違う自分になろうと決めた。


 そう、たとえばそれは、憧れの姉のように、姉と同じ学園に通って、その尊敬する背中を追いかけられたらと……。


 一念発起した、入学初日。


 少年は運命に出会う。


 それはいわゆる、一目惚れであり、初恋だった。


 その瞬間、やる気と勢いにだけは満ちていた彼の心は暴走することになる。


 スタートダッシュの電撃告白。


 そして……


『いいよ』


 想いは実った。


 初めてのカノジョ。

 天にも昇る心地とは、まさにこのこと。


 すぐさま有頂天になった。

 自分の人生はここから輝きだすのだ。

 

 しかし、始まりが早ければ、終わりも早かった。


『ごめんなさい。別れよ』


 急転直下。

 あの空の月へ手が届いていたのは、ほんの一瞬だ。


 不器用に発せられた言葉。

 だけどその言葉には彼女なりの葛藤が込められているようで、瞳の奥には何かが揺らめくように燃えていて、不安な胸を抱えるように両手はキツく結ばれていた。


 こんな結末になったのも仕方ない。


 お互いのことを知らないふたりでは会話がまったく弾まなかった。

 ふたりの距離はずっと、ふつうの友達以下。

 それでもきっと、やりようはあったのだろう。

 しかしコミュニケーショ能力に富まない少年では何をしてみようもない。


 恋人が何をすればいいのかなんて、よく分からない。

 恋人らしいことなんて、何一つできなかった。


 彼女の決断は早かった。

 それは、彼女なりの優しさだったのかもしれない。


 一方的な一目惚れでしかなかったこの関係そのものが、彼女の優しさによって成立していたのだから————。



 ◇◆◇



「それで、恋に現を抜かしている間に周りはグループを形成。結局は高校デビュー失敗。ボッチの出来上がりってわけか」

「はい……そんな感じです……」

「カノジョの方は大丈夫なのか?」

「彼女は可愛いし、人気者なので」

「ふーん」


 アホだな。バカだな。


 でも、嫌いじゃない!


「それで? どうなんだ?」

「え?」


 質問の意図が伝わらず、少年は顔を上げる。


「まだ、カノジョさんのことが好きなの〜? ってことだよ〜」


 姫咲が言葉足らずを補うように付け足す。

 

 ナイスフォロー。

 なんだこれ。熟年夫婦かもしれない。


「そ、それは……」

「好きだから、前を向けないんだよね〜?」

「…………はい。たぶん、そうなんだと思います」


 観念したように立花少年は頷く。


 要するに、未練だ。

 それがあるうちは、彼は次に進めない。


 友達を作ろうなどとは思えないのだろう。


「だって、一目惚れですよ。初恋ですよ。まだ、好きですよ。そうに決まってる。むしろ、気持ちはどんどん大きくなってるんです……大好きなんです……!」

 

 声を振り絞るように、少年は呻く。


 これは未練どころじゃないのかもしれない。

 薪がくべられたかのように、その想いは燃え盛っているのだ。


 思い返せば、彼らには決定的な仲違いがあったわけでもなかった。

 もしかしたら、復縁も可能なのかもしれない。


 出来ることなら協力してあげたい。

 生徒会役員として、先輩として、未来の兄として……!


 でも、そのためには話をもう少し深掘りする必要がある。


 ああ、嫌な予感しかしねぇ……。


「ねぇねぇ、その立花くんの好きな人ってもしかして〜、琥珀ちゃんかな〜?」


 あ。


「え……そ、そうですけど……なんで分かったんですか……?」

「えへへ〜なんとなく〜。女の勘かな〜」


 やっぱりぃ……。


 俺からすればもうとっくに予想はついていた。


 一年生の小悪魔である最愛奏をビッチ呼ばわり。

 そのくせ、姫咲にはデレデレしながらも心を揺らさない。

 姉はあの生徒会長、立花瑠璃先輩。


 そんなのもう、あとの候補は一人しかいない。


 一年生の、天使。


 ————オマエみたいなビッチより、ずっと清純で、美しくて、可愛くて、天使のような人だ!


 いやぁかろうじて当てはまるの、可愛い(顔が)くらいなものよ?


 そして琥珀、オマエ何やってんだ……。


 時期的には、琥珀の部屋で言い合いをした前後くらいだろうか。


 どうやら俺はこの高校生活、とことん幼馴染に振り回されるらしい。


 もう面倒だ。


 俺は少年の肩を両手で掴む。


「じゃあオマエ、歓迎会に参加しろ」

「え……? いや、だから僕はまだ……そんな気分じゃなくて……」

「だから、いつまでもそうしてるのか? 悶々としながら高校生活を終える気か?」

「それは……」

「歓迎会には猫村琥珀も参加する。うってつけの機会だろ? だからそこで、ケリを付けろ」


 勇気付けるように、少年の小さな身体を掴み、視線を合わせる。


「安心しろ。手痛い目にあったら一緒に悲しんでくれる友達がオマエにはもういる。オマエはもう一人じゃない。それだけは確約する」


 姫咲も賛同するように、気合を入れてガッツポーズを浮かべる。


 琥珀に泣かされるのは慣れてるからな。

 琥珀関連で悩みを抱える立花少年はすでに俺の立派な友人であり同志だ。


 少年は姫咲にも後押しされ、決意を固めたように表情を引き締める。


「……わ、わかりました。僕、やってみます。もう一度……!」

「ああ、それでいい」

 

 これで、先輩の意思とは少し違う気もするが目的達成。


 立花少年の歓迎会参加にはこぎつけた。


 琥珀の答えなんて俺にも到底予想がつかないが、もしもの時はせいぜい同情してやるとしよう。


 でも、もしもじゃない時……琥珀には正真正銘のカレシができるってことに……?


 想像できねえ……。


 少年に対するほんの少しの罪悪感と共に、複雑な気持ちが生まれた。



 ・


 ・


 ・



「あれ? あそこにいるのって……」


 生徒会室への帰り道。

 

 姫咲がとある生徒に気づいて呟く。


「ああ……あの子か」

「あの子も、だよね〜?」

「だな」

「ようし〜っ」


 姫咲はその生徒に向かって気合充分で突進していく。


 その生徒とは、以前俺たちの教室を訪れた黒髪の目隠しっ子ちゃんだ。


 一人でのっそりと廊下を歩いている。


 存在感が希薄で、姫咲が言ってくれなければ気づけなかっただろう。


 彼女もまた、先輩調べの歓迎会へ参加してほしい生徒の一人だ。


「あの〜、白兎柊翠しらとひすいちゃん、だよね〜?」

「え……はい……あなたは、この前の……」

「うん。姫咲萌香だよ〜」

「姫咲……先輩……」


 虚ろな様子で姫咲を見つめる白兎。


 よく見ると、その両手には以前と同じくお弁当箱が握られていた。

 おそらく、今日もシュンは捕まらなかったのだろう。未だに続けているとは、見上げた空井ガールだ。


 俺も彼女のことや、昼休みの行動についてシュンには尋ねたのだが、はぐらかされ続けている現状だ。


「せ、先日は、どうも、ご迷惑をおかけしました……」


 白兎は長い黒髪を揺らして、ぺこりと頭を下げる。


「い、いいよべつに〜。ね、天川くん?」

「お、おう。そうだな」


 姫咲が話を振ってくれたので、俺も会話に参加する。


 この子の相手、少し苦手なんだよなぁ。

 琥珀とは違うタイプで、どう接したらいいか分からない。


 しかしこれは良い機会だ。


「なぁえっと、白兎……でいいか?」

「はい……」

「じゃあ白兎、今度開かれる新入生歓迎会に参加してみないか?」

「新入生……歓迎会……?」

「すっごいんだよ〜! たくさん人が集まってね〜なんかこう〜、色々やるの〜! きっと楽しいし、お友達もできるよ〜!」

「そ、そう、なんですか……」


 白兎は考え込むように顎に手を当てて俯く。


「でも……ご、ごめんなさい。私、には、向いてないと思い、ますぅ……なので、ご、ごめんなさい……」


 またしても白兎は頭を下げる。


「で、でもね柊翠ちゃん————」

「姫咲」


 説得しようとした姫咲を止める。


 白兎の判断はおそらく間違っていない。

 性格上、自分が歓迎会に馴染めないであろうことを彼女は予見しているのだ。

 初めから諦めている。

 あるいは、そもそもの興味がないようにも見える。


 そういった人間に無理を言っても仕方がない。


 俺が知っている白兎翡翠のことといったら一つだ。


「白兎、歓迎会にはシュンも出席するよ」

「え……隼くん————空井先輩が?」

「ああ。まぁシュンは運営側だから仕事があるしあんま話せないかもだけど……チャンスはあるかもしれない」

「そう、ですか……」


 コクリと小さく頷くと、白兎は最後にもう一度頭を下げた。


「わざわざ教えていただき、ありがとうございます。歓迎会、か、考えておきます」

「すぐ告知が出回ると思うから、もしその気になったらそれを見てくれ」

「はい。ありがとう、ございます。……それでは、失礼します」


 のっそりと、白兎は踵を返して一年生教室の方へと歩いて行った。


 これで充分だろう。

 あまり押せ押せでも、きっと彼女は離れていってしまう。


 あとは彼女自身が決めることだ。


 さーて、今日はたくさんお仕事しちゃったぞ〜。成果も上々。


 昼休みが終わる前に急いで先輩に報告だ。


 褒めてもらわねば……!

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