第15話 そういうところ。
「それじゃあ今度こそ、カレシ役は引き受けてくれるということでいい?」
「ああ、はい。そのつもりというか断る理由はまったくないんですが……ひとつ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「どうして俺をカレシ役にしようと?」
最初から気になっていた疑問だ。
たとえ先輩に本物のカレシを作る気が現在ないのだとしても、カレシ役が俺である必要もない。
出会って間もない俺ではなく、2年以上を共にしているクラスメイトにでも頼むことが最初に思い浮かぶはずだ。
「もしかして先輩、俺のこと好きなんですか?」
「いいえ? それはないわね」
「ですよねー」
好きならそもそも、役でいる必要がない。それはわかっている。
分かっているけど、ちょっとへこむ。
そんな俺を見兼ねてか、先輩は年上っぽい柔らかな笑みを浮かべた。
「私ね、見ていたのよ。入学式の日」
「え?」
「あなたが猫村さんと一緒に代表挨拶の練習をしているところ」
「は、え? マジですかっ?」
「ええ。ごめんなさい、最初は笑っちゃったわ。必死なあなたが、ちょっぴりおかしくて」
先輩は入学式の校舎裏で見た光景を思い出すかのように忍び笑いを見せる。
「えーいや、あれはですね……! あ、こ、琥珀はべつに関係ないんですよ? あいつはそう、完璧な天使様なので。練習とか決して必要ないしあれは練習じゃないんですけど俺が無性に反復横跳びしたくなっちゃって!? その間暇だから琥珀は仕方なく原稿を読んでいたというかなんというか————え?」
そっと、俺の口を閉じさせるように唇へ指が当てられる。
それは暖かい温もりを感じる指だった。
「そういうところ」
「…………?」
「あなたが優しくていい子なことは、知っています。だから頼んでみようって、思いました」
「先……輩……」
不思議と心が満たされるようだった。
優しくていい子、と先輩に言われて、俺が琥珀にしてきたことは間違いではないのだと少しだけ思えた。
実は本当に嫌がられていて、鬱陶しがられているのではとも考えていたけれど、もしかしたら違うのかもしれない。
「でも……思ったよりえっちな子みたいだけどね」
「それはその、なんと言いますか…………褒めてます?」
「褒めてませんっ」
「あうちっ」
ぺしりと頭を叩かれた。
「まったくもうこの子は……」
ふぅっとため息をつく先輩。
「これで質問の答えにはなったかしら」
「あーはい。バッチリです」
「じゃあ今度こそ最後。もう一度聞くわね」
薄暗い路地裏で、ふたりきり。
「スズメくん」
先輩はスッと、こちらへ長くしなやかな手を伸ばす。
そして、言った。
「私のカレシ役になってみませんか?」
「俺で先輩の役に立てるのなら、喜んで」
即答して、俺はその手を取る。
「ありがとう」
こうして、一つ年上の先輩との奇妙な恋人契約は成立したのである。
あれ、そういえば具体的に俺がカレシとして何をすれば聞いてないな……。
まぁそれでもやっぱり断る理由などないのだが……ヤクザを率いるお母様と全面戦争すればいいのかな? 無理ぽ。
ということで、先輩からカレシとしての役割を聞いた。
それによれば……
「え? マジで? マジでデートすればいいだけ? 薙刀を振り回すお母様と戦わなくてもいいんですか?」
「ええ。定期的に私とどこかへお出かけして、その証拠として写真を撮らせてくれればいいわ。ひとまずはそれを見せれば納得してくれると思う」
なんだよこの美味しいだけのカレシ役。
世の中は意外と優しくできています。
「母とコロし合うのはその後よ」
「やっぱりそうなるの!?」
ヤクザを従えていることといい、どれだけ恐ろしいお母様なんだ……!
カレシが嘘だってバレたら俺、コロされたりしないよね……?
「だ、大丈夫なんですか、それ……!?」
「いつかはそうなるかも、という話よ。カレシ役がバレたり、カレシに会わせろ早く結婚しろって煩かったりね。でも大丈夫。スズメくんにこれ以上の迷惑をかける気はないから。そうなったらカレシ役は解消よ」
「そ、そう……っすか」
なんだか、それはそれで少し寂しいな。
「あ、先輩……?」
先輩の手がふわりと頭へ乗せられる。
「そんな顔しないで。本当に君は優しいわね。えっちだけど」
「ありがとうございます」
「今も胸を見てるの、女の子は分かるのよ?」
「ありがとうございます」
素晴らしいお胸に愛を込めて。
このまま一生頭をナデナデしてもらいたい。
そんなことを思った、その時だった。
「見つけましたぜお嬢ーー!」
ヤクザの群れが現れた!
「うおぉぉ!? で、でたー!?」
「なんだてめえガキコラ! 人様をまるで幽霊かなんかみたいに————!」
「先輩逃げましょう! 早く!」
俺は先輩の手を取り背後へ走るが……
「無駄、みたいね」
しかし回り込まれてしまった!
狭い路地裏の出入り口にヤクザのお兄さん方が並んでいた。
どうしよう捕まる!?
やっぱり薄い本か!? 薄い本展開なんだな!? そういうのは二次元だけでいいんだよチクショウ!
俺のカノジョ(偽)は死んでもやらねえぞ!?
慌てふためいていると、先輩が俺の一歩前へ出た。
「
「やっと観念してくれましたか。お嬢」
五十嵐と呼ばれた、左目に大きな爪痕のようなキズがある大男は安堵のため息を吐きながら前へ出てくる。
どうやらヤクザのリーダー格のようだ。
「ええ、もう逃げない。だってその必要はないもの」
「は? お嬢?」
先輩はヤクザの注目を集めるように、俺へ向けて手を広げる。
「この人は、私のカレシよ」
「はぁ? そんなの信じられるわけねえでしょうよ。あの男っ気のひとつもねえお嬢にカレシなんているわけがねえ」
「ええ、そうでしょうね。でも、彼が本当にカレシであるということを、私がこれから証明してあげる」
「お嬢……?」「先輩……?」
ヤクザだけでなく、俺も首を傾げるばかり。
そんな中で先輩だけは、会長として生徒の前に立つ時と同じように、堂々としていた。
「だから、分かったらすぐ、それを母に報告しなさい。いいわね?」
「はぁ……」
やはり意味が分からないと生返事の五十嵐だったが、それを無視して先輩は俺へと向き直る。
「ごめんね、スズメくん」
「え……?」
先輩の足が一歩、前へ。
頬が両手で温かく包まれる。
そして、少しだけ背伸びをして————
「…………ちゅ……」
大勢が見つめる中、俺の額へキスをした。
「……え…………?」
立花先輩と視線が交差して、同時にドキリと心臓が鳴り、身体が熱くなる。
これは、偽物の関係だ。
ふたりで役をこなすだけ。
先輩は都合の良いカレシ役を手に入れ、俺はちょっぴりの欲望を満たす。
もしかしたら、最愛がしていたこととこれは同じようなことなのかも……いや、それはさすがに違うな。
だって俺はこんなにも、これからの立花先輩との未来を思い描いている。
もしかしたらを願いつつ、これからもっと仲良くなれるであろうことを嬉しく思う。
人と人との関係は決して一時で消えてしまうものではなく、育んでゆくもの。
偽物が本物になることだって、世の中にはきっと、たくさんあるのだから。
・
・
・
「いや、あれで帰っちゃうんですね……ヤクザって……」
帰り道を先輩と2人で歩きながら何気なく呟く。
「びっくりした?」
「唇にチューくらいはしないと、信じてくれないんじゃないかと」
「そうね。ふつうならそうかも」
先輩は楽しそうに跳ねるような足取りで黒髪を揺らしながら俺の前へ出ると、どこか機嫌良さそうにニンマリと唇の端を吊り上げた。
「ウブなのよ。あの人たち」
「はは。そうなんすか……」
「ええ。そうなのよ。扱いやすくて、案外可愛いでしょ?」
顔に似合わねぇ……。
どうやらどんなバッドエンドを迎えても薄い本展開にはならなかったらしい。
めでたしめでたし。
「先輩の方が、ずっと可愛いですよ」
「ふぇ? な、ななな、なにを言ってるのよあなた!? わ、わたしが、可愛い!?」
「はい。めっちゃ可愛いです」
「な、何よそれ……どこがよ……!?」
こちらの出方を窺うように、先輩は落ち着きのない視線を寄せる。
「可愛いって言われて顔が真っ赤になるくらい恥ずかしいけれど、実は満更でもなさそうな、そういうところです」
「う、なぁぁ……っ!? 何それ……何なのよぉ……スズメくんのくせにぃ……」
「あはは」
悔しそうに涙目を浮かべる先輩だったが、その赤みが差した表情の奥でちょっぴりニヤけているのを隠せていない。
やっぱり、可愛い。
先輩のことは格好良くて美しい人なのだと思っていたけれど、それ以上に可愛らしい人だ。
それが今日、分かった気がする。
「生意気」
「ふげっ」
ツン、細い指で頬を突かれる。
「反省して」
「は、はい……可愛い先輩をからかってすみませんでした……」
「またあなたはそうやって……もうっ」
先輩はもう知らないと言わんばかりに顔を背けた。
「あ、先輩。そういえば太ももは————」
「それはまた今度よ」
「先輩太もも」
「今度」
「はい……」
こうして、俺と立花先輩の間に、偽物の関係が築かれた。
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