第26話 私、実はですね……
「コラー! やめなさーい!」
「うわぁ!? なんだなんだ!?」
「子どもはもう帰る時間ですよー!」
空き地へ向かって飛び出した最愛は銀髪を振り乱して叫ぶ。
「帰らないと、お姉さんが食べちゃうぞー!」
いや、オマエが言うと洒落にならん。
オネショタ————いえ、なんでもありません。僕は軽く嗜む程度ですので。よく分かりません。
「ぎゃー!
「は、はぁぁぁ!? 白髪じゃありませんー! これは銀髪っていうんですー! 銀髪美少女ですよー!?」
「こっちくんなバケモンー! みんな逃げろー!!」
いじめっ子たちが一気に散開する。
「もおー! そんなこと言うとホントに食べちゃうぞー!」
「食われるー!?」
「これに懲りたらもう女の子をイジメちゃダメですからねー!」
散り散りになって叫びながら、いじめっ子たちは空き地を後にした。
「ぶふっ、おま、白髪……ババアって……ぶふふっ」
「せんぱい。さすがに怒ります」
「あ、はい。ごめんなさい」
怒られた。
最愛は般若のような顔で俺を睨んだかと思うと、一瞬にして笑顔を貼り付け、女の子に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「う、うん……ありがとう、綺麗なお姉ちゃん……」
「はい。どういたしまして。お嬢ちゃんはいい子ですね」
たぶんさっきのが怖かったから必死に言葉を選んだのではないかと。
優しく笑って、最愛は女の子の頭を撫でた。
「ふぇ……うえぇ……ぐすっ」
すると、緊張の糸が切れたように女の子の瞳から涙が溢れる。
「怖かった……怖かったよぉ……」
「そうですね。怖かったですね……でも、もう大丈夫です」
「お姉ちゃぁん……」
泣き出した女の子を、最愛は両手でしっかりと抱きしめた。
その表情は普段の小悪魔めいたものとはかけ離れていて、言うなればその容姿にマッチした天使の慈しみを感じる。
まるで、俺の知らないべつの人格にでもなったかのよう。
「小さな男の子はね、好きな女の子を虐めたくなるものなんです」
「え?」
「たとえばですね、そこのお兄ちゃんは私のことが大好きなので、いつもツレない態度をとります。時には私にとっても酷いことを言うのです」
おい……。
俺は小さな男の子でもなければオマエのことが好きでもないぞ。
やはりこいつは天使なんかじゃない。
「だから、さっきの子たちもきっと、あなたのことが好きなんだと思います」
「そうなの……? でも、怖いよぉ……」
「そうですね。怖いですね。だから……」
最愛はニコリと笑って、視線を合わせるように女の子の前髪を掻き分けた。
「だから、もっともっと、綺麗になりましょう」
「きれい……?」
はい、と最愛は笑顔で頷く。
「男の子たちが見惚れてしまうくらい可愛くなるのです。そうすればもう、虐められることはありません。むしろ男の子なんて奴隷です。何でも言うことを聞くお猿さんです。こき使ってやりましょう」
幼女に一体何を吹き込んでるんですかね。
でも俺に言えることは何もないし、何もしていないし、口挟むことも出来ない。
女の子のヒーローは最愛なのだ。
眺めるだけの俺はせめてもと、地面に落とされたままのソレを拾う。
「そう思えば、ちょっぴり意地悪されたってなんでもないことだと思えませんか? いつかは私たち女の子が上に立つんです。男の子は、可愛い女の子の言うことに逆らえないんですから。ね?」
「うん……うん……! わたしも、お姉ちゃんみたいに綺麗になれる?」
「はい……なれますよ、きっと。可愛いは、誰にでも作れるんです」
「うん!」
男としては少々ツッコミを入れたい話ではあったものの、女の子はようやく笑顔を見せた。
ここに未来の小悪魔ビッチ候補が生まれたのだ……うげえぇ……。
タイミングを見計らって、俺は拾ったその本を女の子に渡す。
「ほれ。忘れんなよ。大事なんだろ」
「あっ……わたしのっ……あ、ありがとう、おにいちゃん……♪」
「お、おう……」
渡した小さな本を抱いて、女の子は微笑む。
小悪魔なんてとんでもない。天使じゃん。
なんだ、この胸の高鳴りは……。
さてはお嬢さん、美人の素質がありますね?
お持ち帰りして、ビッチに染められる前に俺が育てたい。
やめてただの妄想だからおまわりさん呼ばないで。
「一人で帰れますか?」
「大丈夫だよ! すぐ近くだから!」
元気よく言うと、女の子は手を振りながら去っていく。
最愛もまた、女の子の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
俺はと言えば、どうにも今までのイメージとリンクしない彼女を見つめてしまっていた。
「……? どうかしましたか?」
久しぶりに視線が交差する。
「あー、なんか、意外だったなと」
「そうですね。私らしくないです」
「自分でもそう思っちゃいますか」
最愛は人気の失せた空き地を見つめながらふらふらと目的もなさそうに歩く。
それはまるで最愛自身も、自分の感情を探しているかのように見えた。
「……昔の私は、もしかしたら、ダメなことはダメだと。悪いことはしてはいけないと。そう言えるいい子だったのかも。まぁ、知りませんが」
「はぁ? 自分のことだろ。知らないって……」
「せーんぱい」
気づけば目の前にいた最愛が、冷たい人差し指で唇を塞ぐ
「これ以上は、ダメですよ?」
「なんで……」
「私のことが知りたいのなら、まずはもっともっと深い関係にならないと」
「はぁ……」
「では、行きましょうか」
最愛は空き地を出て、一人で先を歩き出す。
「おい、待てよ」
「ふふっ♪」
追いかけると直後、最愛はくるりと夕日を背に振り返る。
「ミステリアスな女の子に、男の子は惹かれちゃいますね?」
いや、知らねえよ……。
べつに俺は最愛奏という小悪魔ビッチに興味があるわけでもないし。
今までのことは全て、このセリフのための仕込みか?
しかし夕日に照らされる彼女が、絵画のように美しいことは確かであり、心とは裏腹に少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
空き地を出て、夕暮れの静かな通りを歩く。
「オマエ、案外小学校の先生とか向いてそうだなぁ」
先程の子どもへの対応を思い出しながら何気なく呟く。
「何人まで食べてオーケーですか?」
「ごめん、俺が軽率だった。今のはなかったことにしてくれ」
なにその小学校天国かよ。保健体育の英才教育すぎる。
俺は通いたいけど、将来子どもは絶対通わせたくない!
「やっぱよく分からんやつだ……」
「私だって分かりませーん」
天使に見えたり小悪魔に見えたり。まるでそれらが同居しているような。
まぁ、ベースは小悪魔ビッチだけど。
いや、もうやめよう。
こんなふうに考えている時点で、やつの手の内なのだ。
「でも……そうですね。少しだけ、私が知ってる私のことを教えましょう」
「え?」
最愛は一歩、こちらとの距離を詰める。
そして、耳元へそっと囁いた。
「私、実はですね……ちょっびり
「は…………?」
飛び退くように、俺は最愛から離れる。
「せんぱいが欲しいです」
夕日が紅く紅く煌めき、最愛の表情までをも染めてゆく。
輝く瞳が俺を射抜いて離さない。
「な、なんだよそれ。はぁ……?」
「だって、せんぱいの周りには可愛い子がたくさんいるじゃないですかぁ? 猫ちゃんに姫咲先輩に立花先輩。みんな、私ほどではありませんがとびきりの美少女です」
恍惚にも似た熱い吐息が漏れる。
その吐息が頬にかかるほどに、ゆっくりと近づいてくる。
揺れる銀髪。甘い香りが鼻を抜ける。
しなだれかかるように、両手が胸を撫でる。
「可愛いあの子の大好きなせんぱいを、もし、私が虜にしちゃったら。奪っちゃったら……そう思うと……興奮しません? 濡れてきません? ……ね、せんぱい♡」
「い、いや、知らねえよおまえの性癖とか……」
「それだけでもう……さいっこうに気持ちいいと思うのです♡」
ヘンタイ! ここにヘンタイがいます! 知ってたけど!
クソ……こいつのヘンタイ力は俺の一歩も二歩も先をいってやがるんだ……!
胸に置かれた両手に、ゆっくりと体重がかけられてゆく。
顔が、唇が、あと数センチまで近づいてきて……
「ちゅ」
右の頬に柔らかい感触。
「な、なななっ。おまえなぁ!」
「ふふ。慌てたせんぱい可愛い♪ 唇の方がよかったですか?」
「んなわねえだろ!?」
「せんぱいが望んでくれるなら、唇だっていつでも、いいんですよ? でも、もうむりやりはイヤなので……私からはここまで、です……♪」
きゃっ、と恥ずかしそうに笑う最愛。
その表情はなぜか今まで見せていた淫猥な、小悪魔なものとは違って見えて……まるで等身大の恋する乙女のような……。
「せんぱいの心は、好きは、私がいただいちゃいます」
最愛は顔を隠すように背を向けると、ちらっとこちらへ手を振る。
「ではでは。今度はきっと学校で、逢いましょう。せ〜んぱい♪」
◇◆◇
「あれ、鍵開いてる」
帰宅すると、家に人の気配を感じた。
「おかえり」
玄関で俺を迎えたのは、帰ったはずの幼馴染——猫村琥珀だ。
「お、おう……ただいま」
なぜに平然と人の家の留守に上がり込んでるんですかねぇ。
そもそもどうやって入りやがったこのノラネコめ。
「これ」
呟きと共に、ちりんと音が鳴る。
それは小さな鈴が付けられた、鍵だ。
うちの合鍵ぃ……。
幼馴染ってそういうのがデフォでしたっけ?
お母様、俺はもうこの家で安心して床に就ける気がしません。
「どこ行ってたの?」
「あーいや、その、コンビニ?」
咄嗟に誤魔化す。
「何も買わなかったの?」
「…………魔法のカードだよ。もう使って捨てたんだ言わせんな」
「ふーん。お目当てのキャラは出た?」
「なんも」
「ザマぁ」
「うっせ」
くすくす笑われた。
人の不幸を笑うな。ウソだからいいけど。
「ママさんたち、まだ帰らない?」
「さぁ、知らね」
「ウチでご飯食べなよ」
「は?」
「この前は帰っちゃったからって。お母さんがうるさい」
「なるほど。わかった。行くわ」
「うん。一緒に、食べよう?」
揃って家を出る。
「練習はまた今度だな」
「…………うん」
どんな心境の変化があったのか知らないが、隣りに並んだ琥珀との距離は、入学式の時より近くなっているように感じた。
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